第十四話 燻るは奇跡か、それとも
迫るはミルアの命をいとも簡単に奪い去る暴力的な破壊魔法。わかっていて、回避も防御もできないほどにミルアの頭の中は謎の衝撃にかき混ぜられている。
指の一本も動かせず、無防備に粉砕される──その寸前のことだった。
ぱぁっっっん!!!! と。
その音と共にミルアの頭の中を巡っていた衝撃が散らされた。
「大丈夫ですか、ミルアさま?」
庇うように前に立ち。
迫る破壊魔法を腕の一振りで薙ぎ払い。
金髪の縦ロールを靡かせて彼女は振り返る。
セリーナ=ティリアンヌ公爵令嬢。
ミルアを襲っていた謎の衝撃も純粋な破壊魔法もあの一瞬で即座に『相殺』したのだ。
「あ、りがとう……セリーナ、様……うえっぷ」
「三半規管を揺らされたり、脳の神経を直接狙われたのですから気持ち悪かったでしょう。申し訳ありません。もっと早くに対応できていればミルアさまに辛い思いをさせずに済んだのですけど」
「そんな、セリーナ様が気にすることじゃないって。それにしても、ちえ。こちとら身体強化魔法使っていたってのにお構いなしかあ。情けないったらないよね」
「普通の魔法使いであればそもそも衝撃に身体が耐えられず爆散していました。あの殿下の一撃を耐えただけでもミルアさまは凄いですよ」
「……はっは」
セリーナは別に嫌味を言ったつもりはないのだろう。
だが、あれだけセリーナを助けると大言壮語しておいて一撃でやられかけて逆に助けられるだなんて情けないにも程があるし、何よりその結果を仕方がないと思われているのが心底情けない。
ミルアでは第一王子には勝てないと、セリーナにまで思われていることが本当に悔しい。
「なるほど」
「ッ!?」
ほんの僅かな一言。
何てことのない一言にすら肩が跳ね上がる。
第一王子は言う。
不思議そうに己の掌を眺めながら。
「愛想がつきたかと思ったが、あんなにも手加減するとはな。まだ僕の中にも愛着が残っているのかもしれないな」
セリーナが助けてくれなければミルアは死んでいた。『魔法の保護』のために王国に目をつけられるだけの才能も、名門魔法学園でも上位に位置する実力も関係ない。第一王子とミルアには天と地ほどの力の差がある。
「ミルアよ。今すぐ己の過ちを認め、僕に傅くならば愛人として愛でてあげよう。どうだ? こんなにも慈悲深い提案も他にないとは思わないか?」
「…………、」
ミルアでは第一王子には勝てない。
王族に逆らってもいつかどこかで殺されるのは目に見えている。
一生ぐーたら過ごすと決めた。
血の繋がりも親切ぶったにこやかな笑みにも騙されたあの瞬間からもう誰も信じないと決意した。
だから。
だけど。
「セリーナ様は、どうするつもり?」
「殺すに決まっているだろう。今回の件がなくとも、僕を前にしても媚びへつらわないあの女だけは殺してやりたいと思っていたからな」
「だったら私の答えは一つだよ」
思わずミルアは笑っていた。
ここで笑えることが、全てだった。
「だぁれがお前なんかの愛人になるかっつーの!!」
立ち上がり、並び立つ。
自分を庇ってくれていたセリーナの隣へと。
「本当によろしいのですか、ミルアさま? 今ならばまだわたくしの破滅に巻き込まれずに済むのですよ?」
「代わりにセリーナ様を見捨てて? そんなのごめんだよ」
「……満足していたのですよ。ミルアさまと過ごしたあの日々があったお陰で、わたくしは己の破滅だって受け入れる覚悟が決まったのです」
ですけど、と。
セリーナの顔がくしゃりと歪む。
「わたくしの我儘のせいで、監禁などしてしまったせいでミルアさまを死なせてしまうのならば、それは、そんなのはっ!!」
「セリーナ様」
そっと。
つまらないことを紡ぐその可憐な口に指を添える。
今にも泣きそうな大好きなその人へと、だからこそミルアはこう言ったのだ。
「我儘だっていうならそれは私のほうだよ。だってさ、第一王子のクソ野郎にあれだけの力の差を見せつけられて、それでも負けてやるつもりは微塵もないんだから」
