一 幼馴染に婚約破棄されました
ここは大きなマーシア大陸の北の隅にある山間、男爵クレクス・マント様が治める領地。羊飼が多く住むのどかなルース村、村人達は羊毛から紡ぎ毛糸を作りそこから毛織物を作り輸出している。
深い雪が溶けた春には菜の花が咲き。
短な夏にはひまわり畑。
冬の到来前の秋には紅葉。
そして長い冬には白銀の世界が一面に広がる。
短い夏の時期が終わりを知らせる。木々がいろづき紅葉が見応えな秋が到来して、朝晩は肌寒くなってきた。村の中央にある一軒の煉瓦造りの平屋建て、その一部屋でティーラは暖炉に火を灯して、丸椅子に座り、疲労と眠気に打ち勝ち黙々と手を動かしていた。
(もうすぐ完成)
チクチク、チク……しまいにひと針を縫い、布の裏で玉結びを留めて手を止めた。
「で、出来た……後はバイトから帰ったら、細かい箇所の手直しをすれば完成ね」
真っ白なベールを胸に抱いて、ティーラは部屋の中で陽気に踊った。だって、明日はティーラと婚約者リオン君との結婚式。お金がなくてウェディングドレスは買えなかったけど、代わりに真っ白なワンピースを準備して、ティーラは造花の白い花と桃色の花を使ってブーケと花冠も手作りした。
「不器用な私にしては上出来ね」
自画自賛しつつ、ほっとひと息をついた束の間、部屋にかかる柱時計が五回、鐘の音を奏でた。
やばっ、バイトに遅れる。
暖炉の火を消し裁縫具箱を片付けて、ティーラは家の中を駆け回り。ほつれた箇所を縫ったワンピースに着替えて、壁にかかったモコモコ帽子、タンスの中のモコモコ靴下、毛糸のパンツを履きバイトに出る準備を済ませ、写真立ての両親に朝の挨拶をした。
「お父さん、お母さん、おはよう。バイトに行って来ます」
しまいに寒さ対策の厚手のコートと羊毛スカーフを首に巻き、履き慣れた革のブーツを履いて、舗装されていない道を足早にバイト先へと進んだ。
家を出て進むと村に一軒だけある手芸店が見えて来る。この手芸店にはここでしか買えない毛糸などの羊毛品があるから、近隣の街からお客さんが買いにやってくる。
早起きな手芸店のおばさんは、店の前で掃き掃除していた。
「おはようございます」
「あ、ティーちゃん、おはよう。今からパン屋のバイトかい?」
「ええ、そうです」
「近頃、ほんと寒くなってきたね。きちんと暖かくしてるかい?」
「はい、してます。サヤおばちゃんも温かくして風邪に気をつけてください」
サヤおばちゃんは頷き。
「わかってるよ」
「おばちゃん、バイトに行ってきます」
「ティーちゃん、いってらっしゃい。お昼にパンを買いに行くね」
「はい、いらしてください。待っています」
「ティーラちゃん、バイトかい?」
「おはようございます、マサおばさん。いってきます」
小さな村だから村の人達とは、子供の頃からの顔なじみ。私――ティーラはどこにでもいる、茶色のおさげ髪に薄茶色の瞳の田舎娘だ。
「ティーちゃん、おはよう!」
「トムじーさん、おはようございます。腰は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。心配してくれてありがとな」
村のみんなが優しくてティーラを気にかけてくれるから、十三歳のとき行商をしていた両親が流行り病に倒れて、二人共に失っても元気で笑っていられる。
その中で一番、ティーラの側にずっと寄り添ってくれた、大好きなリオン君のお嫁さんに明日なれる。この日の為にダイエットもしたし、髪のお手入れにお肌の手入れ、お化粧だって練習した。
(明日が待ち遠しいね、リオン君)
彼は村一番のパン屋バランを継ぐため、街の学校に行った十五歳の頃から彼の両親が営むパン屋でバイトしている。ティーラは去年リオン君にプロポーズをされて、婚約してからパン作りを習い、お店の経営の勉強も始めた。
