2話
それは次の日。
秋も終わりかけ、一部の人間はハロウィンに向けて仮装の準備でも始めるそんな月曜日の早朝。
僕は1人でに驚愕していた。
僕の通う私立月代学園は中高一貫校である。
同じ敷地内に高等部の校舎と中東部の校舎の二つがあり、中学生も高校生も分け隔てなく学業に勤しむというそんなキャッチャーなスローガンを掲げた学園の昇降口、高等部2年生のために用意された下駄箱の並ぶその場所で、僕は学校に登校して早々にとんでもないものを見ることになる。
手紙があったのだ。
下駄箱を開けると僕の靴の上に存在する一通の手紙。
手紙かというと、ラブレターかなんかだと勘違いしてしまう人もいると思うのでここはきちんと描写しよう。
そこには宛先の無い茶色の封筒が存在した。
表紙には何も書いていなく、裏にもなく。
その無骨すぎる一通の封筒は、この下駄箱の使用者たる僕にただ開けて中身を読めとだけ強く言っていた。
「…まじか」
その封筒を開け中を覗けば、折りたたまれたA4の紙。
そして、その紙の中央にでかでかと、
『キャンパスノートは預かった。
返してほしければ、今日の放課後屋上で会いましょう』
それだけが書かれていたのだ。
・・・・
放課後の屋上。
正体不明の手紙の差出人の命令のまま、僕はそこへ足を運ぶ。
流石にあれ(キャンパスノート)を校内にバラまかでもしたら困る。
もう恥ずかしさとかで、学校に通えなくなってしまう。
だから何があっても回収しなければならない。
とそう若干意気込んで屋上への階段を上った僕を待っていたのは。
「遅い」
腰につくまでの黒髪が特徴的な美少女。
神田 葵だった。
神田 葵。
この学園で彼女のことを知らない人間は存在しない。胸を張ってそう言い切れるくらいの有名人で、
それは彼女が歴史あるこの学園、月代学園の学園長の孫娘でもあり。
戦前から続く財閥企業「TUKISHRO」の跡取りっていうのも一つの大きな要因ではあるのだろうが、
僕が思うに、彼女自身を有名にさせているのは学園長の孫娘だからとか、容姿端麗だからとか、人並より胸がでかいからとか、そんな外面では決してなく、
彼女自身のその度し難い内面のせいである。
才色兼備のイバラ姫。
神田はそう呼ばれていた。
成績優秀で2年の中でも常にトップ。
運動神経も悪くなく、
誰しもが羨むであろう艶麗な見た目までを持ち合わせており。
一読すれば彼女はなんの欠点もない完璧超人であり、その呼び名の通り才色兼備に違いない。
違うクラスに属する僕からでも彼女の噂を聞かない日はないといったっていい彼女だが、
しかし、そんな神田にはこんな噂もあった。
神田は誰かと群れることを嫌い、そして自分以外の人間を常に見下している。
だから人が嫌いで、友達がいない。
そんな噂話。
いや、まぁこんな事を言われて喜ぶ人間はいないだろうから噂話というよりかは陰口ともいうのか。
彼女と特に接点のない、この学校大半の生徒代表として、そんな僕の視点になって言わせてもらえば、神田は寡黙で孤高な人間だ。
彼女が誰かと楽しそうに話してる姿は一切見かけたことがないし、どうしても他人事なので神田のその本心がどうとかは知らないが、側から見るかぎりどうしても彼女には近寄りがたく。
近づくな。
近づけば危害を加えると、そんなオーラを感じてしまう。まるで茨にでも包まれているのかと錯覚してしまう。
しかし、こんなものはどれも悪意のある噂だ。信憑性なんてかけらもない噂で、僕は神田から直接的な危害を受けたことはないし、話したことすらないのだから、人が嫌いだとか友達がいないとかそんなのは、全てが他人の勝手な妄想に過ぎず、けれど、教室の窓際で読書をする神田は、見るに孤高という2文字かこれ以上なくぴったりと似合うのだ。
彼女は人が嫌いですなんて一言たりともそんな事を言ってはいないはずなのに。
それでも…どこか信じさせてしまう魔力がある。
見えないはずの、茨の壁が見えてしまう。
「貴方…向原くんよね?」
神田は僕を見かけると、気怠そうに、ため息を吐きながら胸の下で右腕を組みながらそう言った。
神田に認知されていた事に驚いた。
それともっと驚いた事は、彼女の左手にもつ僕のキャンパスノート。
それは間違いなく僕のものでそれが、今朝の手紙の差出人が他の誰でもない、神田である事を決定付ける。
「そうだよ、僕が向原だよ…」
「そ、私のことはわざわざ説明しなくてもいいわよね。
この学校ではとくに有名だもの」
どうやら本人にも有名人の自覚はあったらしい。
「で…そのノート。
お前が僕のノートを奪ったのか?」
「ちょっと、ちょこっと言い方が悪いわね。
『奪う』だ、なんて人聞きの悪い言い方は困るわ。
私はこのノートを親切に『拾って』あげたのよ向原くん」
キャンパスノートをもう一つの開いた手でつんつんと突くように触る神田。
彼女の言う通り拾ってくれたのだとしたら、落とした側である僕としては、
拾ってもらった側としては、
それはただありがたいだけなのだが。
素直にありがとうなのだが。
目の前の神田からはどうやらそれだけじゃないと言いたげな含みを感じる。
「…あ…ああ。
そうか、そういう事なら拾ってくれてありがとう神田。
それ大切なものだったんだ、助かったよ。
でもさ。あんな手紙なんて書かずに普通に渡してくれたらよかったのに」
正直、女子から手紙を貰うという、ラブコメチックなときめきよりも恐怖心が勝った。
封筒に突っ込まれただけの、差出人も要件も意味不明な無機質な手紙。
こんなの恐怖しかない。
これがミステリー小説なら間違いなく僕は呼び出された神田に殺されていた。
死体役として、プロローグの土台にされていた。
いや?
