第七話 夢のような日々であるからこそ
夢を見た。
黒髪黒目という外見は王国内でも珍しいものだった。少なくとも私は十四年の人生の中で私と同じ黒髪黒目の人間を見たことはないくらいなんだから。
だから、住人全員の顔と名前を覚えられるくらい小さく、偏った集団意識が形成された田舎町においては忌み子だなんだ蔑まれるのも必然だったのかもしれない。人間ってものは大多数とは異なるものに対して過剰に反応するものだからね。それがカリスマ性なんかを生み出して正に傾くこともあるけど、私の場合は負に傾いて忌避されたってだけのこと。
直接的な暴力こそなかったけど、代わりに罵詈雑言は日常的に浴びせられた。まだ文字もろくに書けない子供でも理解できるほどに悪意に満ちたもので、未だに夢に見るくらいなんだから。
それでも、私には両親がいた。
両親だけは味方でいてくれた。
血の繋がりだけが私の支えだった。
それも五歳の誕生日を迎えるまでだったけど。
せっかくの誕生日だから遠出しようとか何とか言われて、そのまま凍える山奥に捨てられた。
もう我慢の限界だと、そう吐き捨てた父親と母親に動けなくなるまで殴られた。それが、生まれて初めて受けた暴力だった。
どうせ最後には村のみんなと同じように悪意をぶつけてくるのならば、最初から優しくなんてしないで欲しかった。罵詈雑言から私を守るように抱きしめてくれた思い出があったからこそ、どんな罵詈雑言よりもその裏切りは響いたんだから。
夢を見た。
それでも私はどうにか生き残った。どうやってなんてもう覚えていない。飢えて死なないためなら何だって食べた記憶と足がすり減るまで歩いた記憶だけが僅かに残っているだけで。
山から下りて、だけどそこは全くの見知らぬ土地で。
そもそも奇跡的にあの田舎町に戻っても待っているのは罵詈雑言と暴力だけ。これまで私を守ってくれた両親こそが率先して悪意をぶつけてくるのが予想できる以上、あの田舎町には戻れるわけもなかった。
そこで私は魔物の群れに襲われた。
獣にも似た、それでいて普通の獣と違って炎や風を操る超常の怪物に、よ。
生き残れたのは奇跡だった。
理屈も何も無視して、とにかく死にたくないという一心でがむしゃらに突っ走った結果、本能が魔法を発現させたから。
それでも複数の魔獣を相手に無傷で済むわけもなく、あのままだと野垂れ死んでいたと思う。
そこで私はあいつらに出会った。
『大丈夫か?』なんて親切ぶったにこやかな笑みを浮かべて、あいつらのリーダー格の男は馴れ馴れしくも抱きしめてきやがったのよ。
今ならそれが全部『演技』だとわかっているから苦々しい思い出になっているけど、あの時は違った。両親に捨てられ、魔獣に殺されかけたところにあんな風に優しくされたら駄目に決まっていた。
あんなに泣いたのはいつ以来だったかな。
この人たちは信用できるだなんて簡単に絆されて、本当情けない。
それから私はあいつらについていった。『表の顔』は中堅の冒険者であるあいつらから提供された衣食住は凍える山奥よりもずっとずっと暖かった。少なくともそう錯覚するくらいにはあの親切ぶったにこやかな笑みに騙されていたのよ。
しばらくするとあいつらから冒険者の仕事についてくるかと言われた。その頃にはあいつらのために何かしたいなんて馬鹿なことを考えていた私は嬉々として頷いたものよ。
あの時の私の魔法は拙いものだったけど、それでも私は依頼を達成する手伝いができている手応えを感じていた。……実際は私の実力に合わせた依頼を受けていただけだったんだけど。
こなした依頼はそのほとんどが魔物退治だった。それもまた殺しに慣れる下準備だったんだと思う。たまに犯罪者の捕縛の手伝いなんかもしていたのは人間相手に魔法を放つことに慣れるためかな。
ある日、私はあいつらの口から聞いたのよ。殺人などの非合法な依頼を受けていることを。
お金が必要なのだとあいつらは言った。
法律では裁けない悪を裁く必要悪だとあいつらは言った。
世界にはこんな生き方しかできない人間もいるのだとあいつらは言った。
親切ぶったにこやかな笑みを浮かべて。
