幾千の愛の記憶を 僕らは辿って行こうよ とこしえに君を守るよ【日本】
山下達郎の「僕らの夏の夢」を聞きながら書きました。
霊亀3年、西暦717年の夏の夜のことであった。
平城宮のすぐ東の藤原不比等の邸には、一族の者が集まっていた。平安京で歴史書を編纂した私から見れば、この夜に集った人々は夢のような存在だ。まさに奈良の都の主役たちである。
「東宮様、だいたい知っていると思うけれど、みんなを紹介するわね。」
この国の皇太子である首皇子は、夫人の藤原光明子が、ずらりと並んだ親族を紹介する声をやや緊張した面持ちで聞いていた。
「まずはお父様とお母様。」
まず最初は、自らの祖父でもあり義父でもある藤原不比等と、宮中に仕える女官を長きにわたって取りまとめている橘三千代である。2人はかわいい孫にして娘婿である首皇子に対してゆっくりと頭を下げた。
「次は一番上の武智麻呂の兄上。奥様の阿部貞媛様に、武智麻呂の兄上のところの豊成と仲麻呂と、乙麻呂と巨勢麻呂。」
この国の皇太子である首皇子は、少し不思議な気持ちでよく見知った伯父と目を合わせて軽く会釈をした。栄華を誇る藤原氏の嫡男として堂々とした表情で、その嫡男の豊成と次男の仲麻呂も少し緊張した面持ちできちんと座っている。しかしまだ幼い乙麻呂と巨勢麻呂は目の前の豪勢な料理に心を奪われていて、この国の皇太子である従兄弟には目もくれなかった。
「で、こっちが二番目の房前の兄上に、奥様の牟漏の姉上。鳥養と永手と八束と、この間生まれたばかりの清河に、宇比良古と阿麻売。」
やはり朝廷で見かけない日がない伯父がにやりと笑って軽く会釈を返す。永手と八束は早くもぐずり始めており、牟漏女王がそっとあやしていた。
「それでこっちが、この宴の主役で、三番目の馬養の兄上。それと奥様の石上国盛様に、兄上のところの広嗣と宿奈麻呂と清成。」
首皇子にとって兄のような存在の伯父が、いつもどおりの屈託のない笑顔で笑いかけてくる。だがこのまだ23歳の歳の近い伯父が、幼い3人の息子たちに囲まれて父親をしている姿は見慣れないので、新鮮な光景だった。
「で、四番目の麻呂の兄上。今日はわざわざ美濃から帰京してくださったの。」
歳の変わらない伯父が、ぶっきらぼうな顔で会釈をした。やや欲望に淡泊すぎるところがあるが、生まれながらに”日継ぎの皇子”とちやほやされた首皇子にとっては、肩ひじ張らずにあれこれ話せる良い幼馴染でもあった。
「それから、長娥子お姉さまと、旦那様の長屋王殿下。それからこの間生まれた安宿王と、長屋王殿下のところの膳夫王様、桑田王様、葛木王様。」
首皇子の親族でもある長屋王が丁寧に礼を返す。その子供たちの膳夫王、桑田王、葛木王も父のような素晴らしい礼をして見せた。
「えーっとそれから、多比能お姉さまと、お姉さまの夫で私の兄の葛城の兄上。」
葛城王がほほ笑んで会釈をし、皇太子に向かって盃を掲げるような素振りをした。それを隣に座っていた長屋王が咎めるような眼で睨む。だが次の瞬間、2人の義兄弟は呆れたように微笑み、ささやかな冗談を楽しんでいた。
「それから殿刀自お姉さまと、旦那様の大伴古慈斐殿。若いけれどとても才能のある方なのよ。」
おそらくまだ任官前で、大学寮あたりにいるのだろう。あまり見かけない顔だったが、大伴古慈斐は丁寧な礼で首皇子に印象を残した。
「それから斗売娘叔母様と、叔母様のところの中臣東人殿。」
中臣東人は式部省に勤めている官人だ。上司にあたる長屋王が宴に同席していることにやや緊張した面持ちだ。
「それであちらが佐為の兄上と、兄上のところの古那可智様と真都我様。」
幼い娘を2人ちょこんと座らせて、佐為王がほほ笑んで会釈をした。佐為王橘三千代の子で、葛城王の弟にあたる。文芸に秀でた人物で、首皇子も時折詩作などを教わっている。
「あとは、県犬養石次叔父様。」
光明子の母の橘三千代の弟である県犬養石次がにやりと笑って会釈をした。この県犬養石次に、吉備国出身で遣唐留学生に選ばれた下道真備が滞在している。
「それと、母上の妹の県犬養八重様に、旦那様の白猪広成殿。」
橘三千代の歳の離れた妹の八重がにっこりと笑った。夫の白猪広成の弟が、同じく遣唐留学生に選ばれた白猪真成である。
