第十八話 悪意噴出
セリーナ=ティリアンヌ公爵令嬢の目の前で赤が散る。
致命的に状況が進行する。
ミルアの頭が宙を舞う。
明確に、確実に、絶対的に、紛うことなき死が広がる。
「あ……」
赤黒い液体が勢いよく噴き出す。
首の断面から真っ直ぐに噴き出した生暖かい液体がセリーナの顔を濡らす。
ぐらり、と頭を失った肉塊が倒れる。
反射的に手を伸ばして、ぶにゅりと生命の鼓動を感じないモノのような感触に全身が不気味に脈動する。
ミルアの、頭が。
地面に転がったその物体を見てしまったセリーナは、力なく霞んだ黒い目と目があって、
「あ、あう、あっ、ぃ、ああァァあああああああああああああああああああああああッッッ!?」
いくら魔法でも。
失われた命までは取り戻せない。
ーーー☆ーーー
『少年』は笑う。
笑って宣言する。
「さあ、『反乱』の時間だ」
瞬間、王都を激震が襲った。
あるいは王都北部の片隅にある集合墓所より無数の死体が這い出て、あるいは職人の工房が集まる王都東部では無数の犯罪者が手当たり次第に民に襲いかかり、あるいは王都中央の王城へと『組織』の主戦力が侵入し、あるいは貴族の本邸が集まる王都南部がぐじゅぐじゅに腐り果てて、あるいは王都西部でも混乱と悲鳴と鮮血と死が噴き出していく。
『少年』は笑う。
未来を見通す『巫女』を伴って、悠然と王城を目指して歩を進める。
「覚悟はいいか、クソ親父。母上の息子である俺がこの国の玉座を簒奪して、俺こそがお前の息子だということを証明してやる!!」
長かった。
何の才能もない自分が王の血を継ぐ子であることを証明する。その道のりは困難を極めていた。
『少年』だけではここまで至ることはできなかっただろう。
『組織』の力があったからこそ、玉座に手が届く位置まで辿り着くことができた。
『組織』。
王国を根本よりひっくり返そうと企む『反乱』因子だけでなく、単に暴れたいだけの犯罪者や金目的の冒険者など清濁でいえば濁が色濃い者たちの寄せ集め。
『組織』は決して正義の側ではなかっただろう。
それでも何の才能もない『少年』が玉座を望むのならば正当法など選んでは到底なし得ないというもの。
母親のためにも自分が国王の息子であることを証明する。
自分を王位継承権を持つ第二王子として認めさせてやる。
最後の最後まで国王のことを愛していた母親への手向けを手に入れるためなら、こんな国一度滅んでしまえ。
「あ、ちょっと待ってくださいっ」
「なんだ、『巫女』?」
煩わしそうに『巫女』に視線を向ける『少年』。
『巫女』はその瞳で見た者の未来を見ることができる。ゆえに『少年』が玉座に至る未来も見通すことができる。『組織』がいずれ玉座を手にする可能性の未来を内包する『少年』に接触してきたのは何かしらの思惑あってのことだろうが、『組織』としても『少年』に玉座を手に入れてほしいからこそ接触してきたのだ。互いに利用価値があるうちは協力してもいい。もちろんいずれはこのような濁に満ちた『組織』など切り捨てるが。
そこで『巫女』の右腕が『少年』の胸を貫いた。
「が、ぶ……っ?」
意味が。
わからなかった。
『組織』は『少年』に接触した。何かしらの利益を求めて『少年』が玉座を得ることに協力していた。それが、なぜこのタイミングで裏切る? まだ『反乱』は始まったばかりだ。何もなし得ていないタイミングで『組織』が『少年』を切り捨てる理由があるとは思えない。
「ふっふ☆ その顔です。その顔を引き出すための『私の神』の遊び心だったんですよ」
「な、何を、がぶべぶっ!? なんの、話を……!?」
「まさかとは思いますけど、『組織』が貴方に協力を持ちかけたのは自分が半分とはいえ王の血を継ぐ特別な存在だから、とでも思っていたんですか?」
ぞくぞくと。
背筋を甘く震わせ、頬に飛び散った『少年』の血をこびりつけた『巫女』は色香を濃縮したような熱っぽい吐息を吹きかけながら言葉を紡いでいく。
「正直に言って、貴方と協力する理由はなぁーんにもなかったんですよね。多少は本当の計画まで教えていましたけど、そこから情報が漏れるかもしれないことも含めて『私の神』の遊び心だったんですから。本当、『私の神』ってばお茶目ですよね」
「……ッッッ!?」
「それと、もう一つ」
今更のように女が男の胸を貫いている状況に周囲から悲鳴があがるが、どうせ王都はこれから逃げ場のない悪意の坩堝と化すのだ。いずれは潰える命に構う必要はない。
それよりも、大事なのは目の前の『少年』である。
計画に必要な人材ではなくとも、この一瞬のためにこれまで時間をかけて協力関係を続けてきたのだ。その集大成を堪能するのが『神』に仕える下僕としての絶対的な使命である。
ゆえに胸を貫いた腕で『少年』の身体を抱き寄せて、聖職者らしくもなくドロドロとした欲を誘う豊満な胸が触れるほどの距離で『巫女』はこう言った。
「貴方は真っ当な手段では玉座が手に入らないと考えて『組織』を頼ったようですけど、腐ることなく努力を重ねて、補欠合格でも何でも名門魔法学園に通うことができればルートによっては玉座だろうが何だろうが手に入る未来もあったんですよ?」
その顔を『巫女』は生涯忘れないだろう。
未来を見通す彼女の言葉だからこそ、そして今にも死にゆく自分への言葉だったからこそ、そこには嘘はないと確信できたのだろう。
だからこその絶望。
選択を誤ったことを今更ながらに痛感するこの一瞬。そのためだけにこれまでの全ては積み重ねられていたのだから。
濁に満ちた『組織』。自分勝手な理由で殺しを撒き散らす犯罪者集団に頼ることなく、真っ当に努力していれば──そう、母親に恥ずべきことのない道さえ選んでいればもしかしたら憎悪に縛られることなく、ルートによってはいずれは玉座を手に入れることもできていたかもしれないのに。
才能がないから、国王が自分を認めてくれないから、もう他に手段が思いつかないからと、そうやって言い訳を重ねて悪の道を選んだ時点で『少年』は終わっていたのだ。
「まあ、現実のミルアを手に入れて貴方にとってのハッピーエンドを掴むのは乙女ゲームよりも困難みたいですけどね?」
笑う、笑う、笑う。
『少年』の絶望をおかずに自己を慰めるような醜悪な悪意に晒されながら、母親のために玉座を求めた第二王子の命は尽きた。
ーーー☆ーーー
『少年』の亡骸をそこらに捨てて。
王都を埋め尽くす勢いで轟音や悲鳴が炸裂する中で『巫女』は両手を広げ、天を仰ぎ、まさしく狂信を浴びて溶けるような笑みでこう言った。
「さあ、さあ! さあ!! 全ては『悪意百般』のために!!!!」
頬に飛び散った『少年』の血を舐めながら、未来を見通す女がたった一人の男のためだけに世界を破滅の運命に突き落とす。




