天地の大徳を生と曰い、聖人の大宝を位と曰う。【日本】
天地の大徳を生と曰い、聖人の大宝を位と曰う。天地之大徳曰生、聖人之大宝曰位。『易経』の一節です。
葉月の暑さが、飛鳥の都を覆っていた。
すでに夕暮れ時が近づいていたが、誰もが暑さに顔をしかめ、さかんに水を飲んだり服を緩めたりして熱さを追い払おうとしている。道を吹き抜ける風も湿り気を帯びて重い。だがその重たい暑さに、どこか夏らしさを感じ、人々は頬を緩めていた。やがて秋になり、その先の厳しい冬なれば、この暑さが恋しくなるのだろう。
時は、大宝元年、西暦701年。
すでに神武の世から1360年が経っている。この千年間、海の向こうの国々の制度や技術を必死に学び、汗と血と涙を流しながら国を作り上げていった。この世界の片隅の日の昇るところに浮かぶ、まことに若く小さな島国は、初春にほころぶ梅の花のように、今まさに花開こうとしていた。
時の天皇は、まだ20代半ばの若き文武帝であった。
文武帝は、草壁皇子と阿陪皇女の間に生まれた由緒正しい血筋の皇子で、当時は祖母である持統帝がまだ存命であり、時折祖母の影響力を借りながら政治を行っていた。
文武帝の父である草壁皇子といえば、あの天武帝を父に、持統帝を母に持つ。
皇位をめぐって、先代の天智帝の子と弟が争う壬申の乱の後、このような皇位継承をめぐる争いを防ごうと、天武帝は有力な6人の皇子に”皇位継承をめぐって二度と争わないこと”を誓わせた。世にいう吉野の盟約である。壬申の乱で父の天武帝に付き従った草壁皇子、大津皇子、高市皇子、忍壁皇子に、天智帝の子である川島皇子と志貴皇子を加えた6人は共に皇室と倭国を支えることを誓った。
そして、草壁皇子はわずか17歳で両親の後継者となった。
ところが、崩御した父に代わっていよいよ即位という時に、草壁皇子はわずか27歳で突然この世を去った。将来を期待した息子に先立たれた皇后は、自ら女帝として即位した。
血筋でも才能でも草壁皇子の有力な対立候補であった大津皇子は、彼を危険視した持統帝によってすでに謀反の罪を擦り付けられてこの世を去っていた。天武帝の皇子のなかでは最年長で、太政大臣として持統帝を支えていた高市皇子もこの世を去った。再び、皇位をめぐる血の雨が飛鳥の地に降りかかろうとしていた。誰もが20年前の悲劇を思い出して震えた。
そこで、皇族たちと群臣たちは、天武帝をと持統帝の正統なる後継者であった草壁皇子の子を、次の天皇とすることに決めたのだった。こうしてわずか10代の文武帝が即位した。
これが今から約10年ほど前の出来事である。
皇族の中の有力者が天皇の座をめぐって争う時代はようやく明けようとしていた。この飛鳥の都の時代では、力ではなく血によって決めることこそが、誰にでも納得できて、一番平和な手段であった。久しぶりに政情の安定した日々が続いた。
この年、飛鳥の朝廷ではひとりの男が栄華を誇っていた。
その日も彼は広大な邸に飛鳥の都の有力者を呼び寄せて、酒を酌み交わしつつ今後の”日本”の行く末について思いを巡らせていた。随分と考え込んでいるらしく、湿った暑さに揺れる庭の草木をぼんやりと眺めていた。
この男の名を、藤原不比等という。
あの天智帝の忠臣にして親友であった中臣鎌足の次男である。父が賜った”藤原”の氏と絶大な影響力を受け継ぎ、飛鳥の朝廷の要職を渡り歩いていた。
最も、彼の人生が順風満帆だったわけではない。
不比等が4歳の時、半島の国々の中でも百済を重視していた天智帝と中臣鎌足の外交政策は失敗に終わり、白村江の戦いでは唐と新羅に大敗を喫した。
