22 嵐がやってくる
翌日、早朝とも言っていい時間にベルガー侯爵家から使者が来た。その使者は、ロザリーとノアの婚約についての書類を持っていた。
――仕事が早い
ロザリーは思う。なんだか、自分が婚約を望み、ノアの想いを利用して婚約したはずなのに外堀を埋められている気がする、と。
皇女が執務を行う部屋の中。
「ノアと、婚約おめでとう。これでやっと安心できるわ」
椅子に座った、皇女がニコニコと笑って言う。ロザリーの一番は、皇女であるはずだった。
否、皇女であるのだ。なのに心を占めるのはノアの事ばかり。
「ありがとうございます。皇女殿下にそう言っていただけるとは思ってもみませんでした」
多分、ロザリーがノアを好きだということを皇女は知っていたから応援してくれていたのだろうか。
自分の想いに気づいたのはつい先日だというのに。
「ですが、寂しいです」
「どうして?」
「婚約したということは、エルフリーナ様が嫁ぐ際についていけないと言うことではありませんか」
「あら、わたくし元々ロザリーをオルメタに連れていくつもりなんて無かったのに」
衝撃のセリフが皇女の口からこぼれ落ちた。
「え?」
ロザリーは、信じられないといった表情でエルフリーナを見つめる。
「わたくし付きの侍女は何人か連れていく予定だったけれど、ロザリーはこの国で少ない女騎士よ。もったいなくて連れていける訳が無いじゃない」
「ですが、私はエルフリーナ様のために」
使える主から連れていくつもりは無かったと言われ、ロザリーは泣きそうになる。自分は約立たずなのだろうか。
「ロザリーが嫌いだとか、貴女が気に食わないからという訳ではないのよ」
泣きそうな幼子を見るような表情でエルフリーナはロザリーに言う。
「連れて行きたいけれど、実力があってかつ国民の憧れになれる女性の騎士は貴女と後数人くらいなのだもの」
「他にもいるなら、私を連れて行ってくださっても」
「んー、分かりやすく言うとね。各騎士団の団長を別の国に移籍させるようなイメージかしら」
「そこまで、ですか」
「そこまで、よ。ロザリーは、自分の事を過小評価しすぎなのよ」
もぅ、と拗ねるマネをエルフリーナはする。エルフリーナからの全幅の信頼が心地良くて、ロザリーは頬が緩む。
公務が忙しく、孤児院や療養院などにいけていないがエルフリーナは帝国内で聖女とまで呼ばれている方なのだ。
エルフリーナに褒められて悪い気持ちになる人間は少ないだろう。
「いつ、正式に発表するの?」
「書類を両家で書き終えた後、すぐにだそうです。もう少し、あとでも良いでしょうに」
急ぎすぎだ。という意味も込めての言葉だった。だが、エルフリーナはなんとも形容しがたい表情をする。
「外堀埋める気満々じゃないの……」
「え?」
「いえ、なんでも無いわ」
小さい声でエルフリーナが何かをつぶやいた気がしたが、彼女がなんでもないというのならあまり気にしなくても良いのだろう。そう、ロザリーは結論付けた。
「エルフリーナ様」
「何かしら?」
エルフリーナ付きの侍女が手紙を持ってきた。うやうやしくそれをエルフリーナに渡すとすっ、と下がる。
エルフリーナは机の上に手紙を置くと上品な仕草でナイフを使い封を開けた。
黙々と彼女は手紙を読み進める。ちらりとみえた封蝋の模様では何処からかははっきりと分からなかった。
読み進めて行くうちにだんだんとエルフリーナの顔が険しくなっていく。ラピスラズリのような濃い色の瞳から温度が消えていった。
何かろくでもない事が書いてあるようだ。手紙を渡した侍女もどこか申し訳なさそうな雰囲気をかもし出していた。
読み終わったらしいエルフリーナが顔を右手で覆った。左手には手紙が握られたままだ。
「ありえないわよ。頭の中にお花畑でもできているのかしら?」
「どうなさいました?」
聞いてはいけない気がしたものの、ロザリーは尋ねた。大抵の事は薄く作り笑いで誤魔化すエルフリーナがここまで言うのだから相当悪い事なのだろう。
ゴクリ、とロザリーは生唾を飲み込んだ。
エルフリーナが色を無くしそうな瞳をロザリーに向けた。疲れきったような表情であった。
「王太子様が、こちらの国に来るらしいわ」
「見間違えでは無いのですか?」
自らの主を疑うのは、仕えるものとしてはあまり良くないと言うか、良くない。が、あまりにも荒唐無稽すぎてぽろりと言葉がこぼれてしまう。
「わたくしもそう思ったのだけれど。何度読んでも『直接誤解をときたいので帝国へ向かう』と書いてあるのよ。何のための会談だったのかしら」
ロザリーと侍女にその一文を示しながら彼女は言った。侍女もなんとも言えない表情をする。そして、段々と怒りがにじみだした。
「エルフリーナ様をどれだけ愚弄すれば気が済むのですか」
小さく、怒りを含んだ声色で彼女は言う。
「何よりまずいのが、後二週間もしたら来る。と書いてあるのよね……。一応、お父様とお兄様に確認しましょう」
引き攣った表情でエルフリーナは告げた。帝国としても侮られる訳にはいかないのだから、と。
その後、エルフリーナが夕食の時間に確認すると一応は知っているという回答が王と、皇太子からもたらされた。
だが、二人とも知ったのは昨日の夕食後だと言うからオルメタの王太子の非常識ぶりに何とも言えない気持ちにロザリーはなるのだった。