第十九話 予定調和の通用しない世界
例えば、王都北部の片隅にある集合墓所よりそれは雪崩れ込んできた。
鼻につく独特な腐敗臭に粘着質な異音。
あるいは腕が抉れ、あるいは足がへし折れ、あるいは頭の中身がむき出しとなって、果ては白骨化してもなお動く死体の群れが王都北部を埋め尽くす勢いであった。
「くそっ、なんだってんだ!?」
巡回中だった騎士の青年が炎を纏った剣で動く死体を縦に両断しながら悪態をつく。魔力の塊を『肉の器』に詰め込んで人間のようなものとして振る舞わせる悪趣味な魔法もあるが、これは違う。
魔力を感じない──つまり魔法とは異なる方法論で操られている死者の群れ。死んだはずの人間たちが百だの千だのという規模で我先にと襲いかかってくるのだ。
しかも、悪夢はそれだけに留まらない。
「づぅっ」
「大丈夫かっ」
「問題ないですっ。引っ掻かれただけですから!」
多勢に無勢。
動く死体は百だの千だのという勢いで迫っていた、それをその場に居合わせたたかが数十人の騎士で大勢の民を守りながら迎え撃つというのはいかに剣だけでなく魔法にも秀でた騎士であろうとも簡単なことではない。
風の砲撃で動く死体の群れを迎え撃っていた仲間の騎士が腕を浅く裂かれたところに、ぶわぁっ!! と死体の群れが殺到する。
庇うように騎士の青年は炎の剣を振りかざして前に出る。動く死体はいかに動くとはいえ意味の通ずる言葉までは話すことなく、それこそ本能のままに呻き声を上げながら爪や牙を突き立ててくるだけなので単体ではそう脅威でもないが、それが百でも千でも集まればそのまま殺到して押し潰すだけでもその『質量』は強力な武器となる。
腐敗臭を撒き散らして襲ってくる死体の群れ。
百や千を超える集団の『質量』という力が数十人という小規模な騎士たちを追い詰めていく……だけにあらず。
がぁ、と。
後方。そう、無数の動く死体と同じような呻き声が前からではなく後ろから響いて──
ゴッバァッ!! と騎士の青年の背中に凄まじい衝撃が叩きつけられた。吹き飛ばされながらもそちらに目を向ければ、攻撃を仕掛けてきたのは肉が剥がれるように腐っていく仲間の騎士だった。
風の砲撃でもって動く死体の迎撃を担っていた一人。
腕を動く死体によって浅く裂かれ、微かに隙ができたところを襲われそうになっていたがために騎士の青年は彼を庇うように前に出た。
それこそが間違いだった。
動く死体の本領は魔法以外の『何か』によって死体が殺到している点ではなく……、
(『何か』は僅かな傷からでも入り込み、生きている人間さえも腐り、死に果てて、それでも動く存在に変えるとでもいうのか!?)
吹き飛ばされ、地面を転がった騎士の青年はそこまで考えたところで気づいた。気づいてしまった。
動く死体の群れと正面切ってやり合っていた彼は背中に衝撃を受けて吹き飛ばされた。となれば、彼は孤立無援の状態で動く死体の群れのど真ん中に吹き飛ばされたということだ。
「……ッッッ!?」
四方八方から死が殺到する。
僅かな傷さえも致命傷となる『質量』の前には鍛え上げられた騎士の技術も魔法による炎の剣も何の意味もなさなかった。
すぐに彼も腐った動く死体の仲間入りを果たすことになるだろう。
ーーー☆ーーー
例えば、王都東部ではあらゆる犯罪行為が溢れるように同時発生していた。
厳重に守られた令嬢や大手商会会長の一人娘などあえて手が出すのが困難な女性を狙って犯し殺す『箱入強奪』、魔法に頼らず密室状態を作り出して殺しを楽しむ『完全犯罪請負人』、仲の良い夫婦や初々しい恋人たちがお互いのためを思って行動したことが巡り巡って不幸な事故のように大切な人を殺すよう立ち回る『死神』、必ず標的の首を絞めて悶え死ぬ様子を直接感じることに固執する『絞殺犯』、人間の心臓だけを食べて今日まで生き延びてきた『心喰』などなど、王都東部に現れたのは一人一人が凶悪な事件を引き起こしたとして指名手配されていながらも未だに捕まっていない凶悪犯であった。
彼らの共通項は一つ。
『悪意百般』によって背中を押されたということ。普通ならば途中で躓いていたかもしれないところを『悪意百般』の教育によって燻る悪意を現実のものとして成し遂げるだけの力を得てしまったのだ。
巡回中の騎士は最初の攻防で壊滅していた。
単なる騎士がどうにかできるほど『悪意百般』が生み出した悪意の塊は弱敵にあらず。ゆえにこそ今日まで彼らは王国に指名手配犯として追われながらも逃げ延びてきたのだから。
そんな凶悪犯の一角、『箱入強奪』が目についた職人の娘を襲いながら、口の中で呟く。
「たまにはお手頃なのも悪くないかもな」
巻き込まれたくないからと貴族の本邸が集まる南部ではなくこちらを選んだが、これはこれでいつもと違って新鮮だと『箱入強奪』は口笛さえ鳴らしていた。