その光景を、中大兄皇子と中臣鎌足の若き決断のために犠牲となった人々は、黄泉平坂の向こうからどのような想いで見つめたのだろうか。蘇我入鹿を大王の目の前で殺し、ふりしきる雨で宮殿の庭に染み渡った血の上で始めた”大化の改新”。その血の代償が、この大敗と国家存亡の危機であっと、どう神々に告げればよいのか。倭国のために海の向こうの文化や技術を学び続けながら、道半ばで消えることとなった蘇我本家の無念の想いを、父たちは結果として裏切ることになったのである。
激動の国際情勢の中で、不比等の父は亡くなった。不比等が11歳の時である。
父の鎌足が危篤となった時、主従関係を超えた無二の親友であった天智帝が幾度か邸を訪ねてきた。その時、彼は「戦のために、豪華な葬儀をするのをやめてほしい」と頼んだのだという。中臣鎌足は、最後まで白村江の敗戦を悔やみ続けて死んだ。
不比等は、慌ただしい葬儀の準備のさなかにひとりの男が訪ねてきて、父の傍らで慟哭していたのを覚えている。大の大人が、ましてやこの倭国の大王がこんなにも声をあげて泣くのかと子供ながらにおかしく思ってしまったものだった。
父とは幼くして別れたが、父の教えは残っていた。
そもそも父の中臣鎌足も非常に優秀な人物で、隋から唐へ変わりゆく中国を目の当たりにして帰国した南淵請安の塾で熱心に学び、蘇我入鹿と並ぶ秀才として噂されていたくらいだ。兄の真人のように、まだ幼い不比等は唐から伝わってきた仏教や儒学、漢文などの知識を身につけるべく一心に勉学に励んだ。唐や新羅などの国々の間を倭国が渡り歩くためには、これらの知識が必要不可欠だったからだ。
兄の藤原真人はより深く仏教について学ぶために、出家して定恵という名の僧となった。不比等が生まれる前の白雉4年、西暦653年には遣唐使として唐に渡っている。そこでは、天竺まで旅をして仏教を学んだ三蔵法師玄奘の弟子に直接学び、名だたる人々と交流を重ねて西暦665年に帰国した。
だが、その年にこの世を去った。つまり、不比等は自分と入れ替わるようにこの世を去った兄のことを知らない。ただ時折、父や兄を知る人から「彼らが生きていれば」などという思い出話を聞く程度である。
不比等が13歳の時、さらなる危機が彼の人生を襲った。壬申の乱である。
彼は、父の親友であった天智帝の子の大友皇子に立場としては近く、親族の中臣氏の多くが近江大津宮を中心とする勢力についていた。不比等はまだ幼かったために処罰を免れたものの、親族の多くを失い、後ろ盾を失った。
そのため、あの中臣鎌足の嫡男たる藤原不比等は、意外にも下級官人からその人生を始めているのだ。
ところが、これが彼の栄華の役に立った。不比等はあの草壁皇子の下で働くことができたのである。当時、天武帝の正統なる後継者とされた草壁皇子を中心に、律令国家としてふさわしい法律の作成や歴史書の編纂などが進められており、不比等も若いながら経験を積むことができた。加えて父が徹底的に学ばせた法律や漢文の知識が不比等を助けた。
こうして徐々に実力を発揮していった不比等は、ゆっくりと、だが確実に出世していった。
「不比等殿、少しお疲れでは?」
突然、初老の男に声をかけられて、不比等は振り返った。庭が良く見える一室には数人の男が座っていて、めいめい盃を片手にこちらを見ている。
「いえ、刑部親王殿下。なんでもございません。」
「堅苦しい言葉なんぞ今さら使わなくていい。その呼び名は未だに慣れないしな。」
そう言って、初老の男は困ったように少し笑って見せた。
彼の名は、忍壁皇子と言う。天武帝の第四皇子で、30年前に起こった壬申の乱では父を支えた。その後も、天武帝の血を引く皇子として政治の中枢で活躍し、様々な法典や歴史書の編纂に携わるよう命ぜられている。天武帝を支えた草壁皇子、大津皇子、高市皇子がこの世を去った今は、皇族の重鎮として若き天皇を支えていた。
