07 イチオシが熱いです
――ひゅ、と風が切る音がした。
ルキーノ様は逆手に剣を構えたまま、一歩を踏み出す。剣呑な眼差しで、瞬きをする間に、鋭い切っ先を叔父の首元に向けた。
叔父がひっと悲鳴をあげて、後ずさる。膝を震わせながらあんなに偉そうだった叔父が今は、小さくなって震えている。
「あ……あ、あ」
「言い訳はしないでください。あなたの悪行は王家が把握しています」
「ひっ……!」
「あなたと繋がりあった伯爵は始末されました」
「あ、あ……あああっ――ッ!」
叔父は顔を掻き毟ると、プツンと糸が切れた人形のように白目をむいて気絶した。
それを見て、ルキーノ様が剣をおさめる。
そしてすぐに、私の元に駆け寄り、床に膝をついて顔を覗き込んできた。
「ライラさん、大丈夫ですか……?」
ルキーノ様がいることが信じられなくて、私は口を開いたままだ。
切なく眉をひそめて、ルキーノ様が私の首に触れる。
「遅くなってすみません……」
何がなんだか分からないまま、私は口を動かした。
「あ、いえ……大丈夫です。生きていますし」
そういうと、ルキーノ様は困ったように小さく微笑む。
笑顔を見たら、全身の力が抜けた。腰も抜けてしまい、立てそうにない。
ルキーノ様が本当に、助けにきてくれた。
それだけで胸が押しつぶされそうになって、苦しい。
嫌な態度をとってしまったのに、私のイチオシは来てくれたんだ。
ああ、……もう。
泣いていいですか?
「ルキーノ様……」
瞳からぼたぼたと涙がこぼれた。
安心してしまい、涙は止まりそうにない。
ルキーノ様が苦しそうに眉を寄せて、私を搔き抱いた。
ガン見していた逞しい体に囚われ、体が緊張で強張る。
「怖いを思いをさせましたね……俺がもう少し早く着けば……」
懺悔するようなささやき声が耳に届く。
存在を確かめるように隙間なく抱き寄せられてしまった。
耳元で、はあはあと荒い息までしてきて、私は大パニックだ。
大歓喜していいのか、腰砕けになっていいのか分からなくて、涙だけが止まらない。
そして、ルキーノ様のけしからん息づかいが、だんだん早くなり、体重が私にのしかかってきた。
抱擁されたままぐらりと傾く私。
え? このままでは、後頭部が床にごっちん☆では?
あわや押し倒されそうになった所で、ルキーノ様が片手を床につけて、床ごっちん☆を阻止してくれる。
「はあ、はあ、はあ……ああ……ほんと、俺はくそったれな魔法使いだな……っ」
苦しそうに息を切らせながら、ルキーノ様から乱暴なお言葉がでる。
びっくりしつつも、キュンとした。いや、ギュンだ。
共倒れにないように、ぎゅっと抱きしめられたままでいると、ドッドッドッドと地響きのような足音が近づいてきた。
カランコロン! ガシャン!
勢いあまって扉のドアベルと落としながら、工房に駆け込んできたのは、上半身裸の団長さんだ。
「ルキーノ! ライラは無事かッ!」
団長さんと同じ体格の騎士団員が、流れこむように工房に入ってくる。
「ん?」
半裸の団長さんとバッチリ目が合う。小首を傾けられ、非常に気まずい。
ルキーノ様は団長さんの突入に気づいていないようで、まだ苦しそうにはあはあしている。
これは……
「リア充中かよっ?!」
団長さんが絶叫して、気まずさはマックス値まで跳ね上がった。
だああああ!と団長さんは叫びながらも、叔父の首根っこを掴む。
「おい! ヴァニタ! 失神してんじゃねえぞ! 詰所に戻ったら、殴らせろ!」
団長さんはなぜか白目をむいている叔父に怒鳴った。
そして、騎士団員たちが叔父と大男を連行してしまった。
短い髪を指でかき乱した後、団長さんが私たちに近づく。
そして、私にしがみついたままのルキーノ様をひっぺがした。
「ったく、力を使いすぎたんだな。しょーがねー奴」
団長さんはルキーノ様を床に寝かせた。
「ライラ。もう大丈夫だぞ。事情はルキーノに聞いてくれや」
そういって団長さんは工房を出て行ってしまった。
ぽかんとするしかない。
ルキーノ様は熱がでているようで、苦しそうにうめいている。
乱れ方が色っぽいが、心配だ。
「お嬢……」
パウロと職人たちが、我に返って声をかけてくれる。
「みんなっ、大丈夫……?」
私も我に返って、みんなの顔を一人ずつ見る。全員、微笑みを返してくれた。
ほっと胸をなでおろし、床に寝たままのルキーノ様を見る。
「ここじゃあれだから、ソファに寝かせようか。手伝ってくれる?」
「もちろんですわあ!」
パウロたちとルキーノ様を運び、私はそばで介抱することにした。
椅子に座って、汗が張り付いたルキーノ様の髪を指でつまみ、冷えたタオルを整った顔立ちにあてる。
なんだかとっても、いけないことをしているみたいだ。――罪深い。
ほう、と熱い息を吐きだしながら、私はルキーノ様を見つめた。
端正なお顔が紅潮していて、眉間に皺が寄っている。苦しそうだ。
心配だけど苦悶の表情も、けしからん色気がほとばしっています。
ちらりと見えた鎖骨に、上下に動く厚い胸板。
遠くから見ていたイチオシの体がこんなにも近い。
……ちょっとだけなら生で触ってもいいだろうか。
つんつんだけなら、いける?
さ、さっき、抱きしめられたし。
うん。……いいかな?
ごくりと生唾を飲み干し、抗えない衝動に身を焦がす。
じっとルキーノ様をみていると、オパール色の双眸が薄く開いた。
私は慌てふためき、思わず、よこしまなことを考えて、ごめんなさいっ――と言いそうになった。
「ライラ、さんっ」
はっ、はっ、はっと短い呼吸を繰り返しながら、ルキーノ様が右手を上げる。そして、タオルを持ったまま固まっていた私の手を握った。熱い手に包まれ、腰が抜けそうになる。
「あいつらはっ……」
「半裸の団長さんがしょっぴいていきました……」
「そう、ですかっ……はあ、はあ……っ」
ルキーノ様は安心したように相貌を崩した。
「ライラさん……」
ルキーノ様が、ふにゃっとした笑顔になる。
「ライラさん……はあ……ライラさん……」
ルキーノ様は目をつぶり、何度も私の名前を呼ぶ。
甘えるように私の手にすり寄った。
彼の熱が、私にうつる。
そんなべったべたな甘え方をされたら、ドドドドと心臓の音が高鳴ってしまう。
どうしよう。え? え? え? もうどうしたらいいの?!
なんだか泣きたくなってしまい、ぴえんと思っていると、ルキーノ様は安心しきった顔で寝てしまった。
手は握られたままだ。
私は腰が抜けてしまい、深く椅子に座った。
これは……
私も寝てしまえという妖精さんのお告げだろうか……
徹夜続きだった体に追い打ちをかけられ、気が付いたら私も寝ていた。