「っ」
「私は死なないし、セリーナ様も殺させない。そのためなら王族だろうが何だろうがぶっ飛ばしてやるんだから!!」
だから。
だから。
だから。
「もういい」
ゾッとミルアの背筋にこれまで感じたことのない悪寒が走る。
魔物の群れに殺されかけた時も、犯罪組織『悪龍の牙』に襲われた時も、冒険者として殺されかけたいくつかの激闘の時だって感じたことのない、絶対的な力の波動が戦場を舐め尽くす。
「処刑決定だ」
第一王子グルス=イミテーションフロンティアの宣告がどこまでも冷たく響き渡る。
最上位魔法さえも会得しているセリーナ=ティリアンヌ公爵令嬢であっても勝てるとは断言できない、絶対的な怪物による破滅が解き放たれる。
ーーー☆ーーー
「ハッ!」
幼さを残しながらも『危険な魅力』に満ちた女騎士リリアは腰に差した剣を抜くことなく、迫る黒装束へと先程切断された腕とは逆の掌を向ける。
ゴッ!! と放たれるは烈風。局所的な竜巻、槍にも似た一撃が鋭く黒装束の胴体へと突き刺さる。最年少で騎士となったのは伊達ではなく、その魔法は軽く民家の一つや二つは貫くほどの威力を秘めていた。
そんなことお構いなしに黒装束は突っ込む。胴体に直撃した槍のごとき一撃を力づくで散らしながら。
「くっそ、無駄に頑丈っすね!!」
お返しとばかりに先に倍する勢いで暴風が放たれた。一点に集中することなく、面で制圧するほどに広がりながらもリリアの魔法を凌駕する威力の魔法がだ。
「ッ!?」
回避できるような隙はなかった。かろうじて片腕で身体を庇い、そこに魔力を盾のように展開できたが、直後に激突した暴風の『壁』の前にはほとんど意味はなかった。
深く、深く、身体の奥まで響く衝撃。
バギベギバギィッ!! と腕の骨どころか全身の骨が軋み、砕ける音が響く。葉っぱのように根っこから抜けた木々が舞う中、リリアの華奢な身体が軽く数十メートルは吹き飛び、地面に叩きつけられ、何度も何度も跳ねる。
ここまでくると痛みを認識すらできなかった。
前後の記憶が溶けるように不確実だ。夢のように現実が霞む。それでも、だとしても、『敵』はリリアが衝撃から立ち直る時間を与えてはくれない。
「づぅ、ァァ……ああああああッッッ!!!!」
無理にでも叫び、微睡みに落ちそうになる意識を繋ぎ止める。いつの間にか喉に詰まっていた血の塊ごと叫びを吐き出して、切り取られた左腕と違って砕けてはいてもまだくっついている右腕を地面に叩きつける。
今更になって全身に激痛が走るが、それは意識が現実に戻りつつあるから。顔を顰めながらも強引に立ち上がり──目の前に黒装束が迫っていた。
咄嗟に魔法を放つが、万全の状態で放った魔法が通用しなかったのだ。全身を砕かれ、しかもやぶれかぶれに放った魔法が通用するわけもない。
腕の一振りでリリアの魔法は吹き飛ばされた。そのまま伸びた手がリリアの首根っこを掴み、その勢いのまま地面に叩きつけられた。
「が、は……っ!?」
「騎士といえどもこの程度か。まあ先程の第零とかいう連中も大したことなかったし、想像通りではあるが」
「だ、い……ぜろ? がぶべふっ!?」
黒の布で覆われているがためにどんな表情を浮かべているかはわからないが、その声音には嘲るような色が乗っていた。
振り上げられた腕に魔力が集う。
その一撃は確実にリリアを殺すことだろう。
「まっ、て……ころさ、ないで。なんでも、するからっ」
弱々しく、それでいて庇護欲を誘うような声に黒装束の動きが止まる。舌で舐めるようにじろじろとリリアを身体を見やる黒装束。やがて嘲るような色がぐつぐつと煮えたぎるような欲に塗り潰されていく感触をリリアは確かに感じていた。
「『組織』の敵は殺すのが基本だが、せっかくの上玉だ。少しくらい楽しむのもアリかもな」
「た、たすけて……くれる、のですか?」
「それは今後のお前次第だな」
「そう、ですか。……それでは──」
そこで。