決して華のある人物ではなく、取り立てて優秀と言うわけでもなかったが、積み重ねた人生経験と実直にしたたかに生き抜く姿を見て、いつの間にか人が集まってくるような人物だった。不比等からしても、仕えるべき主君であると同時に、共に政務をとった頼れる同僚でもあった。
「しかし、忍壁皇子様の言うとおりだ。不比等殿、少し疲れているのではないか?」
唐から伝わってきたという高価な布をさりげなくあしらった服を着た男が、穏やかな声で尋ねた。飛鳥の都には異国にかぶれた者が多かったが、この男もその1人だ。ただ、この男がただの異国かぶれではないことは飛鳥の都の誰もが承知している。唐の人々にもその才能と人柄を評価されたのだというのだから、今の飛鳥の都の中では誰よりも”異国そのもの”と言える。
「真人殿こそ、遣唐使の件で朝から晩まで駆け回っているというお噂ですが。」
不比等はそう言って、”異国そのもの”の男の顔を見つめた。
この男の名前を、粟田真人と言う。
粟田の氏族は、第5代の天皇である孝昭天皇の子の天押帯日子命を先祖とする氏族で、この時代には学問や外交で活躍する人物が多かった。
真人も一度は出家し僧として唐に渡って学んでおり、帰国後は九州の大宰府でとして外国からの賓客を饗応するなど、外交では欠かせない人物だ。かつて唐に留学した際は、不比等の兄と同じ船に乗っており、元の俗名も兄と同じな上に年頃も近かったのだという。そんなこともあり不比等は”もし兄の藤原真人が生きていればこんな風だったのだろうか”と、心の奥底で粟田真人のことを慕っていた。
この粟田真人は、次の大役として早くも第8次遣唐使を率いる遣唐執節使に任じられている。文武帝から節刀を授けられ、積み荷や手配や留学生の選出などに頭を悩ませる日々を送っているらしい。
「ああ、そうだ。乗せてくれ乗せてくれと若者たちが毎日屋敷に押しかけてくる。」
粟田真人がそう言ってため息をつくと、別のもう1人の男が声をあげて笑った。
この男の名は、下毛野古麻呂と言う。東国の下毛国を治める下毛野国造家の出身で、法律に関する知識の深さはもちろん、地方の実情にも詳しいことを重宝されていた。
「しかし、真人殿には、そちらの憶良殿がいらっしゃるではないか?」
粟田真人の隣の席の、やや緊張した面持ちの40代くらいの男に皆の視線が集まった。それほど高価な服ではないが、よく手入れされた着心地のよさそうな服を着ていた。
彼の名前を、山上憶良と言う。
彼もまた、第5代の天皇である孝昭天皇の子の天押帯日子命を先祖とする氏族の出身で、加えて数十年前に滅亡した半島の百済人との関わりの深い一族の出でもある。
仏教や儒学をよく学んでおり、世の中の様々な問題に関心を持って熱心にごとに励んでいた。特に弱い立場の人々のことをよく思いやる役人で、権力者に気に入られるかはさておき、周囲からも誠実な人間だと噂されていた。また和歌も上手で評判だった。
それほど身分の高い役人ではなく、名を知る者もほとんどいなかったが、このたび粟田真人によって遣唐少録に任命されて、歴史の表舞台で躍り出ることになった。粟田真人と山上憶良は先祖を同じくする同族であり、粟田真人が山上憶良を抜擢する形であったらしい。この年の山上憶良は、ただひたすらに粟田真人の右腕として奔走していた。
「ああ、この憶良は非常に優秀な部下で助かっているよ。」
真人はそう言ってにやりと笑った。その横に座る山上憶良は、困ったような笑みを返した。
「もったいない言葉をありがとうございます。しかし、このように素晴らしい方がに囲まれるなんて、この宴は緊張しますね。」
「私たちは、新律を作るためにこうやってよく集まっていたんだ。ここは身分も年齢も関係ない場所だ。気を楽にしてくれ。」
忍壁皇子はそう言って憶良に向かって頷いた。これだけの人物に囲まれて、困った笑顔で済ませているあたりが、頭の回転の速い山上憶良らしい。
