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高齢化日本のウンコ法

作者: 銅大

 タブレットの小さな画面の中で、親友は唇の端を歪めて笑った。


「それできみは、心を痛めているわけか。なんとも繊細な話だ」


 皮肉げな笑みと、悪たれ口は、大学時代からの親友の癖だ。

 正しくは、大学時代を知る相手にのみ向けられた癖、であろうか。


「きみは、施設に入った父を見ていないから、そのようなことが言えるのだ。今の父の状態は、異常だよ」

「見たところで、同じだよ。わたしの知る君のお父上は、きみが大学時代の溌剌はつらつとした、立派な人格者だった。わたしにとっては、昨今の偏屈で怒りやすくなったという方が、異常に思えるね」

「気楽に言ってくれる」


 わたしが憮然として酒の杯を掲げると、親友は肩をすくめた。

 右肩だけ、あがっていない。

 親友が五十肩になっていたことを、その仕草で思い出す。小さな画面では、顔や肌の老け具合はわからない。


「母が亡くなるまでは、父もしっかりしていたのだ」

「だろうね。男が老けるのは、仕事を辞めた時と、連れ合いを亡くした時だ」

「よく聞く話だが、我が身にふりかかったことで、つくづく思い知ったよ……一緒に暮らしていれば、父の変わりようも、少しは違ったのかもしれないな」


 仕事が忙しいという言葉を言い訳に、わたしは実家から距離を置いていた。

 タブレットを通して、安否確認は日々行っていたが、めんどくさそうな会話は避けてきた。相槌スタンプだけのおざなりな返事ですませてしまった。

 父に、こちらで一緒に暮らそうと提案して断られるたび、内心で安堵していた自分がひどく罪深い存在だと感じてしまう。


「気に病むな、と言っても。きみの性格だ。そうはいかぬだろう」

「わかっているではないか」

「だけどね。だからこそ、同居を避けたお父上は正しいとわたしは言うよ。老いた自分がひとり暮らしのきみのそばにいて面倒をみてもらっては、きみに多くの負担がかかる。きみの方が心労で先におかしくなっていたかもしれない。それでは共倒れだ」

「父がそのようなことを考えていたというのか」

「さて、どうだろう。人の心はね、きみ。万華鏡のようなものだよ。まったく考えていないことの方が、少ないものさ」

「まったく、きみときたら口がたつな。こちらがなにを言っても必ず言い返す」

「おかげで、結婚とは縁のない人生だったよ」

「それはこちらも同じだ。若い頃は気楽でよい、と思っていたのだがな」


 互いに苦笑いをかわし、酒を飲む。


「五十の半ばを過ぎてみれば、いささか寂しくもあるね。だが同時に、老いたひとり身の面倒を、介護施設で安くみてもらえることへの気楽さもある」

「きみ。それは『ウンコ法』に同意すれば、だぞ」

「もちろん、同意するともさ。きみのお父上の話を聞いて、さらに納得がいったよ。これで同意しない理由はないね」

「では、同意する理由とやらを聞かせてもらおうじゃないか」


 マイクロバイオーム調整法は、人の体内にある微生物群への調整を行うことで、人が調和して生きられる持続可能な社会の実現を目指している。マイクロバイオームに相当する微生物の多くが、腸内細菌叢にあり、そこで作られるのが日々のウンコであることから、『ウンコ法』と揶揄される。


「マイクロバイオーム調整法は、すでに米中欧をはじめとする二十三ヶ国で施行されている。日本は遅いくらいだが、この遅さが利点となっている。きみ、中国で最初にマイクロバイオーム調整法が施行された時の騒動は覚えているだろう」

「ああ。共産中国版の『1984年』だと諸外国から非難轟々だったからな。社会に不満を抱く人間を、洗腸して従順にするつもりかと」


 洗腸というのも、マイクロバイオーム調整法への悪口だ。

 親友はうなずいた。


「中国の初期のマイクロバイオーム調整には、かなり乱暴な処置もあった。性欲過多の解消処置で精神的な宦官にされ、凶暴な犯罪者が追い詰められても反撃できず自死を選ぶほどに主体性を喪失した」