『危険な魅力』にぐらつき、先程までの容赦なき攻めが緩んだその隙をリリアは見逃さなかった。
ゴッバァッッッ!!!! と凄まじい爆音が炸裂した。
これまでの攻防からも分かる通り、真っ当な方法で黒装束に勝つにはリリアの魔法は力不足だ。ならば、真っ当ではない方法で力を底上げすればいい。
例えば暴発。
制御できる以上の魔力を注ぎ込み、暴発するのも厭わず魔法を発動すればどうなるか。威力『だけ』ならこれまでの魔法を上回ることもできる。
黒装束の四肢が千切れ、宙を舞う。
顔を覆っていた布が剥がれ、欲望剥き出しのままに死に絶える。
「はっは……ちょろいものっすね」
もしも『危険な魅力』を振り切っていれば暴発させるほどの魔力を術式に注ぎ込む隙を与えることなくリリアを殺すこともできていただろう。使えるものは何でも使う。騎士らしくなくとも、持っている才能は全て使わなければ今のリリアは『せんぱい』に遠く及ばないのだ。せめて足手まといにならないくらいの働きはしてみせる。
「が、がぶべぶっ!?」
リリアも決して無事ではなかった。何せ意図して暴発を引き起こしたのだ。ある程度指向性は黒装束へと向くように調整したが、思うがままに制御できないからこその暴発だ。爆発の衝撃は確かにリリアの肉体にも襲いかかっており、全身が重度の火傷で覆われていた。
黒装束との初めの邂逅で左腕を切断されたこともあってダメージは深刻だった。足に力が入らず、這うようにしか動けなかった。
それでも彼女は前に進もうとしていた。
『せんぱい』と共に戦うために。
ーーー☆ーーー
それは二人の女騎士と黒装束たちが激突している地点より数キロ離れた森の一角でのことだった。
土が盛り上がり、腕が生える。
正確には埋められていた人間が這い出てきたのだ。
『候補』たるミルア捜索の任務についていた第零騎士団の一人。黒装束の集団に殺され、埋められていたはずの騎士である。
「んっ、ぺっぺっ。まさか……みそっかすなわたしはともかく、みんながこうも呆気なく……やられちゃうとか驚きだっつーの」
隠密のために目立たない平服姿に金と赤の混ざったツインテールの彼女は黒装束たちとの勝負で勝ち目はないと悟った時点で『死んだふり作戦』を決行。わざと攻撃をくらい、自分で自分の心臓を止めながらも主要な臓器の機能は維持できるよう血流に頼ることなくエネルギー補給が可能となる魔法をかけて、一定時間が経過したところで心肺蘇生系統の魔法が発動するよう弄った術式をかけておいたのだ。
敵が油断せずに肉体を粉々にしていれば普通に死んでいたので賭けではあったが、彼女は賭けに勝って生き残った。汚れ仕事専門でありながら最後の最後に誇り高く戦って死ぬ道を選んだ仲間たちと違ってだ。
「ばかね。最後に笑うのはずる賢いヤツだっつーのにさ」
己が這い出た穴の奥から覗く死体を一瞥して彼女はそう吐き捨てた。振り切るように視線を前に向けて、泥で汚れた頬を腕で拭い、立ち上がる。
今までもこうやって生き残ってきた。
学も女らしい美しさも誇るべき血筋も第零の仲間と比較して優れた武や魔法の腕前がなくとも、彼女は最後の最後まで生き残ってきたのだ。
どれだけ情けなくとも、生き残らなければ何の意味もない。全ては生きていればこそだ。
彼女は空気を軸とした通信魔法で現状を第零騎士団の本部に報告する。後は応援を寄越してもらえれば謎の敵勢力も終わりだ。あくまで先遣隊でしかない彼女たちと違って第零騎士団には猛者が揃っている。中でも団長は他の団員が束になっても足元にも及ばない化け物だ。
「…………、」
最善は尽くした。
ここから先は第零騎士団本隊に任せればいい。
だから。
だけど。
「まあ、本隊が到着するまで時間もあるし、敵勢力の規模を探るくらいはしておこうかな」
脳裏に浮かぶのは穴の奥から覗く仲間たちの末路。
最善は見えていても、理性では何と取り繕おうとも、『仲間』と呼んでいる者たちの末路に対して何も感じていないわけではないのだから。