「新律のお噂はかねがね聞いております。大変すばらしいものができたと。」
山上憶良の言葉に、4人の男たちは少し得意げに頷いた。
新律というは、この年にようやく完成した”大宝律令”のことである。この宴は、まさにこの大宝律令が完成したことを、中心となって編纂した者たちでささやかに祝う宴だったのだ。
天武帝と持統帝の、もっと言えば中大兄皇子と中臣鎌足の、さらにいえば聖徳太子と蘇我馬子の悲願でもあった、日本人の手による律令だった。初めて律と令が揃い、国家としての仕組みが整い、いよいよ”日本”という花が大輪を咲かせようとしている。
「忍壁皇子様を叱りつけるなんてことが、この部屋ではできるんだ。」
下毛野古麻呂はそう感慨深くうなずいて、盃を持ち上げた。
「完成はしましたが、これからが大変でしょう。新たな律令を日本中に広めなければいけませんから。」
藤原不比等はそう静かに言って、また外の景色を見つめた。湿った暑さを帯びた風が、一陣吹き抜ける。不比等は、目の前の効果ではないがよく手入れされた服を着る名もなき役人をからかいたくなって思わず口を開いた。藤原不比等と山上憶良は、ちょうど同じくらいの歳であった。
「憶良殿とやら、あなたならどうやって新律を日本の隅々まで広める?」
「不比等殿、あなたのような素晴らしい才能の方に、私のような者が言えることなどございません。」
山上憶良は余裕すら感じさせる笑みで首を振って見せる。他人を陥れるようなこともしなければ自らの才を隠すこともしない立ち振る舞いを、嫌味を感じさせずにしてみせるところが彼の人柄であった。
「あの真人殿が、遣唐少録にと帝に申し上げたほどのお人でしょう。ぜひ意見お聞きしたい。」
藤原不比等の言葉に、粟田真人は盃を片手ににやりと笑った。かねてから粟田真人は、この正反対なような共通点の多い2人を会わせてやりたいと思っていたのである。
「そこまでおっしゃられるのでしたら、私の稚拙な意見を申し上げさせていただきます。」
山上憶良は少しうれしそうに口を開いた。
「我が国は、長きにわたって海の向こうの素晴らしい律令を学んできました。今や、都から遠く離れた国々に暮らす身分の高くない人々ですら、律令のことを聞きかじっています。私もときおり遠くから訪れた者と会って話すことがあるのですが、彼らの熱心な勉学には驚かされます。以前、備中国から来た下道圀勝という男に会ったのですが、彼も律令のことをよく知っていて、私にも熱心にあれこれ尋ねるので、本当に驚きました。」
憶良は、田舎者丸出しだが好奇心旺盛な下道圀勝の顔を思い出しながら、次に続ける言葉を探った。
ちなみに、この下道圀勝には、父以上に好奇心旺盛で何でも尋ねてみないと気が済まない5歳になる息子がいる。彼の名は真備。この物語の主人公の1人である吉備真備である。
「新律のことをきちんと知っている者が各国に赴いて説明すれば、あとはそれぞれの国々でうまく守ってゆけるでしょう。」
そこまで言うと、山上憶良は弱ったようなふやけた笑みを浮かべた。
「もっとも、すでにその準備をされていると思うのですが。」
粟田真人と下毛野古麻呂は、顔を見合わせてにやりと笑い、忍壁皇子は満足げな表情で黙って盃をかかげた。藤原不比等だけは表情を変えず、興味深げな冷めた表情で山上憶良を眺めていた。
まさに山上憶良の言う通りで、全国各地に博士を派遣して役人や人々に大宝律令のことを教えようとしていたのだ。この数日後、律令の知識を蓄えた明法博士を西海道(現在の九州)を除く六道に遣わして大宝令を講義させるという命令が出されることになっていた。とはいえ、大宝律令が完成した今日、この命令を知っているのはこの部屋にいる者しかいないはずだ。