まだその可能性が消えたわけではないから、僕は神田に気を許してはいない。
一歩後ろに引き、神田と常に一体の距離感を保ち続ける。
「私って、ホラ美人じゃない?」
突然、脈絡もなく自画自賛し出す神田。
「顔はもちろん可愛い。
胸も人並みよりはあるし、頭もキレれば運動もできる。
実家は大金持ちだし、料理から裁縫に至るまでなんでもそつなくこなせ、まさに完璧」
だからなんだよ。
「そんなこの学園が設立してから類を見ないほど完璧すぎるこの私が。
向原くんなんていう、特にこれといった特徴もない、ザ普通の男子生徒に話しかけているところを学校の誰かに目撃でもされたら…そう。
私が困るでしょ?」
「何がどう困るんだよ」
特に思い当たらないな。
強いて言うなら、初対面の人間にそこまで言えるその醜悪な性格が世に知らしめられてしまう事だけだろう。
「はあ…いーい?
向原くんみたいな平凡でモテない男子がいきなりなんのキッカケも変化もなく私みたいな超絶美少女から声をかけられることなんて本来あり得るはずがないの。
そんなものは夢物語。
夢かラノベくらいに許された事象であって、それを現実にしてしまえば、ラノベの需要が薄くなってしまう。
それは私としては職業柄、許されざる事なのよ」
「言ってる意味がミリ単位も理解できねえよ」
「理解させようとして話してないもの」
「理解させようとして話せ!」
会話ってのは言葉のキャッチボールだろうが!!
「まあ、これについてはひとまずいいわ。
向原くんがどれだけモテないかなんてことを論じ合うのはそこらへんのマダニよりどうでもいいのよ。
さっさと要件に入りましょ」
要件。
それは同感だった。
ちゃっちゃと済ませよう。
これ以上神田と話していれば彼女の辛辣な言葉に僕の自尊心がズタボロに壊れはててしまうだろうから。
「主な要件は二つほどあるの。
一つは、
盗っ…拾ったキャンパスノートを向原くんに返す事」
「おい、今、絶対盗んだって言おうとしたよな。
今絶対」
いやさ。おかしいと思ったんだよな。
だってそのノートはボクの机の中に入っていたはずなのだから、落ちるわけがない。
「そして、二つ目が、
向原くんの小説を読みたかった」
「…え?」
今…なんて言った?
「なに?聞こえなかった?
残念ね」
「なにが残念なんだよ」
「頭が」
「お前…そのうち誰かにぶん殴られるぞ」
その誰かはひょっとしたら僕かもしれない。
「あー、それなら大丈夫。
昔一度、お父さんから殴られた事があるわ」
もう経験済みなのかよ…。
あとそれはちっとも大丈夫じゃねえよ。
「本当にお父さんったら許せない」
「確かに親が娘を殴るのは教育だとしても良くないが、殴りたくなった父親の気持ちも正直わかるよ。まず、殴られるくらい怒られたのならその性格を悔い改めろよ」
「今後誰かに殴られた際、
親父にもぶたれたことがないのにっ!
って言えなくなっちゃったじゃない」
「…誰かに殴られる気ではいたんだ。
その覚悟はあったんだ。
そんな覚悟を決めてまで他人を悪く言いたいんだ。
すげえよ、その心意気には逆に感心するよ。
天晴れだよ」
「あとこれは私のお父さんの名誉を守るために言うけれど。
私が殴られたのは火遊びをしたからよ」
父親全く、悪くねーじゃねえか!
「まあいいです。
いいでしょう。
聞こえなかったのなら。
もう一度言いましょう、しょうがないです貴方のために」
神田はコホンと一つ咳を付くと、
一呼吸置いて言った。
「コレを読んでみて、
私は、貴方の作品を知りたくなったのよ」