この坂道を登った先にある煉瓦造りの店に小走りに近くと、焼きたての香ばしいパン香りがしてくる。
「いい香り……」
昨夜から徹夜で作業していて朝食抜きだから、この香ばしい香りはお腹に響く。早くお昼ご飯が待ち遠しい。今日の昼食は焼き立て、揚げたてのコロッケパンを選んで、ミルクたっぷりカフェオレにしょうかな。
それともフワフワ、モチモチな食パンに苺ジャム。
あんこたっぷりなアンパン。
クリームが濃厚なクリームパン。
外はサクサク、なかはふんわりクロワッサン。
こんがり色のコッペパンに千切りキャベツ、ぶ厚いカリカリに焼いたソーセージを挟み、上からたっぷりのとろけたチーズとケチャップをかけた店一番人気のホットドッグ。
モチモチ食パンに採れたてのシャキシャキレタスを、これでもかって挟んだ野菜、チーズ、ハムサンド。
このサンドイッチに使用される野菜は、苗から畑で育てたものをサンドイッチにしている。苺、ブルーベリージャムだって手作りで、私もミリおばさんに作り方を教わった。
"さて、今日も頑張るぞ!"と、お店の裏口に回り込み、元気よく扉を開けた。
「ヤナおじさん、ミリおばさん、おはようございます」
「ティーちゃん、おはよう」
「おはよう、ティーちゃん。来て早々に悪いんだけど、裏の畑でレタスと人参二つずつ採ってきて」
「わかりました、裏の畑に行ってきます」
おじさんとおばさんに返事を返して、裏口近くの畑に向かいレタスと人参を収穫して、野菜に付いている土を近くの小川で洗い流して店に戻った。
「ミリおばさん、レタスと人参を採ってきました」
「ありがとうティちゃん。入り口近くのカゴに入れておいて、いまパンが焼きあがるからホールの準備をよろしくね」
「わかりました」
婚約者のリオン君は十五歳から十七歳までの二年間、街の料理学校に通い、いまはマント様のお屋敷で働く料理人見習をしている。私と結婚をしてからはパン屋を継ぐと言っていた。
ティーラはリオン君が作るお菓子が大好き、ショートケーキにバタークッキーやビスケット、マカロンにガトーショコラを記念日にはいつも作ってくれた。
明日の事を考えて、お店の準備の手が止まっていた。そこにミリおばさんが焼きたてのパンに持ってやってくる。
「ティーちゃん、パンが焼き上がったからお店に並べて……ふふっ、ティーちゃんぼーっとしない」
「すみません」
「明日が結婚式だから、浮かれちゃうのはわかるけど、しっかりねぇ」
「はい、頑張ります」
ミリおばさんから焼き立てのパンを受け取り、トングを握りカゴにパンを並べた。今日の私は明日の結婚式の事を考えて浮かれている、だって好きな人のお嫁さんになれる。
いまから一年前のこと。
私の誕生日の日にビシッと正装をしたリオン君は、家の前で跪いて、バラの花束と指輪だしてプロポーズしてくれた。
『ティーラを幸せにする、俺と結婚してください』
『嬉しい……リオン君よろしくお願いします』
嬉しくって、いっぱい泣いてしまった。
リオン君と結婚式について話をした。彼は『披露宴は次の日に村のみんなを呼んで盛大にやろう』と言ったので、明日は街の教会で二人だけの結婚式となった。
「ティー」
リオン君は調理の仕事が終わったのか、閉店前にパン屋の前を掃き掃除するティーラの側に来た。
「あっ、リオン君おつかれさま」
「おつかれさま……ティー、ちょっといい話があるんだ」
「何? もう少しでお店の片付けが終わるけど…」
「そっか、いつもの場所で待ってる」
「うん、終わったらすぐに向かうね」
小さい頃からよく待ち合わせをした村の東寄りにある、小さな小川の橋の上で会う約束をした。
(明日の結婚式の話かな?)
