05 彼女には見せられない (side ルキーノ④)
台所に駆け込んだ。
目に入ったのは妖精のために作ったパンだった。
固くなったパンと食材を集め、ひらめいたのはパンスープ。
「……スープなら、ライラさんも喉を通るかな……」
ぶつぶつ呟きながら、食材を切っていく。
俺の父は、各地へ仕事をしていて、家にいることはほとんどなかったが、帰ってくると各地特有のスープを作ってくれた。なぜ、そんなことをしていたのか。父のことを知る前に、亡くなったから、俺は思い出をなぞるようにスープ作りをするようになった。
この地方のスープも食べたことがある。パンを煮込む美味しいスープだった。
寸胴いっぱいに作り、ライラさんへの言い訳を考える。
心の声が聞こえたので……とは、言えないから。
「作りすぎたので……とか?」
唸りながら呟いて、苦笑いをする。
俺は息を吸うように嘘をつけるのに、ライラさんに言う嘘は、罪悪感が芽生える。
おかしな感情を持てあましながら、スープを作り終えた。
ライラさんの部屋に行き、扉をノックして呼びかける。
返事はなく、扉越しに心の声が聞こえてきた。
(腰が抜けるほど、いいお声!)
ガチャガチャと回されるドアノブを見つめ、思ったよりも元気そうだと密かに安どする。
扉が開かれ、茶色い瞳と目が合う。爛々と輝いているけど、腫れた頬は痛々しい。
俺はこみ上げそうになる怒りを柔らかい嘘の笑みに変えて、彼女に話しかけた。
「ご飯を作り過ぎました。一緒に食べてもらえませんか?」
ライラさんは最初こそ謙遜していたけど、結局は俺と一緒に食事をしてくれた。
好物らしく、キラキラと瞬く星屑のような笑顔でパンスープを見てくれる。
その姿に和んでいたけれど、彼女の妖精への愛着は想像以上だった。亡き母親と一緒に食事の前に、妖精に祈ったりしていたらしい。
妖精に対して、純粋な思いを抱けない俺は、ついつい彼女の前で皮肉を言ってしまった。それを気にすることなく、彼女は妖精への愛着を語る。
「妖精さんはきっと、ルキーノ様みたいに、優しいです!」
ふんと鼻息を出して彼女が言い切る。まぶしい気持ちで彼女を見ていると、彼女の顔がスン……と無表情になる。
(これは……ルキーノ様が大好きですって、告白しているようなものでは?)
そして聞こえてくる彼女の心の声。
不意打ちの『大好き』は、強烈だった。
かっ、と火がついたように体が熱くなって、口元が勝手にゆるむ。まずい。にやける。
たまらず口元を手で隠す。
なんだろう……この感情は……彼女がまともに見られない。
抑えた手のひらの中で、6回、小さく呼吸して、ちらりと彼女を見る。
そうしたら、ライラさんはトマトみたいに真っ赤になっていた。
お互いに顔を赤くして、こそばゆい。照れくさくて笑いがこみ上げてしまった。
「いただきましょうか」
「あ、……はい」
真っ赤になってこくこく頷く姿に、また和む。
ライラさんと一緒の食事は想像以上に、俺の心をほぐしていった。
あまりにも居心地が良すぎて、ライラさんが笑っているのが嬉しくて、次はライラさんの作ったパンスープが食べたいとねだってしまったほどだ。
――らしくない。
彼女との関係は、アルノにいる期間だけにしなければいけない。
俺の素性も何もかも、彼女に打ち明けることはできないのに。
彼女といると、自分の仕事を忘れそうだ。
幼い日に諦めた誰かとのあたたかい食事。
予期せぬ形で、それを手にしたせいだろうか。
俺は雑念を払うように、軽くかぶりを振り、ライラさんは詰所に住むように勧めた。
ライラさんをマフィアが監視する家に居させられない。
そう考えてのことだったが、彼女もほっとしたようだ。