ミルアの力を貸してくれないか、と何ら躊躇うことなく。
もしもあそこで頷いていたら、騙されきっていたら、私はこんな想いをせずに済んだのかもしれないけど、それでも頷くわけにはいかなかった。
理由があれば悪事だって正当化されるのだと受け入れてしまったら、両親が私を捨てたのも正当化される気がしたから。
首を横に振って、明確に拒絶して。
そこでガラリと親切ぶったにこやかな笑みは悪意に塗り潰された。
『だから言ったんだよ。回りくどい上に成功率も低いんじゃないかって』
『うるさいな! 暴力で屈服させるやり方だとすぐに壊れてしまうから新たな支配方式を開拓しようとしたんだろうが!!』
『薬だと頭が馬鹿になって繊細な魔法が使えなくなるしな。まあそれはそれで身体を売って金を稼ぐ媒体としてはそれなりに価値はあるわけだけど』
『どうする? 魔法は使えるままにしておきたいし、暴力で屈服させるか?』
『そうだな。俺らの痕跡を残さないよういつものように魔物をけしかけて適当な金づるを回収するつもりが、予想以上に便利そうなもんが手に入ったんだ。せっかく拾った魔法の才能、無駄にするわけにはいかないわな』
『使えなくなったら薬漬けにすれば一定の金も回収できるし、こいつってば予想以上に良い拾い物だったよなあ』
犯罪組織『悪龍の牙』。
誘拐や殺人をこなし、非合法薬物などを売り捌き、魔物さえも屈服させて使役できるほどに暴力を極めていて、およそあらゆる悪行に手を染めた集団。それがあいつらの正体だったのよ。
私の末路なんて決まっていた。
幼い子供の拙い魔法でどうにかできる戦力差ではなかった。
あんなにも親切ぶったにこやかな笑みを浮かべてその奥にこれだけの悪意を隠せることに、だけど私は何も考えられなかった。
そう、嫌悪とか憎悪とかじゃなくて。
そんな感情を抱く余裕もないくらい打ちのめされていたのかもしれない。
だから、魔法の腕前がどうの以前にろくに抵抗もできなかった。文字通り屈服するまで痛めつけられて、意識を失って、目が覚めた時には全ては終わっていた。
『悪龍の牙』は壊滅していた。
私の知らないところで何かしらの激突があったのか、嵐でも通り過ぎたような破壊の跡が私が倒れていた場所だけは避けていたのよ。
……ぶわりと視界の端に黒っぽい何かが横切ったのを今でも覚えている。急いで振り向いた時にはもう何もなかったけど。
それからも順風満帆な人生とは言えなかった。
学も身分の保証もない幼い子供にできる仕事といえば限られていた。泥を啜るような道のりでは何度か死にかけたこともあった。私に魔法の才能がなかったらとっくに死んでいたはずよ。
夢を見た。
私は『魔法の保護』を政策に掲げる王国からの命令で貴族も通うような名門魔法学園に放り込まれた。その時には名門魔法学園の生徒だろうが何だろうが敵じゃないと胸を張れるくらいに魔法を鍛え上げていた。
魔法だけは私を守ってくれる。
力さえあればどうにでもなる。
その証拠に身分の保証もない私でも魔法の腕前が優れているからこそ貴族とも肩を並べているんだから。
このまま突き進めばいずれは楽して金を稼げる立場を手に入れられるかもしれない。そうなればもう誰にも頼ることなく生きていける。血の繋がりにも親切ぶったにこやかな笑みにも騙されず、たった一人で静かに楽しく生きていけたならば裏切られることもないんだから。
学園ではふとした偶然で知り合った第一王子に口説くように絡まれて、貴族の令息令嬢から売女だなんだと悪態をつかれたけどその程度は全然平気だった。その悪態は幼き頃に浴びせられたものに比べたらそよ風のようだったし、万が一殺し合いになれば生まれが立派なだけのボンボンに負けるわけがないと思っていたからよ。
だから、そう、だから。
遠目から『彼女』を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
漆黒のドレスを靡かせ、四本の縦ロールが跳ねる度に放たれる魔法の数々。
遠目からでもわかった。
あれは、違うと。
私がどれだけ背伸びをしたって決して敵わない『力』なのだと。