「さすがだ。真人殿が唐に連れていきたいと思った気持ちがよくわかったよ。」
忍壁皇子はそう言って微笑んだ。湿り気を帯びた風が部屋の中に吹き込んで、空気が再び変わっていく。
「しかし、最近は将来を任せられそうないい役人が多いですね。不比等殿や憶良殿ももちろん、旅人殿なども優秀だろう? ほら、大伴安麻呂殿の嫡男の。」
そう言って、下毛野古麻呂は盃を唇につけた。
大伴安麻呂は、この頃亡くなった兄に代わって、大伴氏の氏上として政治に加わるようになった人物で、粟田真人や下毛野古麻呂も彼のことをよく知っている人物だ。若き日に壬申の乱の時で大海人皇子に従い、その後も天武帝と持統帝を支え続けていた。
大伴は、太陽の女神である天照大神の孫である瓊瓊杵尊が地上の国に降り立った時に付き従って地上に降りた天忍日命という神を先祖とする氏族だ。古くから物部氏と共に大王を守る軍隊を率いた武門の一族で、他の氏族が台頭してもなお、政治の中枢に食い込む伝統ある氏族だ。
この大伴安麻呂には、大伴旅人という息子がいる。先祖の名に恥じない優秀な人物らしいという噂は聞こえていたが、まだ40代で要職にもついていないため、よく知られていないというのが正直なところだ。年齢や立場が近い山上憶良だけは、何度か顔を合わせたことがある。酒好きな男で、一晩中歌いながら酒を飲まされた。悪酔いをしてしまい、正直何も覚えていない。
今度は忍壁皇子が感慨深げに口を開いた。
「それから、まだ若者だが、長屋王に葛城王も優秀で将来が楽しみだ。そうそう不比等殿、武智麻呂殿がついに内舎人として天皇の御傍に仕えることになったのだったな。」
「不比等殿の御子と言えば、房前殿も優秀だという噂を聞いている。官途に就くのが楽しみであるな。最も、その晴れ姿をこの目で見れればよいのだが。」
遣唐使として荒波を越えなければならない粟田真人が、そう言って少し寂しそうに笑った。
「武智麻呂も房前も、まだまだです。厳しく育ててやってください。」
藤原不比等はそう言って、同僚たちに頭を軽く下げた。飛鳥の都の誰もが、あの中臣鎌足から始まる”藤原氏”の権勢がどこに向かうのかを野次馬のような目つきで見守っている。藤原氏の未来である不比等の子供たちには、特に注目が集まっていた。
「しかし、長屋王もいろいろな意味で優秀すぎる。私も甥には幸せになってほしいが、少し不安だ。」
忍壁皇子はそう言って、胸の内の不安を吐露した。
長屋王は、天武帝の子の高市皇子と天智帝の娘の御名部皇女の子である。この時、まだ20歳になるかならないかという年齢だった。
生真面目によく学び、何よりも公平と秩序を重視し、優秀であることで評判だったが、何よりも評判だったのはその血筋だ。天智帝と天武帝の両方の孫にあたる長屋王は、壬申の乱から30年しかたっていない微妙な平穏の中にある大宝の世では、有力な皇位継承者の1人であった。
葛城王は、敏達天皇の後裔にあたる皇族だ。まだ10代だが非常に頭の回転が速く、将来を期待する声も大きい。血筋ではとても皇位が回ってきそうにないので、何か才能の発揮できる役職に就ければいいと大人たちは願っていた。
その葛城王の運命が、少し前に大きく変わった。母のせいだった。葛城王の母は女官として宮中でかなりの影響力を持つ県犬養三千代である。三千代は、天武帝の正統な後継者であった草壁皇子の妻で文武帝の母である阿閉皇女に仕え、文武帝の乳母でもあった。そして三千代は、藤原不比等の後妻に収まった。つまり、葛城王は母の再婚を通じて、今まさに栄華を誇ろうとしている藤原不比等と深いかかわりを持つことができたのである。
さて、藤原不比等には息子だけでなく娘もいた。宮子という娘である。