ライラさんが部屋に戻った後、自分の部屋に戻ると、机の上に手紙が届いていた。
封蝋を見ると、王太子殿下からだった。
すぐに開封して中身を確認する。伯爵を捕らえろという指示だった。
王都の騎士団を伯爵領に派遣すると書いてある。
俺も合流して、マフィアの尻尾を掴めとのことだ。
「……ライラさんのこと、団長に任せるか」
心配は尽きないが、仕事は仕事だ。
明日、団長に話してみようと決めて、俺は寝床についた。
その晩、久しぶりに父の夢を見た。
何を話したか覚えていないが、父は朗らかに微笑んでいて、目覚めは良かった。
翌日、ライラさんは工房に行くと言って詰所を出ようとした。
「お世話になりました」
深くお辞儀をする彼女は微笑んでいた。
(夢みたいな一夜だったなあ……)
寂しげに目を細くして、聞こえた心の声に、俺も一緒です――と言いそうになった。
眉に力を入れて、言葉が外に出ないように堪える。
「……昼飯を作る材料を買いに行くんで、途中まで送ります」
そして嘘をついた。俺の罪悪感を吹き飛ばすように、彼女がぱっと明るい笑顔になる。
嘘が本物になったように気がして、ふたりで並んで歩いた。
団長が二十歳だったという衝撃を受けつつ、たわいない会話をする。
彼女から漏れてくる心の声は、俺への羨望だった。
(ルキーノ様はカッコイイなあ……妖精さんみたいに綺麗だなあ……)
あまりに純粋に慕われて、俺は弱い魔法使いだということも忘れそうだ。
彼女といると劣等感が消えていく。なんとも思っていなかった容姿すら、特別なものに思えてくる。
ライラさんの方が魔法使いみたいだ……
肯定という、特別なものをかけてくれる魔法使い。
彼女の心の声と明るい表情に心酔して、俺はすっかり油断していた。
ライラさんは被害者で、救うべき相手だったということを。
「あ! ルキーノ!」
現実を教えるようにフランカ嬢が、駆け足で近づいてきた。
そして俺の腕に気安く絡みついてきた。
嫌悪で肌が栗立ちそうになったが、それ以上に、ライラさんの表情に俺は釘付けになった。
さきほどまで笑っていたライラさんは無表情になっていた。
彼女の心の声が聞こえない。
無音は、拒絶だろうか。
思わず力を使って覗いても、聞こえるのは小さな声。
泣きそうな声で、何を言っているのか分からない。
二度目の力を使う。
――ダメだ。彼女の心の声が聞こえない。
「んもお、デートしましょ、と約束したのに、どうして連絡くれないの? わたし、ずっとずっとルキーノに会えるのを楽しみにしていたのよ?」
俺の焦燥を掻き立てるように、フランカ嬢がペラペラ話す。
「今はちょっと……」と言っても、彼女は執拗にべたべた俺に触る。
そのうちに、ライラさんが「失礼します」と言って、駆け出してしまった。
「ライラさん!」
呼びかけても、振り返ることなくライラさんは走っていってしまった。
呆然と背中を見送ると、フランカ嬢がくすくす笑った。
「なにあれ。……だっさ」
ライラさんを見て愉悦感に浸るフランカ嬢。
その醜い言葉と顔を見て、理性がぷつんと切れた。
――存在そのものが煩わしい。消えろ。
俺は自由だった腕を動かし、フランカ嬢の顎を指でしゃくる。
上を向かせ、うっとりと目を細め微笑みかけた。
「フランカさん、今から俺とデートしましょう?」
「えっ……」
頬を赤く染めるフランカ嬢に顔を近づけ、ささやきかける。
できるだけ、甘やかに。思いがあるように艶ややかに。
「あなたのことをもっと知りたいんです……」
耳朶に吐息をまじりの声をそそぎ、偽りの愛情をフランカ嬢に見せる。
息を吸うように、嘘を吐く。
「……いいけど。素敵なところに行くんでしょうね?」