「それから、麻呂の兄上のお兄様にあたる新田部皇子様と、お子様の陽侯女王様。」
首皇子にとっては大叔父にあたる新田部皇子が笑っている。新田部皇子の母の五百重娘が不比等と再婚した後に生んだのが麻呂で、2人は異母兄弟にあたるのだ。
「それで、こちらがお兄様たちの母方の従兄弟の石川石足殿。その隣がお子様の年足殿、人成殿、豊成殿。」
石川石足が丁寧に礼をした。つい先日、戸籍や儀式を管理する治部卿になった男だ。先祖代々名乗っていた蘇我氏の氏を変え、今は石川氏を名乗っているが、古来より続く名門の出身である。子どもたちも首皇子より年上だ。
「で、こちらが石上勝男殿と石上乙麻呂殿。お二人は馬養の兄上の奥様の国盛様のお兄様方よ。」
石上勝男と石上乙麻呂が揃って頭を下げた。
「それから、こちらが阿倍広庭殿。武智麻呂の兄上の奥様の貞媛様の叔父様にあたるわ。」
長屋王と仲の良い阿倍広庭は、少しうれしそうな顔で笑った。なお、この阿倍広庭の親族にあたるのが、今回の遣唐留学生の阿倍仲麻呂である。
「そして、こちらがお父様のお客様の粟田真人殿とお子様の粟田必登殿に粟田人上殿。」
これまた朝廷で見かけない日はない中納言の粟田真人がゆったりと礼をした。
粟田真人は大宰府勤務を歴任した日本随一の外交家で、その知識を多分に生かして不比等と共に大宝律令を作り上げた人物だ。学問僧として、そして遣唐執節使として、2度も海を渡った人物でもある。
「東宮様、どう? 覚えたかしら?」
聡明な妻のあっけらかんとした声に、首皇子は思わず苦笑いをした。朝廷に仕えている高級官僚の顔と名前は把握しているが、その複雑な血縁関係はなかなか覚えられるものではないし、ましてや任官前の子供たちの区別などつかないというのが正直なところだ。
「えっと……。」
言葉を濁した皇太子と目の前の御馳走に気をとられて騒ぎ始めた幼い孫たちをちらりと見た藤原不比等は、皆に聞こえるように声を張り上げた。
「まぁ、身内の気楽な宴だ。大いに飲んで食べて、楽しもう。」
その言葉を合図に、幼い孫たちが一斉に御馳走に飛び掛かった。つられるように大人たちも手を伸ばす。宴の始まりだった。
今夜は、遣唐使の一員として唐に渡る藤原馬養を送り出す送別の宴であった。さすがは平城京で随一の権力を誇る藤原不比等の三男を送り出す宴である。基本的には身内だけを呼んだ宴であったが、そうそうたる面々が集まっていた。
「首皇子様、本日は我が邸までご足労いただき、誠にありがとうございます。」
「いえいえ不比等殿、あなたは私のおじい様でありませんか。孫の私が足を運ぶのが当然です。」
真っ先に皇太子の盃に酒を注ぎに来た藤原不比等に、今度は娘の光明子が酒を注ぐ。
「お父様、お酒をどうぞ。それに私たちが住んでいる東院は不比等邸のすぐ隣よ。いつでも来るわ。」
藤原氏の氏上として一族を率いるのは、58歳となった藤原不比等である。右大臣として人臣の頂点に昇りつめ、優秀な息子と娘にも支えられ、平城京で並ぶ者のいない栄華を誇っている。
この頃、不比等は自らが作り上げた大宝律令の改定に勤しんでいたが、日々の激務にあまり進まずやや疲れた表情を浮かべていることが多かった。それでも息子たちや娘たち、次世代の政治家たちの成長を眺める目は優しい。
不比等は嫡男たる藤原武智麻呂と、次男ながら政治家としてたぐいまれない才覚を持つ藤原房前には、自らの後継者として徹底的に政治の術を叩きこんだ。だが三男の馬養と四男の麻呂は自由にのびのびと育ててやりたいと常々思っていた。
父として、また右大臣として藤原馬養の進路をどうするか考えあぐねていた時、不比等はかつて親族の中臣意美麻呂に「馬養はどこか藤原真人に似ている」と言われたことを思い出した。
出家して定恵と名乗った兄は、遣唐使の1人として唐に渡った。甥が唐に渡ったとあの世で聞いたら、亡き兄はきっと喜ぶだろう。明るくはつらつとした三男を危険な旅路に送り出すことへは戸惑いがあったものの、不比等は馬養を送り出そうと決めた。こうして不比等は、三男の最初の官歴を”遣唐副使”としたのだった。
「東宮様、本日はありがとうございます。」
「三千代殿、私の祖母の上皇様の代からの忠義を、いつも頼もしく思っています。」
