第十三話 激突
ミルアは身体に流れる魔力を意識する。
全身に巡らせ、術式を展開し、魔法へと変換する。
身体強化魔法。
胴体視力や反射神経、膂力に脚力など身体という『記号』に関わる全てを増幅する、単純であるがためにあらゆる状況にも対応可能なミルアの得意技である。
この魔法のお陰で小さな町を丸々吹き飛ばした魔獣の咆哮が直撃しても重傷ながらに生き残ることができた。とりあえず身体強化魔法さえかけておけば瞬殺されることはないので、敵の出方を見て対応することができる。
第一王子グルス=イミテーションフロンティアと真っ向から睨み合い、油断なく身構える。
相手はセリーナの防衛魔法さえも軽々と粉砕する怪物だ。少しでも気を抜けば即座にやられる。セリーナを助けたいと言い放ったならば時間停止さえも可能な怪物を撃破しなければならないのだ。
瞬間、ぐっわあんっっっ!!!! とミルアの頭にノイズにも似た強烈な衝撃が炸裂した。
「が、ぶ!?」
油断はなかった。何がきてもいいように神経を限界まで研ぎ澄ませていた。
それでも、一蹴された。
時間停止ではない。そんなもの使うまでもなく、第一王子の一撃はミルアをぶち抜いた。
体勢を崩したことまではかろうじて認識できたが、そこから先はもうダメだった。自分が仰向けに倒れているのかうつ伏せになっているのかもわからない。視界が歪み、思考が散り散りになる。
衝撃波のようなものをぶつけられたのだろうということくらいは理解できたが、詳しい理屈までは読み取れなかった。
ミルアだって平民でありながら『魔法の保護』のために王国に目をつけられているほどの才能の持ち主だ。決して弱いわけではないというのに、第一王子はお構いなしだった。
これが王族。
これが王国の頂点に君臨することが確約された男の本領。
確かに彼は特別なのだ。そのことを嫌でも突きつけられる。
「なーんか、冷めたな」
「が、ぁぶあ……ッ!!」
その声だけが。
ミルアの頭の中に直接流し込まれているように響いた。
「ミルアが僕ではなくセリーナを選ぶような女だったとはな」
「ぎがっ、ばぶあ!?」
ろくに言葉を返すこともできなかった。
怪物の意思だけが戦場を席巻する。
「うん。もういらないな、こいつ」
第一王子はミルアを口説いている。
それをミルアは単なる遊びだと断じた。例え第一王子が最愛だの真実の愛だの囁こうとも、断固としてだ。
その理由がここにある。
愛を囁いていた第一王子自身が己の言葉に何の疑いも持たずに本気でミルアを愛しているつもりだったとしても、血の繋がりや親切ぶったにこやかな笑みを経た少女には所詮は遊びだと丸分かりだった。
そうでなければ、第一王子の言葉があんなにも軽いわけがないのだから。
「死んでしまえ」
ゴッッッ!!!! とセリーナの防衛魔法を力づくで粉砕したほどの純粋な力の塊が襲いかかる。
ーーー☆ーーー
リリアは昔から多彩な才能に満ちていた。
一を教えれば十を理解する頭脳、冒険者さえも舌を巻く身体能力や魔法の腕前、何より愛らしい外見を利用して人の心を掌握する演技力は幼少の頃から周りの大人を好きに操るほどだった。
将来の道は無限に広がっており、騎士なんかよりも安全で多くの財産や権力や名誉を手に入れる道だっていくらでも存在したはずだ。
それでも彼女は騎士になった。
十四歳と歴代でも突き抜けた最年少の騎士として王国からもその才能を評価されている。でなければ絵本の中の騎士のごとく多くの事件を解決に導いた王族直属部隊最強の女騎士リュリエルと共に働きたいという要望が叶えられることもなかっただろう。……他の何事も我慢するけどあの人のそばで働けないなら騎士なんてやめてやると全ての騎士団の頂点に君臨する『大将軍』に真っ向から食ってかかったのは騎士の間で語り草になっているほどだ。
「……はっは」
