30 百合は、静かに動く
メイリリーは、その顔、姿を見た時に高鳴る胸を抑えきれなかった。
想像よりもずっと美しく凛々しい彼にひと目で心を奪われてしまっていたから。
――かっこいいっ!結婚したいっ!!
皇帝や、皇太子などには目もくれず彼――ノアにだけ視線を注ぐ。王太子を篭絡し、加えてその取り巻き達も落としたメイリリー。本望では無いけれど、ノアに会うためなら仕方の無い事だったから。
彼女が読んだ物語の中ではかなり後半に出てきたキャラクターだった。
いつも、憂いを帯びた表情をしていて決してとある人物の前以外では笑わないとされたキャラ。メイリリーが縛りから助けなければいけない愛おしい人。
――ロザリンデとかいう女から助けなきゃ
黒い髪に、金色の瞳。まるでオオカミのような姿を舐めるようにメイリリーは眺めた。
ロザリンデという女のせいでノアはいらない責任を、縛りを与えられているのだ。心に傷を負い、心身ともに喪失している彼女のせいで。
メイリリーは、物語の中で彼女を救うことができずノアに悲しい顔をさせていた。が、別にロザリンデじゃなくてもいいんじゃないか。そう、今のメイリリーは思うのだ。
彼女よりも、もっと魅力的な自分ならば彼の心を射止めることは可能だろうから。
理由も、特に覚えていないけれどメイリリーに心を傾けるシーンがあった気がするから。
皇帝との会話が進む。
そして、皇帝と共に彼は出ていってしまった。
「メイリリー、ごめんね。君をこんな大変な場に連れ出してしまって」
与えられた部屋に帰ってから、ヴィルヘルムにメイリリーは呼び出された。
申し訳無さそうに王子は言う。確かに物語の中から出てきそうな王子様だ。でも、好みか好みでは無いかと聞かれたら全く好みでは無い。
それでも、ノアを助ける為には可愛く、利口なメイリリーを演じなければいけないのだ。
「全然大丈夫。ヴィル様と一緒に居れるならわたしは嬉しいもの」
「なんて優しいんだ」
メイリリーの小柄な体をヴィルヘルムは抱き寄せる。好きでもなんでもない男に抱き寄せられるのは嫌だったけれどノアと結ばれる為ならば仕方がない。
「だって、ヴィルヘルム様がいればわたしはなんでもいいの」
その言葉が嬉しかったらしく、メイリリーを抱きしめる力が強くなった。苦しい、と思ったその時コンコン、と控えめにドアがノックされる。
「ごめんよ、リリー、また後で」
ノックの音を聞いた後、メイリリーを名残惜しそうにヴィルヘルムは離す。脱出できたことにメイリリーはほっとした。
「入っていいよ」
その声で入ってきた執事と入れ替わるようにして、メイリリーは部屋を出る。執事が少し驚いたような顔をしていたが、メイリリーに取ってみれば些細なことだった。
さて、部屋に戻ろうとした時見覚えのあるシルエットが廊下を曲がっていく。
――ノア様だ!!
急いでメイリリーは追いかける。ここにメイドや彼女の教育係がいたのならばはしたないと怒られているのだろうが今は違う。
そして、彼が何かを落としたのに気づいた。それはハンカチであった。
話しかける理由が出来たと、よりいっそう急いで彼に追いつくように走り出す。
「あのっ!」
「ん?」
「これ、落としましたよ?」
振り返った彼、ノアの顔に思わず叫びそうになるのを抑える。至近距離で、メイリリーの姿を愛しい人が映しているという事実だけで死んでしまいそうだった。
メイリリーが手に持っているハンカチに気づくと少し申し訳無さそうに眉をへの字にした。
「すまん、ありがとう」
はにかむように笑って礼をメイリリーに言うノアの姿にメイリリーの心臓は爆発寸前であった。
「はぅっ」
「どうしたんだ?」
「い、いえ。その、騎士様のお名前はなんと言うのですか?」
あざとく、上目遣いを意識してメイリリーは尋ねる。
「俺か?」
「はい」
「ノア・ベルガーだ」
「ノア様というのですね!わたし、メイリリーと言います」
「メイリリー嬢というのか、城では見かけたことが無いけれど何処から来たんだ?」
「隣国の使者として、ヴィルヘルム王子と一緒に」
ハンカチを渡した後も会話は続く。なんて、幸せな時間なのだろうとメイリリーはうっとりとした。こんな幸せな時間がずっと続けばいいのにとも。
これから、あの女からノアを引き離せばメイリリーはずっと、死がふたりを別れさせるまで一緒にいれると確信した。
あぁ、なんて幸福な計画だろう、とも。
「そうなのか、すまないこれから仕事があるのでここで失礼する」
ノアがメイリリーの前から立ち去ろうとする。引き止めたいけれど、引き止められない。
ならば、と意を決した。
「あの、またお話出来ますか?」
「構わないが?」
「ありがとうございます、では明日の朝とかって会えますか?」
「朝、か分かった。そちらに手紙を書いて送る細かな時間はそこに記しておく。名前はメイリリー嬢だったよな?」
「ええ、そうです」
彼は、手紙を送ると言い残してその場を去った。ノアの気まぐれであったとしてもまた会う約束が出来たというだけで最高だ、とメイリリーは思うのだった。
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