「ありがとうございます、東宮様。安宿媛、あなたはもう少しおとなしくしてくれれば良いのだけれど。」
「お母さま、お寺に通っているだけよ。東宮様の許可はいただいているし、宮中の中だけではわからないことが見えるわ。」
藤原不比等の最初の正妻であった蘇我娼子は、馬養を生んだ直後に亡くなっている。そのため宴の主の横に座っていたのは後妻の橘三千代であった。
元は県犬養を名乗っていた三千代は、10年ほど前に橘という新たな氏を与えられ、後宮の重鎮として宮中を切り盛りしている。非常に強い上昇志向を持つ苛烈な女性である一方で、家族へは細やかな愛を向ける女性であった。今夜は、前の夫との間に生まれた葛城王、佐為王、牟漏女王に加えて、不比等の間に生まれた藤原光明子まで揃い、いつにもまして嬉しそうな顔で盃を手にしていた。
「兄上、見て。この間、阿倍宿奈麻呂殿に算木で教わったんだけど……。」
「ったく仲麻呂、こんな時にも算術とは。」
「本当にこれはすごい発見なんだ。兄上、見て。」
「はいはい、それで今度はどんな発見をしたんだ?」
数本の箸を床に並べて遊び始めた兄弟の頭に、こつんと父の 武智麻呂の拳がぶつかった。
「こらっ、仲麻呂。箸で遊ぶんじゃない。豊成も兄としてきちんと注意しなさい。」
「そうですよ、豊成に仲麻呂。弟や従兄弟たちが真似してしまうでしょう?」
長兄の藤原武智麻呂は37歳。深い教養の持ち主であり、今は文官の人事を司る式部大輔を務めている。初めて官職を得てから、役人を育てる大学寮に関連する役職に就くことが多く、若手の優秀な官人たちのこともよく知っており、藤原氏の嫡男として人脈も広げていた。
今日は妻の阿部貞媛に加えて、13歳になる長男の藤原豊成、11歳になる次男の藤原仲麻呂、さらにまだ幼い三男の藤原乙麻呂と四男の藤原巨勢麻呂も連れてきており、早くも宴に飽きた様子ではしゃぎまくっている。夜更かしをさせてもらえるのがよほど嬉しいらしい。
「ちちうえ、みて。もらった。」
「永手、何をもらったんだい?」
「くだもの!」
「おお、それは良かったな。おじい様にありがとうを言ったか?」
「ありがとう!」
「ったく、それを父ではなくておじい様に言えるかな?」
次兄の藤原房前はとコトコと歩く幼い息子を細い眼で眺めた。今年で36歳。東海道や東山道の巡察使を度々務め、地方の事情にかなり詳しい。兄の武智麻呂以上の才覚を持つと噂され、期待の声も高かった。
まだ内々の話ではあったが、この秋に参議に任ぜられ、兄の武智麻呂に先んじてこの国の最高意思決定機関である議政官の一員になることが決まっていた。
議政官には「1つの氏族から1人」という暗黙の了解がある。だが房前の才覚と藤原氏の未来を考えた不比等は、何とかこの前例を破って武智麻呂と房前の2人を議政官にしてやりたいと考えていた。嫡男である武智麻呂には、最悪の場合でも不比等の死後に自動的にそれ相応の役職が引き継がれるだろう。ならば自分が生きているうちに次男の房前を引き上げておこうと考えたのだ。武智麻呂の「藤原南家」と房前の「藤原北家」は別の家であるとすれば、屁理屈にはなる。
さて、この宴の時点で武智麻呂も房前も父の構想を大方知っている。
双子のように共に育ってきた兄弟だ。互いの才能は誰よりもよく知っていたし、特に何も思わなかったというのが正直なところだ。一応、不比等が長男には「お前が嫡男である」と尊重しているような言葉を投げかける一方で、次男にも「お前は兄を超えろ」などと発破をかけていることも、ため息と共に理解している。
藤原不比等と言う男は、政治家としては日本随一であったが、父親としては少し気弱なところがあると、息子たちはぼんやりと考えていた。
その房前も今や父親だ。今日は妻の牟漏女王と、長男の藤原鳥養を連れてきている。鳥養はちょうど従兄弟の豊成や仲麻呂と同じ年で、宴に飽きて走り回り始めている。
加えて、まだ言葉も話せない幼子も3人連れてきていた。次男の藤原永手は2歳、三男の藤原八束は1歳、その弟の藤原清河は本当に生まれたばかりだ。
この赤子は、後にこの遣唐使たちの物語に加わる運命の持ち主である。