それから気がつけば『彼女』を目で追っていた。わかったのは『彼女』が貴族の中でも有名な令嬢であり、見惚れるほどに美しくて、その立ち振る舞いも頭脳も魔法の腕前だって非の打ち所がない完璧な存在だってことよ。
セリーナ=ティリアンヌ公爵令嬢。
セリーナ様は高貴な生まれであり、あらゆる才能に恵まれていて、それをひけらかすことなく誰に恥ずべきことのない堂々とした生き方をしている。
そんなセリーナ様が羨ましかった。私は生まれも平凡で、魔法という一番の才能だってセリーナ様に及ばない半端なもので、これまでの人生恥ずかしいものしかなくて、だからこそそんな私とは真逆に位置するセリーナ様が羨ましかった。
そんなセリーナ様が憎かった。私とセリーナ様。同じ女でありながらどうしてこんなにも違うのかと、少しくらい分けてくれれば私はこんなにも惨めな人生を歩むこともなかったのだと、そう考えたらたまらなくセリーナ様が憎かった。
感情なんてぐちゃぐちゃで、自分でもどうしたいのか整理ができなくて、だけどこれだけは断言できた。
もしもあんなにも眩しいセリーナ様に好意的な言葉をかけられたならば、それだけで私の人生にも自慢できるものが芽生えるんじゃないかって。
実際には声をかけることもできなかった。何せ私は第一王子に絡まれている身。セリーナ様から好ましく思われてはいないのは分かりきっていた。明確に嫌悪の視線で射抜かれたら耐えられそうになかったのよ。
夢を見た。
『これよりミルアさまを監禁させていただきます!!』
『…………、へ?』
夢を見た。
『誰かと一緒にお風呂に入るというものに憧れがありましてどうしても我慢できず……申し訳ありません! わたくしが勝手に監禁しているのに、あのような身勝手な真似をしてしまって!!』
夢を見た。
『ここが花壇ですねっ。ミルアさま、どうですか!?』
『ええっと、綺麗だと思うよ』
『そうですか!? えへ、えへへっ。わたくしが丹精をこめた花壇を気に入ってくれて良かったです!!』
夢を見た。
『よかったです……。わたくしが監禁してしまったせいで辛い思いをさせていないかと思いましたけど、今のところは大丈夫そうですね』
夢を見た。
『ふっふっ。ここ、どうですか? 昔、偶然見つけたのですけど、本当に綺麗だと思いませんか!? いつかご友人を連れてきたいものだと思っていたのですよっ』
こんなの夢に決まっている。
だけど、それでも。
もしもこんなにも輝く思い出が、目を逸らさないといけないと思っていても、我慢できずに受け入れてしまったものが夢でないのならば……ううん、夢でも何でもいい。
セリーナ様が言う未来予知が本当か嘘かなんてどうでもいい。『監禁』の目的なんて知ったことじゃない。胸の奥にどんなものを隠してたって構わない。
せめて最後まで裏切らないでほしい。
血の繋がりや親切ぶったにこやかな笑みのように裏切らないでいてくれるならば、それだけで私は幸せだから。
セリーナ様からいただいたこんなにもあたたかなものさえも悪意に満ちていたら、私はもう耐えられない。
ーーー☆ーーー
目が覚めると、セリーナ様の寝顔が目の前に広がっていた。
「なん、なにっ、なんなんにゃあー!?」
「ん、んっ……おはようございます、ミルアさま」
うっすらと長いまつ毛に覆われた瞼が開く様が妙に色っぽいとか、若干眠気が混じった声もかわいいなとか、今日もセリーナ様は最高に綺麗だなとか、雑念がこれでもかと押し寄せてきたけど、なんとか言葉を搾り出すことができた。
「どっどどっどうしてセリーナ様がこんなっ、ちかっ、うわっ、わわわっ、なにこれわけわかんないっっっ!!!!」
「あら、わたくしは昨日言ったはずですよ」
「昨日? 昨日ってなに!?」
完全にパニクっている私に対して、セリーナ様はどこかいたずらっぽく笑ってこう言ったのよ。
「『朝から夜までずっといっしよですので寂しい思いはさせませんよ』と確かにそう言ったと思いますけれど?」
「だからって朝っぱらからこんなに距離が近いとは思わないよう!!」
これが全部『演技』だったら干からびるまでボロクソに泣いちゃうからね!! ああもう、本当ずるい人なんだからっ。