「ひどい話だ。アメリカですらASDの予防や症状の緩和にマイクロバイオーム調整をはじめたばかりだったのにな」

「だがね。中国は失敗の事例も含め、あらゆる医療データを全世界に公開し続けたのだ。世界中が最初は中国をあざ笑い、やがて慄然とした。それは宝の山だった。きみ、十九世紀後半の欧州の病院がどんな場所であったか知っているかね」

「いいや」

「医者にとって病院は、目と腕を鍛える場所だった。外科医であればメスを、内科医であれば薬を、病院で試した。当時の病院はほとんどが慈善団体が運営する場所でね。そこで貧乏な患者を相手に技を磨き、金を持った患者の命を救ったのだ」


 十九世紀の外科医テオドール・ビルロートは、「有能な外科医になるためには屍の山を築かねばならない」との言葉を残しているのだそうだ。


「なんと野蛮な話だ。にわかには信じられん」

「きみ。我々の生きている世界はそれから二百年しかたっていないのだ」

「貧乏人の命が安いのは我慢しろ、ということか」

「むろん、違うとも。わたしが言いたいのは、医療で使う人体に関するノウハウは今も蓄積を続けており、処置回数こそが正義ということだ」

「その正義とやら、ひどくウンコ臭いぞ」

「だが、効果的だった。おかげで、今は消化器系全体で、人の感情が動いていることが明らかになった。お父上とて、脳に何か作用する治療をされたわけではあるまい?」

「……まあな」


 高齢者介護施設でのマイクロバイオーム調整は、胃腸にのみ行われる。

 施設に入った父は、ごく普通に食事をし、運動の補助を受け、よく眠った。


「あ、待て。すごく眠るようになったぞ。今の父は十四時間は寝ている。睡眠食のおかげだとは説明を受けたが……」

「まさにその睡眠食こそ、日本がマイクロバイオーム調整の後進国であったことによる利点だよ。他の国では日常生活をそのままにマイクロバイオーム調整を進めようとしてトラブルになってる。睡眠食で消化器系に適度な負荷をかけ、まとまった睡眠をとらせることで、精神が原因の問題はあらかた解決してしまうのだ」


 嬉々とした親友の解説を聞きながら、わたしは眠る父の穏やかな顔を思い出す。


「きみだって、睡眠食のお世話にはなっているだろう。あれも、マイクロバイオーム調整のノウハウが生み出した機能食だ。機能食は同じものを食べても個人ごとに効果が違うから、今では定期健康診断にマイクロバイオーム検査が必須となっている」

「む。たしかに」


 マイクロバイオームの把握は、現代人の健康にとって不可欠だ。体内の微生物生態系の変化によって、アレルギー疾患やガン発生が決まってくるのだ。かつて『食べるだけでガンが消える』『アレルギーがなくなる』などインチキ医療の専売特許だった食事療法は、今や科学で駆逐されている。インチキ医療を行う詐欺師が消えたのではない。検査コストが下がったので、相対的に嘘のコストが上がって利益率が低下したのだ。


「だがね。父にとってよい変化であっても、それが父の自主性に拠ったものではないことは、否定できないぞ。人は、ありたい精神の形を自分で求めるべきだ。近代市民社会とは、まさにそのためのものだろう?」

「人の視野は老いや病、貧困などで簡単に狭窄きょうさくするものだ。自主性を重視しすぎては、狭窄した視野による暴走行為を止められぬ」

「むう……わたしとしては、クズが誰にはばかることなくクズなことをしていられるのが、自主性のあるべき姿なのだが……」

「セルフネグレクトな自主性に、持続性はないぞ。確実に破滅する」

「破滅してはダメか」

「ダメだ。破滅した時、人は周囲を巻き込む。現代社会は、他人を自分の破滅に巻き込む手段が多すぎる。世の中は、逆恨みを復讐と勘違いして人を殺したり、家に火をつける事例に満ちている。わたしやきみが、クズのセルフネグレクトな自主性に巻き込まれてはたまらん」