パン屋のバイトが終わり、橋の上で待つ彼の側に駆け寄った。
「リオン君お待たせ、おばさんに余ったパンを貰って来ちゃった」
「ティー……」
橋の上で待つリオン君に近づくと、その面持ちはいつもより、沈んいるように見えた。
「どうしたの、リオン君?」
彼から話があると言っていたのに何も言わない、どうしたのと聞こうとすると、リオン君ははいきなり土下座をした。
「ティーごめん。俺、ティーラとは結婚出来ない!」
「結婚できない? なぜ? ……明日、私達は結婚をするのでしょう?」
土下座するリオン君に詰め寄って聞くと、彼はティーラから目をそらした。
「ごめん、ティーの他に好きな人が出来たんだ!」
リオン君は私を押しのけ、走っていってしまった。
♢ ♢
あの後、ティーラはどうやって帰ったかは分からないけど、気付いたら家のベッドに寝ていた。
「朝? 私、十八歳になったんだ……」
リオン君に好きな人がいて、今日の結婚式なくなっちゃった。
コンコンコン、コンコンコン……朝早く誰かが来たのか玄関を叩く音がした。いまは誰にも会いたくないと居留守を使ったけど、何度も玄関を叩かれた。
(もしかしたら、リオン君が戻って来たの?)
涙を拭き急いで扉を開けると、そこには青い顔をした、ミリおばさんが立っていた。私を見ると詰め寄ったおばさんからはパンの匂いがした。
好きだった匂いが……いまは辛い。
「ティーちゃん……ごめんね、うちの子がこんなことをするなんて……ごめんなさい」
ミリおばさんの面持ちを見て、これは嘘ではなく実際のことなんだと、再度、現実を突きつけられた。
「いきなり婚約破棄だなんて訳がわかりません……ミリおばさん訳を説明をして下さい」
「あの子、ティーちゃんに何も言わなかったの? 訳も言わず、いきなり結婚を辞めるとを言ったの?」
私はコクリと頷いた。
「いまは訳が聞きたい、話してください」
「ティーちゃんには辛い話になるけどいいの?」
「これ以上辛いことなんてないです。訳を知りたい…ただ、それだけです」
ティーラの言葉にミリおばさんは頷き、ゆっくりと話しくれた。リオン君の恋の相手は男爵マント様の一人娘、私達と同い年の十八歳。ふんわりなピンクの髪に胸の大きなスタイルいいセジールお嬢様。
小さい時から私とリオン君が一緒にいると、割り込んできてティーラに意地悪をしてきた人だ。
♢ ♢
セジールお嬢様はリオン君が通う料理の学校がある街にまで会いに来て、ティーラの知らないうちに二人は仲良くなっていたんだ。そんなことを知らない私がリオン君にプロポーズされて喜ぶ私を彼らは裏で『ティーラはバカね』と笑っていたんだ。
「酷い……リオン君に好きな人が出来たのなら、早く言えば良かったんだわ。わざわざ、プロポーズまでして喜ばせて私をバカにしてる」
「ティーちゃん、ごめんなさい」
「おばちゃんは知らなかったんでしょ? 謝らないで悪いのは二人だもの。欺かれてれていたんだ……おばあちゃんごめんね、私バイトを辞めます……いままでありがとうございました」
ティーラはおばちゃんに深く頭を下げた。ミリおばちゃんは私がそう言い出す事が分かっていたのか、胸元のポケットから茶封筒を取りだした。
「これ、少ないけど……ティーちゃんのバイト代。ティーちゃんがウチのお嫁さんになってくれるのを楽しみにしていたんだよ……それなのに男爵のお嬢様と恋仲になっていたなんて……ごめんね、ティーちゃん」
「泣かないで……おばちゃんは男爵様に楯突かないでね。おばちゃんに何かあったらもっと悲しくなるから……」
「わかったよ」
ミリおばあちゃんからバイト代を受け取ると、いつも貰うお金よりも多く入っているみたい。これからのこともあるし私は遠慮なく貰った。帰り間際にミリおばちゃんは両親が写った写真立てを見て、悲しい表情をした。
「ああ、カリヤとシラカに顔向けができないよ。ごめんね」
「大丈夫、両親も仕方ないと言っています。ミリおばちゃん今までありがとう」
おばちゃんは何度も頭を下げて帰って行った。一人になるとズッシリと心に重くのしかかる。二人で騙すなんて酷い。
「もう、これもいらない」
徹夜で作ったベールとブーケ、花冠を食卓から取り、ゴミ箱に投げ込もうとしたけど……投げられず、胸に仕舞い、ティーラは泣きじゃくった。