前述の通り、リリアは騎士以外にも様々な道を選べるだけの多彩な才能に満ちている。中でもその外見は周りの大人たちを骨抜きにして好きに操ることができるレベルであり、幼さが残ることさえも背徳的な色香に変えているほどだ。
騎士として正規の支給品である赤を基調としたレザーアーマーを纏っていながら微かに覗く首筋や蠱惑的な唇、妖しく光る紫の瞳に腰まで伸びた淡く光る赤い髪と至る所に人を惹きつけるだけの『危険な魅力』が秘められている。
誰もがその『危険な魅力』に骨抜きにされた。
ただ一人、リュリエルだけがリリアを特別扱いすることはなかったが。
今も一人で先走った第一王子を追いかけて森の中を駆け抜けているが、その背中はリリアが熱心に見つめているというのにまったくもって動じない。他の有象無象であれば視線を向けられている気配だけで幸福に骨抜きにされるというのに、だ。
そのことが嬉しくて、だけど振り向いて欲しいというのはどこまでも矛盾した望みだろう。あの日、偶然出会ったリュリエルが自分に振り向いてくれなかったからこそ惹かれたというのに。
「せんぱあーいっ」
「何?」
あらゆる方面に適した才能を詰め込んだリリアと違い、才能なんてなくとも騎士として人々を救うため『だけ』の力を泥臭くも積み上げたリュリエルは女であるということが霞むほどにその肉体を鍛え上げていた。
その愚直なまでの努力の結晶がリリアには眩しかった。そこまでして誰かのために人生を捧げられる本質がたまらなく眩しかった。
生憎とリリアにはそんな生き方はできない。
あの日からリリアの全てはたった一人のために費やすと決めているからだ。
だから。
だから。
だから。
「気づいているっすよね?」
「ええ」
ガガガギィンッ!!!! といくつかの激突があった。
「ちえ。こりゃー『敵』云々とかっていうせんぱいの予想的中っすかね?」
ぼとり、と何かが落ちた。
それはリリアの左腕だった。
肉も骨も均一に切断された綺麗な肩の断面から勢いよく鮮血が噴き出す。相当な痛みが走っているだろうに、脇腹を浅く切り裂かれただけで済んでいるリュリエルに余計な心配をかけないために漏れそうになった悲鳴を呑み込む。
きっかけこそリリアの我儘だったが、それでも王族直属部隊最強の女騎士と名高いリュリエルのそばに配属を許すくらいにはリリアの力も認められている。そんなリリアがこうも簡単に片腕を奪われるほどの『敵』が立ち塞がっていた。
あるいは木の枝の上に、あるいは地面から這い出て、あるいは真正面にと気がつけば数十もの人影が現れていた。
黒装束で顔もわからないほどに全身を覆った集団。
先程はその数人が攻め込んできただけであり、それでもリリアは片腕を奪われるだけで向こうに傷を負わせることもできなかった。
そう、リリアは、だ。
騎士として必要な能力『だけ』を愚直なまでに詰め込んだ、戦いに特化した肉体。王族直属部隊の一員として最低限の身なりこそ整えてはいるが、動きやすさだけを求めて短く揃えた金髪も碧眼も肌の一片に至るまで暴力を追及して磨き上げられている。
リュリエルがいつの間にか腰から引き抜き、その手に握る長剣は赤く染まっていた。その赤は彼女に襲いかかり、地面に倒れた死体のものだ。
第一王子を追いかけていたら並々ならない力を持つ集団が襲ってきた。そのことを偶然で片付けられるわけがなかった。
『敵』。
狙いが例の失踪少女なのか、彼女を探しにやってくる第一王子なのかは知らないが、これだけの力の持ち主たちが関わっているのだ。その目的は決して楽観視できるようなものではないだろう。
「リリア。下がってなさいと言って、聞いてくれる?」
「アタシにとってそれは死ぬよりも辛いことっすよ?」
「なら、仕方がない」
どこか苦笑を混ぜて、リュリエルは言う。
「必ず生き残りなさい。わかった?」
「それがせんぱいの望みなら死んでも叶えてやるっすよ!!」
直後に四方八方から数十に及ぶ黒装束が襲いかかってきた。数人でさえも多彩な才能を秘めた女騎士の片腕を奪うような暴力が十倍もの勢いで殺到する。