「ええ、とてもいいところですよ。今のあなたに相応しい――詰所の独房です」
「…………え?」
キョトンとする彼女が俺の腕から離れた。その隙に、彼女の口を強引に手のひらで抑えた。
腕をとらえ、後ろに回す。
苦しそうにもがく姿を見ても心は冷えきったままだ。
「暴れないでください。手加減できなくて、あなたの腕を折ってしまいます」
びくりと震え、大人しくなったフランカ嬢を問答無用で詰所に連行した。
詰所の地下牢。一時的な拘置所にフランカ嬢をほおりこむ。
「きゃっ! ちょっと! どういうことよ!」
鉄の牢に鍵をかけると、フランカ嬢は喚きだした。
「俺の所属は王都騎士団なんです。あなたの父親はマフィアとのつながりがあるため、捜査していたんですよ」
「え? なんのことよ……お父様が? マフィア?」
「マフィアの存在を知っているのですね。そうですよ。あなたの父親は犯罪者です」
「う、嘘よ! 嘘! 嘘! 嘘!」
一度、二度、三度、四度。
力を使って彼女の心を声を暴く。
体は過熱するのに頭は妙に冷えていた。
そして、彼女は本当に何も知らなさそうだ。
「傲慢で、無関心。本当に、……幸せな方だ」
皮肉をこめて、冷笑する。
フランカ嬢はびくりと震え、体を小刻みに震わせる。
自分の状況を認められないのか、顔をひきつらせた。
「……わたくしを騙したの?」
「いけませんか?」
「っ……気のあるふりをして、こんな所に居られるなんて詐欺師じゃない!」
「どうとでも思えばいい。あなたの言葉は俺の心を動かさない」
キーキー、耳障りな声をわめきたてるフランカ嬢を置いて、俺は詰所に戻った。
難しい顔をしている団長に声をかける。
「事件が終わるまでフランカ嬢を拘置していてください。彼女をマフィアに近づけないように」
「わかった……」
「俺は伯爵を捕縛しに行きます。それまでライラさんを……」
不意に吐き気がこみあげ、口をふさぐ。
胃が搾り上げられたみたいで、気持ちが悪い。
吐き気がする。
「ぐっ……」
俺は団長を押しのけ、壁に嫌悪感を吐きだした。
魔法を使いすぎた。リバウンドだ――
「ルキーノおおおお! どうしたああああ!」
「……大丈夫ですっ」
口についた汚物を指でぬぐい、団長を制する。
「汚して、すみません……行きます」
「行くって、おいっ! 熱あんじゃねえのか! 顔が真っ赤だぞ!」
「……大した熱じゃありません。それよりも、ライラさんのこと、頼みます」
「それは任せておけって! それよりもなあ!」
団長に肩を掴まれたが、それを振り払い、詰所を飛び出した。
朦朧とする意識の中、ほろ馬車を捕まえて、金を握らせる。
「……はあ、はあ、はあ……っ……港湾都市まで……行ってくれませんかっ」
「は、はいぃぃぃっ」
馬車の荷台に転がりこみ、仰向けになる。
意識が飛びそうになり、空気を求めて荒く呼吸をした。
今、気絶しているわけにはいかない。
何かにすがりたくて、俺は懐からライラさんが作った革財布を取り出した。
拒絶された顔を思い出し、ぐっと財布を握りしめる。
「ライラさん……俺はカッコよくなんかないんです……強くもないんです……」
彼女には見せられない本音を吐露する。
形が変わりそうなぐらい強く皮財布を握りしめ、目をつぶる。
「それでも……それでも!」
あなたを救い出したいんです。
馬車で移動する間、俺はずっと祈るように財布を握りしめていた。
熱がひいていき、馬車が都市に着く。
意識がもどった俺は、指跡がついて変色してしまった皮財布に微笑みかけた。
「もう少しだけ、待っていてください……あなたを苦しめた者は罰を受けさせますから」
俺は財布をそっと指でなぞり、懐にしまった。




