02 ギルド長に目をつけられました
私は川沿いを歩いて、工房へ向かっていた。
どこを見ても鮮やかなオレンジ色の屋根に、クリーム色の石壁の建物が並んでいる。
窓辺と玄関廻りには、赤、ピンク、水色。思い思いに育てられた花が咲き誇っていた。
小さな広場を横切れば、陽気な音楽が流れてきた。
チョビ髭のおじさんが、マンドリンを弾いている。
踊って、歌って、お酒を飲んで。
広場は人の笑い声であふれていた。
リズムに乗って、私もステップを踏む。
「妖精さん、妖精さん、いつもありがとう♪」
亡き母と口ずさんでいた歌をうたいながら、スカートの端を指でつまんで、くるんと回る。
スキップをしながら、石畳の道を進んでいった。
ここは職人の町、アルノ。
妖精が知恵を授けて職人の技術が発達したという伝説がある。
アルノは王室が定めた特化地域だ。ギルドが王室とつながっていて、品質を保つために力を入れている。
だから、アルノで職人をすることは、誉れであった。
私は生まれも育ちもアルノっ子だけど、ルキーノ様は違う。
騎士団にやってきたのは、二ヶ月前だった。
遠くから来たらしく、道に迷っている所を声をかけた。
あんなにいい顔ですからね。それはそれは、目立っていました。
女性に囲まれていても良さそうだったが、なぜかお一人だった。騎士団の詰所を尋ねられたから、親切丁寧にご案内しました。
それから私が職人見習いだと知ると、ルキーノ様に靴を頼みたいと言われた。
遠くから歩いてきて、靴がダメになりかけていたそうだ。
それで「私が作ります!」と勢いで言い、「お願いします」と言われたのだ。
とても時間がかかったが、やっと納得できるブーツを届けられた。
大満足だ。
嬉しくて、ぴょんぴょん跳ねた。
***
「ただいまー」
カランコロンと鋳鉄のドアベルを鳴らしながら、革職人が集う工房の扉を開く。
「お嬢! どうでした!」
職人のパオロが声を上げたので、私はにんまり笑って腕で○を作った。
「うおおおお! さすが、お嬢ですわあ!」
母の時代から工房にいる職人たちが笑顔で、私の周りに集まってくる。
「ルキーノ様、とっても喜んでくれたわ。みんなのおかげ」
「いやあ、よかったですなあ。お嬢の目、本気すぎましたものなあ」
「だって、仕事だったし……」
唇を尖らせていうと、パオロは皺の入った固い手で私の頭をなでる。
「お嬢には才能がありますよ! ブーツの縫製は完ぺきでした!」
子ども扱いされたが、今は上機嫌なのでむくれません。
へへっと笑って、されるがままになっていると、カランコロンとベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
うっきうきで振り返って見えた人に仰天した。私がこの世で尤も敵に回したくない人が居たからだ。
革職人のギルド長、バルダッサーレ様である。
見るだけで人が死んじゃうんじゃないかと思うほど、眼光が鋭い。
「バルダッサーレ様……本日は、いかがいたしましたか……?」
私はそろそろとバルダッサーレ様に近づき、生唾を飲み干す。
バルダッサーレ様は工房を見渡した後、身の毛もよだつほど低い声を出した。
「……定期監査だ。工房を見させてもらう」
「えっ……!」
そういうや否や、バルダッサーレ様の後ろに居たギルド職人が、どっと工房に入ってくる。
「仕事を中断して、監査を待て」
拒否できない声で言われて、震えあがった。
この地域では特有の皮なめしがある。
ミモザや栗からエキスを抽出して、革に浸してなめす製法でなければ、アルノ製と認められない。
監査は厳しく、ギルドの命令は絶対だった。
工房をすみずみまで見られる時間は、緊張してハラハラする。
何事もなく……というわけにはいかないだろう。
理由は、私が一番わかっていた。
やがて監査が終わり、バルダッサーレ様が薬品の入った瓶を持って、私に問いかけてきた。
「この薬品はギルドが認めたものではないぞ」
指摘されて、震えあがる。言い訳できない。バルダッサーレ様の言う通りだからだ。
薬品は短時間で革の傷を直し、丈夫にするもの。ただし、革特融の風味がなくなってしまうものだった。
「バルダッサーレ様! あの薬品を置くのは、理由があるんですわあ!」
パウロが私に代わって、理由を説明する。
「ヴァニタ様の方針でして……」
ヴァニタは叔父の名前だ。工房の経営者でもあった。
もともと、この工房は母が始めたものだ。
その母が12歳の時に急死して、私は初めて叔父と、その家族にあった。
叔父は男爵だった。母は男爵家の令嬢だったのだ。勝手に家を飛び出し、母は行方知れずとなっていたそうだ。
父の姿は見たことがない。母に尋ねても「わたしの恩人」としか言ってくれなかった。
でもそういう母の顔は、とても幸せそうで、私は父と母は好き合っていたのだろうと思っている。
叔父は私の後見人となり、工房の経営まで口を出すようになってしまったのだった。
「ヴァニタ男爵のか……伝統を重んじなければ、ギルドからの追放もあり得るというのに、愚か者め……」
バルダッサーレ様は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
追放の言葉に私は震えて、バルダッサーレ様に懇願する。
「叔父に話してみますから……今日は、どうかお引き取りください」
頭を深く下げると、ヴァルダッサーレ様は唸るような声を出す。
「私からもヴァニタに伝えよう……あの薬品は使うなよ。規定違反になる」
そういって、ヴァルダッサーレ様たちは工房を出ていった。
カランコロンと鳴ったドアベルを聞いて、腰が抜けた。
床にへたりこんだ私を見て、パウロが仰天する。
「お嬢! 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……ははっ」
嵐が去ったみたいだ。緊張して、げっそりする。
私は嘆息して、心配するパウロに声をかける。
「バレちゃったね……」
できる限り明るく言ってみたけど、心は泥水をまぜたみたいで重かった。
三ヶ月前、叔父から急に小さな革財布の大量注文を受けたと知らせがあった。
革の在庫がなくて、とてもその期間にはできないと言ったら、薬品を持ってきたのだ。
期日までに間に合わせないと、パウロたちを解雇すると銃を持った大男と引き連れて脅され、私は叔父の言いなりになった。いや、言いなりなったふりをした。
私たちは薬品を使わず、寝る暇を惜しんで、革財布を作って納品したのだ。
作り上げた革財布は全て叔父によって没収されてしまい、どうなったのかは不明だ。
「叔父に話してみるよ……このやり方じゃ、ギルドに目を付けられるって」
「お嬢……儂らもご一緒します!」
「ううん。叔父は容赦ないもの。パウロたちを解雇するとか言い出したら、それこそ工房がなくなっちゃう」
私はパウロの厚くて固い手を握る。
「お願いだから、何も言わないで……」
「お嬢……」
――革はね。人と共に変わっていけるのよ。ライラの人生と一緒にこの子も変わるわ。
そう言いながら、母は私の鞄を作ってくれた。妖精のモチーフが小さくある革の鞄は、使い始めた時より、飴色になっている。艶が出て、風合いが好きだ。
肩にかけた鞄をぎゅっと握りしめる。
母の思いが詰まった工房は、私の宝だ。なくすわけには、いかなかった。