05 イチオシには見せられない
目を点にして固まっていると、ルキーノ様の顔がふいっと横を向く。
口元を手で隠していて、顔は仄かに朱色だ。
あれ? この顔って、照れていらっしゃる?
まじまじと見ていると、オパール色の瞳と目が合った。
すねているのか、熱っぽい。
そう思った瞬間、ぶわわっと体中が熱くなった。爪の先から、脳天まで、熱が巡る。
はくはくと口を動かしていると、ルキーノ様が小さく笑った。
「いただきましょうか」
「あ、……はい」
私は動揺しながらもスープを食べた。
最初は味がわからなかったけど、食べているうちに麻痺していた舌が感覚を取り戻していった。
「んんぅ! おいしいっ」
食べ終わるころには、ほっぺに手を当てて、食事を堪能していた。
「ライラさんが食べていたパンスープって、どんな味だったんですか?」
「母が作ってくれていたのは、トマトが入っていました」
「トマト、酸味が効いて美味しそうですね」
「美味しいです。あ、今度、作りましょうか?」
そういって、はたと我に返る。私は今、何を言った……?
「作ってくれるんですか? 楽しみです」
ルキーノ様がとろけるような笑みを見せてくれる。
それにドキドキしながら、私は薄い胸に手をおいた。
「お任せください!」
勢いとは怖いものである。でも、そんな後悔も一瞬だけ。
幸せそうに笑ったルキーノ様を見たら、私まで幸せな気分になった。
それに、またルキーノ様と一緒にご飯を食べられる約束が嬉しかった。
さすがに泊まるわけにはと思ったが、遅くなったから一泊させてもらった。
寝る前、風呂上りのイチオシショットまで見られたので、尊い一日であった。
ここは天国なのだろう。ふわふわした気持ちで、私は久しぶりにぐっすり眠った。
翌朝、騎士のお仕事が始まる前に、一緒に朝食を食べた。パンスープにチーズをたっぷりかけて、オーブンで焼き目をつけたアレンジメニューだ。
頬の腫れは、赤紫色がうすく見えるほどで、あまり目立たない。
「お世話になりました」
夢みたいな一夜だったから、ちょっと……ううん。かなり名残惜しい。
でも、いつまでもこうして見つめているわけにもいかない。
私には工房があるんだもの。
頭を下げると、ルキーノ様はわずかに目を細める。
「……昼飯を作る材料を買いに行くんで、途中まで送ります」
「あ、はい……」
名残惜しかったから、ラッキーだ。
私たちは並んで石畳を歩き出した。
「朝市に行くんですか?」
「ええ、昼食に肉がないと、団長が怒り狂うんです」
「ああ……団長さん、素手で肉を食べそうですものね」
そういうと、ルチアーノ様がぷっと噴き出した。
「団長さんって、二十歳ですし、食べ盛りなんじゃないですか?」
「え? ……団長、二十歳なんですか……?」
目を泳がせて言われ、こくりとうなずく。
「知らなかったです……俺と三歳差……」
「ルキーノ様は、二十三歳ですか?」
「いえ、十七歳です」
「えっっ」
私と一歳しか違わないの?
その色気で? その色気で? その色気で?
「……ルキーノ様って……すごいですね」
「……それって、褒めているんですか?」
くすくす笑いながら言われてしまった。嫌悪感はなく、むしろ愛しげに見られ、心臓の音が大きくなっていく。こんな風に見つめられたら、勘違いしてしまう。
――ルキーノ様も、私のこと思ってくれているのかな……
聞きたいような。聞きたくないような。
心の中で、葛藤していると、
「あ! ルキーノ!」
ふいに甲高い声がして、誰かが走ってきた。
見覚えのある、だけど一番見たくはないブロンドヘアを風になびかせながら、ルキーノ様の腕にフランカが絡みついた。
フランカは頬をふくらませて、ルキーノ様を見上げる。
「んもお、デートしましょ、と約束したのに、どうして連絡くれないの? わたし、ずっとずっとルキーノに会えるのを楽しみにしていたのよ?」
そう文句を言いながら、フランカは頬を紅潮させている。
まるで恋人みたいな空気に、雷を打たれたような衝撃が全身を貫いた。
――え? どういうこと? フランカとルキーノ様は知り合いだったの?
「フランカさん……今はちょっと」
ルキーノ様がフランカを振り払わない。困ってはいるけど、嫌がっていない。
なんで? どうして、フランカと親し気なの? ――やめてよ。
「えー、今はダメなの? どうして?」
甘えるようにフランカがルキーノ様にすり寄る。羨ましいぐらい豊満な胸をルキーノ様に押し付けながら、フランカはちらりと私を見た。勝ち誇った顔をされ、かっと脳天に火が昇った。わなわなと体が震えだす。
「……ここで失礼します……」
うつむきながら、ぼそりと言い、大股で歩き出す。
「ライラさん!」とルキーノ様が私を呼ぶ声がしたけど、無視して走った。
全力で街を走っていく。
ルキーノ様はフランカをデートに誘っていそうな雰囲気だった。
よりにもよって、なんでフランカ。
そりゃ、フランカは可愛い顔しているけど、性格が悪すぎる。
ルキーノ様に限って、あの子のひん曲がった根性を見抜けないとは思えないけど。
何か理由があると思いたいけど、あんなにベタベタすることはないだろう。
ないったら、ない。
「はあ、はあ、はあ……」
無我夢中で駆け抜けたら、工房とは違った道に来ていた。
「はあ、はあ、はあ……ははっ」
本当に、なにやっているのだろう。
私とルキーノ様は恋人ではない。ただ、私の片思いなだけ。イチオシなだけ。それなのに、フランカに嫉妬して、爆発してしまうなんて。
「ほんと……馬鹿みたい……」
ぽつりと呟いたら、視界がにじんできた。ぐずっと鼻を鳴らして、あふれそうになる涙を袖の裾で拭う。
それなのに、涙は次から次へとあふれだしてしまって、私はその場にしゃがみこんでいた。
「ルキーノ様、まで……取らないでよ」
フランカには、母も父も、帰る家だってあるじゃないか。
美味しいご飯を作って、一緒に食べてくれる人がいるじゃないか。
そう、文句が喉まで出かかるのに、本人に面と向かって言えやしない。
これじゃ、負け犬の遠吠えだ。
「あーあ、やんなっちゃうっ」
ぐずぐず鼻をすすって、わざと大きな声をだした。
鬱屈した気持ちよ、飛んでけー。
そんなことを思いながら、顔をあげた。
空は快晴で、まぶしいくらいだ。
熱くなった頬に風が吹いて、心地よい。
ぼーっと空を見ていたら、だんだんと落ち着いてきた。
小さく笑って、歩き出す。工房に行かなくては。
今までは遠くでルキーノ様を見ているだけで、よかった。
それがちょっとばかり、私が欲張りになってしまっただけだ。
それだけのことだ。
「あんなに綺麗な人に声をかけてもらえたんだもの……それで充分じゃない」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、私は工房へ向かった。