彼女は不比等と、身分の低い恋人との間に生まれた娘だった。当時、不比等は後ろ盾となってくれる有力な親族もいなければ、自身もようやく官途に就き始めたばかりで、加えて壬申の乱の恐怖が色濃く残っている時代でもあった。宮子を陰謀渦巻く飛鳥で危険にさらしながら育てるよりも、母の故郷である紀伊国で自由にのびのびと育って、自由に生きた方が娘のためだろうと思ったのだ。宮子は紀州の海で、海女たちに混ざって海に飛び込んで遊ぶ幼少期を過ごしたらしい。
やがて不比等は、父の遺した栄誉と己の才覚、そして県犬養三千代の宮廷工作にも助けられて、政治の中枢に躍り出ることになった。日本のために力を存分に振るうためには、かつての蘇我氏のように、娘を皇室に嫁がせ血縁関係を結んでいくことが欠かせないことを、不比等は悟っていた。藤原不比等の最初の妻は蘇我娼子。蘇我馬子のひ孫にあたる女性だ。不比等は義理の親族である蘇我氏から、一族が生き延びる術を学んでいた。
要するに、文武帝の妃にできる年頃の娘が必要だった。
そこで、不比等は田舎でのびのびと育てられた宮子を、飛鳥に連れ戻した。まだ20代半ばの若い文武帝は、都の女たちはない快活で健康な藤原宮子の美しさに惚れ込んだし、宮子も文武帝のことを好いていた。だが、陰謀の渦巻く宮中に宮子はすでに疲れ果てていた。待望の子を腹に宿してからは、妙にふさぎ込むことが増えているという噂が広まっていた。不比等や宮子のことをあれこれ噂する者も多く、それがまた宮子を一層ふさぎこませていた。
普段通りであれば、不比等と三千代が宮廷内で次々と人を動かし、一切の憂いがないように徹底できるのだが、あいにく県犬養三千代も藤原不比等の子を妊娠して、今は宮中に出仕できていない。やはり目の届かないところがあるらしく、不比等も出産を終えてなおふさぎこんでいる宮子を心配していた。
その時、不比等の邸の奥の方から、湿り気を帯びた暑い風と共に、赤子の泣く声がかすかに聞こえてきた。
「そういえば、藤原家に新たな御子が加わったのだったな。」
粟田真人がそう言って不比等に向けて盃をかかげた。
「実にめでたい。子どもは皆の宝だ。」
下毛野古麻呂も大きくうなずいた。
「おなごか。父親としてはかわいい限りだろう。」
忍壁皇子がそう言ってにやりと笑った。
「無事に生まれてくれて何よりですが、元気よく泣く子で、邸が急に賑やかになりました。3番目の馬養に末の麻呂も急にお兄さんぶって甘やかそうと駆け回っていますし、長娥子も多比能も何かと賑やかで。」
不比等は少し困ったように、だが幸せに包まれた笑顔で首をすくめたのを、山上憶良はぼんやりと考え事をしながら眺めていた。
山上憶良は、幼馴染の女性を妻として大切に想っていた。2人は仲睦まじい夫婦であったが、なかなか子が生まれなかった。もっとも財産や地位を存分に残せる大貴族ではないため、子供がいなくても夫婦でささやかな幸せを楽しめれば良いと、憶良は思っていたし、妻も子がいないことを悲しむようなそぶりは見せなかった。
幸いなことに、近所の子供たちや同僚の子供たちに2人は慕われていたので、家の中が静かすぎることはめったになった。料理や裁縫を教えてほしいという女の子たちや、漢字の読み書きを教えてほしいという男の子たちが毎日訪ねてくるからだ。血のつながった子はいなかったが、我が子のように見守りたい子どもたちは数えきれないほどいた。それはそれで幸福なことだと2人は思っている。
だが、それでも時折、妻は寂しげな顔をして見せる。憶良もまた元気よく駆け回る子供たちを見ると、こみあげてくる想いがあった。
「あの馬養殿と麻呂殿が、お兄さんですか。微笑ましい。」
下毛野古麻呂は笑い声をあげて、事情をあまり知らない憶良に向かって話しかけた。
「頭の痛くなるような新律の込み入った話をしている時に、そこの扉があいたかと思うと、5歳にもならない男の子が2人、棒切れを振り回しながら飛び込んできましてね。鬼退治だ、とヤアヤア言うんですよ。それはもうすごい風景で。」