そんな彼の周囲では不自然に静寂な家の中で静かに家族が皆殺されており、剣というわかりやすい凶器を片手に襲いかかってくる男から妻を守るために落ちていた大きめの石を振り回した夫が突然の局所的な突風に体勢を崩して最愛の妻の頭をかち割っていて、職人には珍しい若い女性やその子供などが真っ黒な魔法の縄に首を絞められて顔を真っ赤にして悶えながらぶら下がっていて、数十人もの人間が心臓を抉られて転がっていたが、『箱入強奪』は己の世界に閉じこもって趣味を楽しんでいた。
そうやって自分の道を突き進めるからこそ彼は悪意を極めてその名を王国中に轟かせたのだから。
ーーー☆ーーー
例えば、王都中央にそびえ立つ巨大建造物、王の威光を示すがごとく豪華絢爛な王城が幼子が砂山を踏み潰すように崩れていた。
右半分はすでに瓦礫の山と変じており、かろうじて残った左半分からも激震や轟音が連続していた。
「くそ、このままでは国王様や王女様まで殺されてしまうぞっ」
「そうならないために戦うのが王族直属部隊の仕事だろうが!!」
「そんなのわかってるっての! っつーかこの非常時に部隊長はどこいった!?」
「とっくに死んだよ!! 侯爵家のお家騒動だのなんだのくだらない話の果てに権力のゴリ押しで王族直属部隊の部隊長になりやがったボンボンだからな!!」
「くっそ!! せめてリュリエルさんがいればこんなに追い詰められることもなかったってのにっ」
「『大将軍』はいつものごとくどっかいっているし、こりゃあ俺らの肩に王国の命運でも乗っかりやがったかもな! はっはっはっ!!」
「この状況でよく笑えるな!?」
国王の私室に繋がる長い廊下で王族直属部隊所属の二人の騎士が叫び合いながらも魔法を連射する。迫るは凶悪犯とも引けを取らない『組織』の主戦力。その攻撃の凄まじさは内側からの衝撃で王城の半分が瓦礫の山に変じていることからも明らかだ。
『組織』の主戦力が王手をかける。
王国の頂点、支配の象徴である王の血を残さず殲滅するために。
ーーー☆ーーー
例えば、貴族の本邸が多く集まる王都南部はドロドロに溶けて街の形を失いつつあった。
その中心に君臨するは一人の女。
そう、他の区画はあくまで集団で攻めているというのに、王都南部だけはたった一人が襲撃を担当していたのだ。
彼女はどす黒い紫のマントを靡かせ、腰まで伸びた錆びたような銀のボサボサ頭に鮮血のように真っ赤な瞳の女であった。
『腐乱繚乱』。
令嬢を襲うのが趣味の凶悪犯でさえも避ける怪物にして、金のためなら何でもやる最高位ランクの冒険者である。
「ドロドロぐじゅぐじゅ全てを溶かしてふんるんふるーん。最後はワタシが総取りよねえー☆」
鼻歌まじりに腐乱が加速する。豪華な屋敷も護衛の私兵も防衛魔法で守られた地下に閉じこもった貴族だろうともお構いなしに全てが火で炙った飴細工のようにどろりと形を失い、平等に溶け落ちていく。
その中心で彼女はくすくすと凶的なまでに無邪気に肩を震わせて笑う。
金銀財宝、貴族が貯め込んだ財産だけは溶解の対象外として、全てを殺し終わった後の回収作業に思いを馳せて口元が溶けるように緩む。
と、その時だった。
「そこまでだ!!」
だんっ! と『腐乱繚乱』の前に二人の少年が飛び込んできた。その手に握った剣や杖を突きつけて、颯爽と。
「それ以上の悪行はこの俺、代々騎士団長を輩出してきたグランビーア侯爵家の長子、アルフォンルーズ=グランビーアが阻止してくれる!!」
「ふっ。いずれはこの私が父上より宰相の座を譲り受けて支配する国なのだ。あまり好き勝手してくれるなよ」
騎士団長の息子アルフォンルーズ=グランビーア。
宰相の息子ハルト=バーンエンラ。
二人ともが美形と呼ぶべき少年だった。もしもこれが学園を舞台とした恋愛物語であれば主要人物として名を馳せていただろう。
だが、
「さあ、覚悟はいいかっ」
「覚悟?」
「はっ! 学園でも上位に君臨する私たちに倒される覚悟さ!!」
『腐乱繚乱』は首を傾げた。
不思議そうに。本当に不思議そうにだ。
「もう死んでいるアナタたちがどうやってワタシを倒すわけえ?」
え……? という呆然とした音が最後となった。
ドロッとお腹の輪郭が崩れて裂けたかと思えば、内臓という内臓がそこから溢れ出た。そこで止まらず、二人の少年の形はドロドロとした吐瀉物のような粘液へと変わったのだ。
悲鳴をあげる暇もなく、呆気なく終わっていく。
そもそもフラグもルートも生まれず、選択肢は提示されず、物語も始まることなく。
──物語さえ正常に進んでいればこうはならなかったかもしれない。もっとずっと『何か』があったかもしれないのに、可能性さえ踏み躙られて潰えたのだ。
そして、それは彼らだけの話ではない。
物語さえ正常に進んでいれば誰もが『本来の舞台』でその称号や天才という冠にふさわしい活躍をしていたかもしれないのに。
「これも『巫女』が未来を見通して好き勝手に歪めた結果かねえ? まあワタシとしては金儲けができるならどうでもいいけどねえ」




