二 ルース村から出ていきます
胸がズキズキと痛い……いくら泣いても、吐き出しても痛みが消えない。喪失、悲しみ、絶望それは両親を失ったときと同じだった。
でも一つだけ異なる心情が混ざる……消えてしまいたい。
何処か遠くに誰も私の知らない所へ、全てを捨てて行ってしまおうかな。だって、ティーラには領地を収める男爵様に楯突く事も、二人を引き裂くなんてそんな勇気はない。ただ、遠くで二人を眺めるしか出来ない。
そうだ、いますぐこの村を出て行こう、結婚資金に貯めたお金とバイト代も入った。旅行カバンなんてティーラは持っていないから、普段使っている鞄を持って行こう。そう決めたと同時に家の前に馬車が止まる音がした……嫌な予感がした。
その予想は大当たりだった……コツコツとヒールの音が聞こえて、ノックもなしに玄関が開く。
「ティーラいる?」
いつも彼女のそばに居る従者では無く、セジールお嬢様が直々来たみたいだ。私は袖や手の甲で涙を吹き玄関に向かった。
「セジールお嬢様、何かご用でしょうか?」
泣いて真っ赤な涙目、それを強引に拭って赤くなった惨めな私を見て、セジールお嬢様の口元が緩む。
「あらっ、泣いていたの? ごめんねぇ、ティーラからリオンを奪っちゃって……これは、ほんのお詫びよ!」
「きゃっ」
セジールお嬢様は分厚い焦げ茶色の封筒と、白い封筒を、私に力強く投げ付けた。
「明日の披露宴の招待状と手切金。あなたが何をしようがもう無理な話。私とリオンは街一番の教会で今日、結婚式を挙げたわ」
ティーラにひけらかす様に左薬指の指輪を見せた……ギリっと胸が痛む、私は涙を見せない様に手を握り、セジールお嬢様に深く頭を下げた。
「……ご結婚おめでとうございます。セジールお嬢様」
「ありがとう。ティーラ、二度とリオンには近付かないでねぇ」
乱暴に締められる玄関……お嬢様の乗った馬車の蹄の音が聞こえなくなってから……ティーラは声を上げて泣いた。
「はははっ…リオン君は私と違う人と結婚をしちゃった……あはは、ふふっ」
泣いてもどうにもならない、笑え私……笑って明日の披露宴でこの想いとサヨナラしよう。
終わったら出て行こう……この村には両親もいない、リオン君にも裏切られた、私はここにいても仕方がない。
ティーラは涙を拭き、タンスを漁り、明日の披露宴に着る服は他所行きのワンピースを取り出した。……そして村を出るときはもう着ることのない、真っ白なワンピースを着ようと決めたのだった。
♢♢
翌日、男爵様の大きな庭園で開かれた披露宴。村中の人々が二人の結婚に賛辞を述べていた。二人はお揃いの真っ白なタキシードにドレスを身に付けて笑っていた。私は離れに立ってその様子を眺めていた。
「ティーちゃん、元気出してね」
「ティーちゃん可愛いから、すぐにいい人が見つかるわ」
と、村のみんなは事情を知っているから、私を腫れ物の様に扱う。同じ歳のリオン君以外はみんな十歳も離れた子達ばかり、次にいい人なんてこの村にはいない。
でも、村を出て行くと決めたからか、ティーラは落ち着いて二人を見られていた。セジールお嬢様が私を見つけてコチラに走ってきた。
「あら? ティーラ、来てくれたの」
わざわざリオン君と手を繋ぎ見せ付ける様にやって来た。リオン君の両親、村のみんなはその様子を静かに見守っていた。
私は微笑んで頭を二人に下げた。
「ご結婚おめでとうございます。セジールお嬢様、リオン様、お幸せになってください」
「ええ、幸せになるわ! リオンも何か言いなさいよ」
「いいや、俺はいい」
罰が悪いのかリオン君はティーラから目を逸らしてしまい、最後に彼の瞳を見ることは叶わなかった。
「セジール!」
「セジール、いらっしゃい!」
「セジールお嬢様、リオン様、旦那様と奥様が呼んでらっしゃいますよ」
「あら、ほんと! リオン行くわよ」
去っていく二人に私はもう一度、深く頭を下げた。
庭園の中央で楽しげな笑い声をあげて、二人が村の人達にシャンパンを振舞う姿が見えた。二人に挨拶も終わった……みんなの喜びを妨げてしまうかもしれないと思い庭園を抜け出した。
その日は遅くまで披露宴は開催されただろう。
♢♢
次の日の朝早く私は長い髪を二つ結びにして、白のワンピースを着込み、使い古しの肩掛け鞄と履き慣れたブーツを履いた。玄関にリオン君から貰った指輪を置き、写真の中の両親に頭を下げた。ごめんなさい……何も持たず、両親の写真でさえ置いて、村を出て行く私を許してください。