他の大人たちも、古麻呂の話ににこにこ笑いながら頷いた。
「そういえばその時、不比等殿は席を外されていたのですよね。」
粟田真人はそう言って、からかうように笑った。古麻呂が話を続ける。
「鬼はどこだと机の下にもぐったり、わたしらを棒でぺちぺちと叩いたり。貴重な紙はぐしゃぐしゃにされ、それぞれが持ち寄った新律の案を書いた木簡は勇ましい男子たちの新しい武器にされてしまうし。そこへ、武智麻呂殿と房前殿が血相を変えて飛び込んで来まして、馬養殿と麻呂殿を捕まえようとするのですが、すばしっこくてなかなか捕まらなくて。武智麻呂殿なんて慣れない朝服でしたから、大騒ぎでした。」
古麻呂に続いて、真人が口を開いた。
「なんでも、一番上の兄の武智麻呂殿がいよいよ宮廷に出ることになったので、馬養殿と麻呂殿が話を聞かせてほしいとせがんだそうなのです。そこで武智麻呂殿と房前殿が面白半分に”飛鳥の都には鬼がいる”などと話したらしくて。房前殿なんて、とても言葉が上手でしょう? 子どもたちは驚いて鬼退治に屋敷中を駆け回ってしまったのだとか。」
「それで大騒ぎの鬼退治をしていたところに、不比等殿が戻ってきたんですよ。いやぁ、不比等殿が父親らしい顔をしているのを初めて見させてもらいました。」
下毛野古麻呂と粟田真人は、再び声をあげて、まだ自分たちよりも若い藤原不比等を優しく見つめた。
「そういえば、長娥子殿も多比能殿も、そろそろ結婚の話が進んでいる頃だろう?」
忍壁皇子が、ふと真面目な顔をして言った。
「不比等殿、娘にいい夫を見つけてやるのは、父親の仕事だ。どうなのかね?」
「そうですね……。考えてはいるのですが、まだ正式に決まったわけではありませんから。」
言葉を濁した不比等に、粟田真人が盃を片手に迫った。
「しかし、宮子殿は帝の妃。長娥子殿と多比能殿の、高貴な身分の方に嫁ぐのではないかと皆が噂しておりますよ?」
「不比等殿のことだ。きっと飛鳥の都で一番優秀で高貴な男子の下に嫁がせるに違いない。」
下毛野古麻呂はそう言って盃に口をつけながら、ふと先ほどの会話に登場した長屋王に葛城王を思い出した。
おそらく、自分たちの次の時代を作るのが、今目の前で盃を見つめている藤原不比等や山上憶良、大伴旅人などの世代だろう。そしてその次に政治の表舞台に躍り出るのは、長屋王に葛城王だ。そして彼らは、不比等の嫡男たる藤原武智麻呂と藤原房前の、良き同僚にもなり得れば、憎き政敵にもなり得た。
あの中臣鎌足の血を引く男だ。敵になりうる人間は、早いうちにこの世から消し去るか、早いうちに味方にしようとしているに違いない。敵を味方に引き入れるためなら、己の娘の人生を喜んで使うだろう。
幸いなことに、長屋王と葛城王、藤原長娥子も藤原多比能も、青春を謳歌する10代半ばの若者であった。
「宮子殿といえば、先日無事に皇子様をお産みになったのであったな。改めてお祝いを申し上げる。」
粟田真人がそう言うと、部屋にいた男たちは不比等に向けて再び盃をかかげた。不比等も静かに頭を下げた。
「少し難産だったと聞いていますが、ともかく母子ともに無事で何よりでした。」
不比等はそう言ってわずかに唇をかみしめた。孫は無事に生まれたが、娘の心は壊れてしまったらしい。自分の子が泣きだしても耳を塞いでふさぎ込んだり、女官に向かって突然物を投げたりと様子がおかしく、文武帝も心配している。僧侶たちからは、宮子をどこか静かなところで休ませた方が良いだろうと言われていた。孫の誕生は喜ばしいことであったが、祝いの言葉をかけられるたびに、ふさぎ込む娘の姿を思い出した。
「首皇子様のお祖父様であられるとは、実にめでたい。」