 チチッ。

 わたしと親友のタブレットが、同時に小さな警報を鳴らした。

 表示を見る。『そろそろアルコールを控えてはいかがでしょうか?』のマークが出ている。わたしは天を仰いで慨嘆する。


「やれやれ……なんと窮屈な自主性になったことか! 大学時代には、徹夜で飲んで騒いでも、このようなAIのおせっかいを受けることはなかった!」

「これが文明の進歩というものだ。さて、今宵の楽しき宴をお開きにする前に、決めておきたいことがある」

「なんだ?」

「わたしもきみも、そろそろ高齢にさしかかる独り身だ。いつどうなってもいいように、互いを相続人リストに入れておこうじゃないか」

「かまわんが……それは、きみが介護施設に入る時には、わたしがウンコ法に同意させられるわけか?」

「それくらい、事前に自分でサインしておくさ。だが、悩んでいるのなら、きみは同意せずともいいぞ。わたしが代わりに同意してやろう」

「じゃあ、よろしく頼む」

「ああ、任せろ」


 わたしと親友は互いのタブレットを通して、相手の相続人リストに自分を登録した。


 十年後、親友はあっけなく病死した。

 親友の相続人リストの上位にあったわたしは、途切れることなく不平不満をもらしつつも、親友が契約していた管財AIに命じられるまま手続きを行った。一世代前までは役所を駆け回って、諸処の手続きをすませる必要があったようだが、今では個人に紐付けされた国民識別番号マイナンバーVer2.0に従い、何もせずとも相続人の許可をえたAI同士が連携をとって「いいように」してくれる。


 さらに十年後、いよいよわたしも体がきかなくなった。

 わたしの相続人リストは、亡き親友の代わりに妹の息子である甥の名が入っている。

 五十代になった甥は、元気だった頃の父にそっくりだ。

 わたしは、甥のすすめるがまま、介護施設へと入居した。


「どうですか、おじさん」

「ふむ……わたしが想定していたのより、かなり良い施設だね。金は足りるのか?」

「はい。おじさんの老後金融資産を介護施設の管理AIに融合させました。お金の心配は無用です。ただし、もうひとつの条件は……」

「ウンコ法か」

「はい。マイクロバイオーム調整法への同意が必要でした」

「かまわんよ。これも時代の流れだろう」

「そう言っていただけると助かります」


 甥が、ほっと安堵した表情を浮かべる。


「それと、頼まれていた日記帳です」

「ありがとう」


 甥がさしだしたのは、五年日記と呼ばれる日記帳だ。

 日付が縦に並んでいて、一年前、二年前の日記が読める。

 日々に書ける量は少ないが、かまわない。


「日々の睡眠時間だけでも記録しておこうと思ってね」

「バイタルログは、自動でとられているのでは?」


 甥が、左の手の甲をみせた。皮膚にプリントした入墨回路が起動する。

 指を軽く滑らせると、昨日の睡眠時間が浮かぶ。


「自覚せず自動でとられる記録は、ないも同然だ。記録は、自覚してつけること。これが大事なんだ」

「ふふ」


 甥が笑う。父と同じ顔で。


「おじさんらしい、ひねった言い回しですね。母もよく『お兄ちゃんはそんなだから結婚できないんだよ!』と言ってました」

「まったく。失敬千万なやつだったな」


 わたしは甥と笑い合う。

 その妹も、二年前に事故で逝去せいきょした。

 同じ時代を生きた世代が、どんどん減っていく。


「では、おじさん。何かありましたら、ご連絡ください」

「ああ。ありがとう」


 わたしは窓の外をみた。ここは、元は地方の国立大学跡地だ。人口の増加に伴い、土地を求めて郊外に出た大学が、人口の減少で再び都市へと戻っていく。

 跡地は、災害疎開用アーコロジーのひとつとして建設が進んでいる。地震。台風。噴火。疫病。豪雪。日本は、どこかでなにかの災害が起き続ける土地だ。

 災害が起きるたびに仮設住宅を建設するのではなく、日本中に疎開用アーコロジーを作っておき、集団で疎開させるのだ。人口減少により過疎地の土地の相続放棄が増え続けたこともアーコロジー建設計画を後押ししている。


