第十二話 唯一絶対の想いを握りしめて
第一王子グルス=イミテーションフロンティアが主要な軍事施設並みの防衛魔法を破り、失踪した少女の痕跡を追ってたどり着いた屋敷に足を踏み入れた時だった。
色とりどりな花が咲き誇る中心に彼女は現れた。
セリーナ=ティリアンヌ公爵令嬢。第一王子の婚約者にして彼の最愛なる少女を奪い去った下手人が、だ。
「セリーナ、残念だよ。まさか貴様がここまで醜い女だとは思わなかった」
悲嘆するように、それでいてわざとらしく彼は言う。
「僕の寵愛を受けられず、嫉妬からミルアに手を出すとは愚かと言わざるを得ないな! そんなことをしても僕が貴様を愛することなどないというのに!!」
第一王子にだって真っ向から己の意思を伝えることができる強さを持つかの公爵令嬢が煩わしいとマトモに相手をしてこなかった。これまで一度だってまともに向き合ったこともないのに、それでも自身が愛されているのは当然だと第一王子は本気でそう思っていた。
次期国王である立場。
平均よりも整っている顔立ち。
そして何より王国最強と呼んでも差し支えがないほどに驚異的な魔法の腕前。
そのどれもが男としての魅力に違いなく、この世の女はすべからず自分に惚れるのが当たり前なのだから。現に第一王子の周りには彼に媚びへつらう人間に満ちている。……実際には次期国王であるという一点が周囲の人間を惹きつけているのだが、持ち上げられることが当たり前の環境で育った彼がそんなことに気づくわけもなかった。
「嫉妬に狂った醜い女よ。貴様のような悪女とこれまで婚約関係にあったとは僕の一生の恥だ! 今すぐ婚約を破棄させてもらおう!!」
ゆえに彼には裏表はない。
何かしらの隠し事や真の企みがあるわけでもない。
コソコソ裏で動かずとも、気に食わないならばどんな敵でも真っ向から粉砕できるという絶対の自信があるのだから。
そう、こうして表に噴出しているものが彼の全てなのだ。
「加えて」
だから彼は己が言葉に疑いを持つことなく、正義の側に立ったような気分でこう叫んだ。
「僕の最愛を誘拐し、心に傷をつけた罪は重い。わざわざ法に則るまでもなく、貴様は僕の手で今すぐ処刑してくれよう!!」
「……ッ!?」
流石のセリーナもその言葉は無視できなかった。
避けられない破滅なら受け入れていた。誘拐の罪を償うことだって当然だ。だが破滅の内容は公爵家からの勘当や国外追放であり、誘拐の罪だって死刑になるほどではない。
それがこんなにも馬鹿げた話になるとまでは予想していなかった。
いいや、正確には死ぬこと自体は物心ついた頃にはもうわかっていたことだが、ここまで取り繕うこともない展開になるとは思わなかったのだ。
(これはミルアさまにも言っていませんでしたけど、わたくしの本当の破滅は国外追放されてすぐに事故死することでした。正確な事故の様子までは予知できませんでしたけれど、流石に単なる事故であるわけがありません。公爵家の庇護から外れたわたくしを事故に見せかけて殺す方法はいくらでも存在しますからね。ゆえに殿下から婚約破棄を告げられ、公爵家から勘当されてしまえば庇護を失って殺されることとなるのですけれど、まさか国外追放される前に殺されることになるとは)
第一王子には時間停止の魔法がある。いかにセリーナが要塞に匹敵する防衛魔法を使用可能なほどの実力者であっても第一王子と真っ向からぶつかれば敗北するのは目に見えている。
破滅はやってきた。
未来予知とは少し違ったが、結局は避けることはできなかった。
幼い頃から何度も予知してきて、何度だって足掻いても、それでも回避できないとわかっていた破滅だ。いいや、正確には本当に破滅を回避したかったのならばミルアを監禁するのではなく殺すべきだった。そんな道を選べなかった以上、セリーナがこうなるのは必然だった。
「ふっふ」
避けられない死の運命を前にして、セリーナの口から溢れたのは命乞いでもなければ悲観に満ちた怨嗟の声でもなかった。
「ミルアさまのこと、監禁しておいてよかったです」
なんと身勝手な言葉だろうか。最後の最後になってこんな言葉が漏れてしまうことが己の醜さを証明している。
それでも、それが、セリーナの紛うことなき本音だった。
だからこそミルアを『騙した』のだから。
「くだらない戯言を。もういい、貴様はここで死ね!!」
破滅が。
一人の令嬢を呑み込む。
ーーー☆ーーー
「させるか、こんにゃろーっ!!」
ゴッドンッッッ!!!! と、何かしらの破壊魔法でセリーナを殺そうとしていた第一王子が殴り飛ばされる轟音が花咲き誇る決戦の場に響き渡った。
ーーー☆ーーー
それを、セリーナは信じられない心地で見つめていた。
平民が王族を殴り飛ばすという死罪になってもおかしくない不敬もそうだが、何よりどうしてミルアがここにいる?