下毛野古麻呂は、この夜何度目かの祝いの言葉を口にして、また盃を傾けた。
この首皇子こそ、仏教に深く帰依し、唐から伝わったあらゆるものを昇華させて天平の世を作り上げた聖武天皇である。天武帝と持統帝の系譜に連なる正統な後継者であり、かつ藤原不比等の、もっと言えば中臣鎌足の血を引く皇子であった。
そして、同じ年に藤原不比等に生まれた娘こそ、その聖武天皇に寄り添った光明皇后である。
山上憶良は、ちらりと部屋の外に広がる庭を見た。湿った暑い風は、もう夜を運んできていた。上弦の月がぽっかりと浮かんでいる。憶良はそっと立ち上がると、4人に向かって軽く礼をした。
「今日はありがとうございました。あまり遅くなると妻が心配しますので、私はこれにて失礼させていただきます。」
忍壁皇子と下毛野古麻呂は、ゆっくりと頷いた。藤原不比等は相変わらず冷たいが興味深げな顔で山上憶良を見ている。
「憶良殿、少しだけ待ってくれ。確認したいことがある。」
「真人殿、宴の席で仕事の話はやめましょうよ。」
下毛野古麻呂の小言を無視するように、粟田真人が口を開いた。
「今日の夕方に、突然訪ねてきて留学生に加えてほしいと言った僧がいたな? 名前を覚えているか?」
「たしか、弁正と申す僧です。『易経』や『老子』についてもっと詳しく学びたいと延々と話し続けていましたね。特技は囲碁で、唐人にも負けないと豪語していました。」
「そう、その僧侶だ。面白い奴だったな。人数にまだ余裕があるから乗せてやれ。まぁ、自分であれこれ学べる男だろうし。」
「では、明日にでも名前を加えておきましょう。」
「それから、阿倍宿奈麻呂殿を遣唐使に加える話はどうなった?彼の算術の知識は素晴らしい。任せたい仕事もあるし、唐で切磋琢磨するのも悪くないだろう。」
「いろいろと掛け合ってみたのですが、阿倍御主人殿から直々に断られました。」
「右大臣が直々に断ったか。」
粟田真人は、低い声でうなった。
「ええ、おそらく宿奈麻呂殿を阿部の氏族の次の氏上と見ておられるのでしょう。御主人殿もずいぶんと高齢ですからね。」
阿部氏は、孝元天皇の皇子の大彦命を祖先とする氏族だ。大彦命は四道将軍として北陸の平定に貢献した皇子で、子孫たちも将軍として活躍したものが多い。特に、北の蝦夷を服属させ、さらに北の粛慎と戦い、白村江の戦いを生き抜き、筑紫大宰帥として九州の防衛体制を作り上げた阿倍比羅夫の名は、大宝の世にも知れ渡っていた。阿倍宿奈麻呂は彼の長男である。
「宿奈麻呂殿には弟がいただろう? 安麻呂殿や船守殿はどうだ? まだ若いが唐の文化を学ぶのにちょうどいいだろう。」
忍壁皇子が、粟田真人と山上憶良に声をかけた。
「実は、私どもそう思っていたのです。ですが、安麻呂殿は少し体が弱く、長い航海には向いていないのではないかと心配する者が多くて。船守殿は優秀な方ですし是非ともと声をかけたのですが、幼い子供がおりまして、かなり迷っている様子で。私たちからも強く頼むことができませんでした。」
「そうか、比羅夫殿の一族にはぜひ海を渡ってほしかったが、今回は難しいようだな。」
「皆優秀な一族ですから、次の遣唐使やそのまた次の遣唐使にはきっと名乗り出るでしょう。」
山上憶良は、粟田真人を慰めるように声をかけた。彼らはまだ知らなかったが、この阿部船守の幼い息子こそ、この物語の主人公の1人である阿倍仲麻呂である。
「いろいろと引き留めてすまなかったな。あとは明日にしよう。奥方によろしく伝えてくれ。」
「こちらこそ、失礼いたします。」
山上憶良は丁寧に頭を下げると、身分と年齢の関係ない不思議な部屋を後にした。その後ろ姿を、葉月の上弦の月が静かに照らしていた。
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