私は家を出ると、振り返る事なく二度と戻らないと村の門をくぐった。近辺の大きな街まで歩き、どこに向かうかなんて知らない相乗り馬車に乗り込んだ。
(少し緊張する)
ルース村から出る事も無く、何も知らずに育った私は初めて乗った相乗り馬車の揺れに驚き。初めて見る風景と活気のある街と国にびっくりした。国を終える時に通る国境、異なる国に入る時にはお金が必要なのも初めて知った。
少し高めの宿に泊まり、美味しいものを食べて、夜にはお酒にチーズを奮発した。ティーラはルース村を出てから一週間が過ぎ、二週間、三週間が過ぎ……もう、街や国を何個越えたかのかも分からない所までティーラはきてしまった。
この頃には結婚資金とバイト代、手切金も底をつく。どこかわからないところで相乗り馬車を降り、何処となく歩いて日が暮れる前に大きな森を見つけた。
森の出入り口に『ここから先は侵入禁ずる』と書かれた看板。周りは畑ばかりでティーラにはお金が無い、となると…この森で一晩明かそうと足を進めた。
♢♢
森に入って直ぐにティーラは後悔する、ひんやりとした空気、ジメジメした足元、日も暮れて薄暗くなり、心細く、怖い。……周りの木々が押し寄せてくる様に見えた。
「……リオン君」
来るはずの無い彼を呼んで苦笑いする。
「好きだった、あなただけだった……」
漏れた心の声は止まらなかった。
「バカ、リオン! 騙すなんて酷いよ。好きだった、愛していた。あなたと一緒になりたかった…あなたと共に生きて幸せになると、夢見た時間を返して!」
あの時に言えなかった想いを叫び、私の声が森に木霊した。もう一度、息を吸い込み吐き出す。
「さようなら、リオン君…幸せになりなさいよ!」
毎日洗濯をして真っ白じゃ無くなった、ワンピースの端を掴み。
「このワンピースはねぇ、結婚式に着たくて頑張って貯めて買ったんだよ!」
「結婚資金だって少しだけど貯めた」
「ダイエットもしたし、お化粧だって覚えたんだから!」
「全て無駄になったわ……あ、あ、疲れちゃった」
そばの木に腰を下ろすと同時に目蓋が重くなり……二度と目覚めなくてもいいやと、ティーラは目を瞑った。
♢
森は今日も静粛な夜を迎えるはずだった。
九月の中頃を過ぎてくると朝晩は急激に冷え込んでくる。この森は国が保有するため、立ち入り禁止となっている。この森には何処にも生息しない、珍しい生き物達、薬草、木が生い茂りそれを狙う不届き者もやって来るからだ。
森の南側の出入り口には一般人避けに『立ち入り禁止』と書かれた看板が立ち、森をぐるりと囲む様に魔法の仕掛けが施してある。
『君に任せる』
国の偉い人間共の投票で勝手に俺は管理者に選ばれた。俺が森の管理者だと知るものは森になんて入らない。しかし今日の仕事帰り、仲間が作った魔石をはめ込んだ腕輪が緑色に光を放った。
「緑色か……一般の人間がこの森に迷い込んだな…」
時は夕暮れ時、早くそいつを見つけないと凍えてしまうだろう…よく、こんな時期に入ったものだ…。
いや待てよ、この時期を選んだのか? そんな事はないとは思いたいがな……。
俺が管理をする森でそんなことは許さん!
見つけて説教してやるぞ人間。
俺は足を止めて俺はクンクンと鼻を鳴らす。
「どこだ……森に入った人間はどこにいる。手遅れになる前に見つけて説教してやる!」
トゲが付いた枝や草木を気にもせず、森の中を匂いを頼りに探す。そいつを探しに森に入ってから、十分くらい経ったか? もう一度鼻を鳴らすと甘い匂いが鼻を擽る。この匂いか? 匂いが濃くなった場所は近いな。
「どこだ…」
俺は辺りを見回し匂いを嗅ぐと甘い香りがした。いたカナンの木の下だ。俺は駆け寄ると木の側で眠る薄手の白のワンピースを着た女の子を発見した。
連れて行こうと、俺は女の子の体に触れる。
「……え?」
ひんやりした体と同時に違うものを感じた。
ドクドクとうるさい動悸に身体中の毛が立つ……まさか? この女の子が俺の⁉︎ この歳になって初めての感覚に正直言って俺は狼狽した。
いかん、いかん早く連れて帰らないとこのままではこの女の子は危険だ。俺は持ってきた保温シートを出して女の子を包み込むと、胸に抱えてもともと来た道を急ぎ足で屋敷へと走った。