「高齢者をあらかじめ疎開させておけば、避難の手間が省ける、か。なんとも合理的な施策ではあるな。あいつが喜びそうなアイディアだ」


 アーコロジーは普段は無人に近い。メンテナンスはドローンやドロイドが行う。


「疫病の集団隔離では、医療用モジュールを搭載したドロイドが大量に必要になる。普段から施設入居者の介護に使っておけば効率もよい、か」


 わたしがいるのは個室だが、プライバシーはない。映像と音声は常にログにとられ、アーコロジーの管理AIによって事故や犯罪を予防するために解析されている。このアーコロジーで計画殺人を行うのは、ベスターの『分解された男』並に困難だ。


「ふふ……ウンコ法どころではないな。気がつけば人間社会はAIによる監視網の中にあるではないか」


 わたしは食堂に行った。自動で入墨回路が働き、わたしのマイクロバイオームに従って調整された機能食が運ばれてくる。

 白米。魚の煮付。白赤緑の野菜。ゆっくり噛んで食べると、味わいが増す。

 百年前と同じにみえるが、品種改良と調味料で別物になっている。もちろん、よい方にだ。マイクロバイオームを調整するための素材も組み込まれている。

 わたしの胃で溶かされ、腸に運ばれた調整素材はそこで八面六臂の活躍をする。最大の効果は、わたしの睡眠を深く長くすることだ。


「生物にとっては、進化で獲得した覚醒状態こそがボーナスで、基本は睡眠状態というのは、案外と本当なのかもしれんな」


 腹がふくれると満ち足りた思いになる。わたしは閑散としたアーコロジー内を車椅子で動く。

 近くにいた人型ドロイド、いわゆるP-ロイドが声をかけてきた。柔らかく静かな声だ。


「お手伝いは必要でしょうか?」

「いいや」


 言い方が少しぶっきらぼうすぎたかもしれない。


「手助けが必要になったら、呼ぶよ」

「はい」


 P-ロイドは頭を下げた。顔はないが、所作はきれいだ。

 面白いもので、声や動きでP-ロイドに美を感じると、統計的に好印象が増すそうだ。人間の側も自然と優しい対応になるという。


「人は、こうしてAIに囲まれ、P-ロイドに甘やかされながら、老いを深めていくのか。これもまた、一興かな」


 二十年前に、あれだけ嫌悪していたはずのウンコ法への怒りが、わたしの中では溶けて消えていた。日常の中に入り込んでしまえば、プライバシーの剥奪も、マイクロバイオーム調整も、感情を沸き立たせる対象ではなくなってしまうのだ。


「父には、申し訳ないことをしたな」


 わたしが、本当に怒っていたのは、ウンコ法ではなく、ウンコ法でしか救えない状態に父をしてしまったことへの負い目だったわけだ。

 親友はそのことがわかっていたのだろう。

 なのに親友が指摘しなかったのは、わたしが自分で気づかなければ、他人の言葉など腑に落ちぬということか。

 これからわたしは眠る時間が増え続け、やがて、目覚めぬ日がくる。ウンコ法に導かれる死とは、そういうものなのだろう。


 わたしはP-ロイドを呼んで車椅子を押してもらい、部屋へと戻った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] タイトルからは想像もつかないほど本格的なSFですね。 [一言] なろうでこういう小説が読めるとは思いませんでした。 今後、少しずつ読ませていただきます。
[良い点] 全く聞いたことがない概念が出てきても情景が思い浮かぶ素晴らしきSFでした。
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