転移魔法によって数百キロ先に転移したはずなのに、だ。
「セリーナ様」
二人の間に立ち塞がっていた邪魔な男は魔法で強化された拳で数十メートルも滑空するほど遠くに殴り飛ばした。ゆえに二人の間を隔てるものはもう存在しない。
真っ直ぐに、ミルアはセリーナを見つめる。
言い放つ。
「助けにきたよ」
そこには何の怯えもなかった。
そこには何の悪感情もなかった。
そこには何の躊躇もなかった。
第一王子という極大の脅威を敵に回してどうなるかなどミルアもわかっているだろうに。
「どう、して……わたくしはっ! ミルアさまを『騙して』、こうして巻き込んだのですよ!?」
「…………、」
「最後まで裏切らないで、とそう言われて即答できない悪女でしかないのです! それなのに、どうして戻ってきてしまったのですか!?」
「そんなの簡単だよ」
繋げる。
ゆっくりと、それでいて確かに一歩踏み出すための言葉を。
「私はセリーナ様を助けたいと思った! 例えいつか裏切られることになろうとも、それでも私はセリーナ様のことが大好きだから!!」
やはりその言葉は真っ直ぐに放たれた。
たった一つの真実だけが込められていた。
「教えてよ、セリーナ様。私を『騙して』何をしようとしていたのか。それも含めて、セリーナ様の全部を受け止めてみせるから!!」
「み、るあ……さま」
「大丈夫。この気持ちはセリーナ様のどんな一面を見たって揺るがないからさ」
そして。
そして。
そして。
「な、にを……言っている?」
ゆらり、と。
怪物が立ち上がる。
「今大事な話をしているってのに、もう起きてきやがった」
「ミルアっ。何を言っているのだ!? 僕の最愛にして真実の愛を教えてくれたミルアがどうして、そんなっ、セリーナはミルアを監禁した悪女ではないか!!」
「ごちゃごちゃとうるさいのよ、クソ野郎」
ある意味において第一王子とセリーナに差はなかったのかもしれない。それは大きく、雑にくくっての話ではあるが、双方共に身勝手にも強引にミルアに近づいたことに変わりはない。
それが無遠慮に話しかけることなのか、監禁という形で距離を詰めてくるかであっただけで。
ならば双方の違いはどこにあったのか。もちろん性格や接し方、他にも細かな違いはあっただろうが、全ては一言で説明できる。
好きか、そうでないか。
物を拾ってもらっただけでもその相手が誰かによってときめきを覚えることもあれば嫌悪を覚えることもある。同じ行動であっても好きな相手からされれば嬉しいものだが、嫌いな相手からされれば鬱陶しいものだ。それが、残酷なまでの人間の本質なのだ。
だから第一王子ではダメだった。
セリーナでないと、ミルアの心は動かなかった。
別に監禁という形が特別なわけではない。学園において無遠慮に近づいてきたのがセリーナであり、今回と同じように言葉を交わして時を重ねていたのならば、ミルアを監禁してきたのが第一王子であった時点で即座に拒絶していたはずだ。
だからミルアに迷いはない。
むしろ『今の』ミルアにとって己の末路よりもセリーナのことが大事に決まっていた。
「セリーナ様のことを殺そうとしやがって! お前だけは絶対にぶっ飛ばしてやるから覚悟することね!!」
もういいだろう。
第一王子ではダメであり、セリーナでないといけないのならばやるべきことは一つ。
さあ、拳を握れ。
あらゆる破滅から大好きだと言えた彼女を守り抜いてみせろ。