清河は藤原の房前の四男にあたる。八束と同じ年頃で、生母は牟漏女王ではなかったが、今日は彼女に縋り付いている。先ほどまでは長兄の鳥養に連れられ、走り回っている従兄弟たちに加わっていたものの、幼くて置いて行かれたらしい。
さらに房前は、娘の宇比良古と阿麻売も連れてきていた。ちょうど鳥養たちと同年代なので、従兄弟たちに混ざってこれまた駆け回っている。
せっかくなのでこの機会に子どもたちを祖父に会わせてやろうと連れて来たのだった。案の定、不比等はかわいい孫たちにすっかり心を奪われ、ずっとあやして遊んでいる。
思えば、藤原家の者たちは子煩悩なものが多いし、孫が生まれた時には本当に嬉しそうな顔をする。
私は平安京で、房前の子孫にあたる藤原基経と共に仕事をしていたが、彼も子や孫を心の底から愛していて、何かとあれこれ自慢や惚気を聞いていたものだ。
思い出されるのは、やはり笙の話だろう。
基経殿は笙という楽器の名手で、長男の藤原時平の子の保忠に熱心に教えたのだという。孫の音楽の才能が素晴らしいという自慢話を何度聞かされたことか。だが、それを語る基経殿の顔はとても優しい祖父の顔で、微笑ましくもあった。応天門の変や阿衡の紛議で見せたどす黒い顔が嘘のように思えたものだ。
基経殿に大変申し訳ないのは、この私が孫の保忠殿を死に追いやってしまったことだろう。
右大臣となった私と、左大臣となった藤原時平は、両の翼として朝廷を支えていた。平城京の時代から受け継がれた伝統を守りつつも、新たな時代に合わせて改革を進めていく厳しい仕事ではあったが、思い返せば笑いの絶えない職場であった。時平殿はまだ若く、恋愛に関してはあれこれ問題を抱えていたものの、大変優秀な人物でまさに「日本のかために用いるにはあまらせたり」という男であった。彼と共に働くのは気持ちの良いことであったし、あれほど優秀なのに些細なことで大笑いする彼の屈託のない明るさを眺めるのは好きだった。
しかし、宇多上皇のつながりが深い私と、醍醐帝の近臣であった時平殿との間には、やがて深い溝ができていく。私を大宰府に左遷させたのは時平殿であったと知った時には、恨みや怒りよりも悲しみが強かったのを、私は今でも覚えている。
藤原時平はその後、若くして死んだ。彼の子どもたちもまた、長生きしなかったという。どうやらこれは怨霊となった私の仕業らしい。今でも、あの日の基経殿の嬉しそうな祖父としての顔を思い出すたびに、私の胸はわずかに痛む。
話を、藤原馬養を送り出す送別の宴に戻そう。
「私は、馬養殿がちょうど広嗣殿くらいの歳だった頃をよく覚えているよ。」
粟田真人が、盃を片手に穏やかな微笑を浮かべて藤原馬養を見つめた。
「粟田真人殿、今日は本当にありがとうございます。」
この宴の主役の藤原馬養も盃を片手に礼を言った。その傍らには、幼い 広嗣が座り込んで、父の腰に刺さった刀の紐をいじくって遊んでいる。
「本当に、今でもよく覚えているよ。飛鳥の不比等殿の邸で、今は亡き忍壁皇子様や下毛野古麻呂殿と大宝の新律を作っていた時のことだ。」
「真人殿、その話はもうやめてください。」
「構いませんわ、真人殿。どうか、広嗣たちに父の武勇伝を聞かせてやってください。」
バツの悪そうな顔の藤原馬養の横で、妻の石上国盛がにこやかに笑った。
「それでは、奥方とご嫡男殿に向けて、老人の思い出話を聞かせて差し上げましょう。」
粟田真人はそう言って遠く昔を思い出すような顔をした。
「頭の痛くなるような新律の込み入った話をしている時に、突然扉があいたかと思うと、5歳にもならない男の子が2人、棒切れを振り回しながら飛び込んできましてね。鬼退治だ、とヤアヤア言うんですよ。それはもうすごい風景で。」
鬼と言う言葉が出て、幼い広嗣が驚いて粟田真人を見上げた。
「鬼はどこだと机の下にもぐったり、わたしらを棒でぺちぺちと叩いたり。貴重な紙はぐしゃぐしゃにされ、木簡は勇ましい男子たちの新しい武器にされてしまうし。」
「まぁ、なんて勇ましいお父様なのでしょう?」
国盛が、息子の広嗣の驚いた顔を覗き込みながら笑った。
「そこへ、ちょうど今の馬養殿や麻呂殿くらいの若さだった武智麻呂殿と房前殿が、血相を変えて飛び込んで来ましてね。幼い馬養殿と麻呂殿を捕まえようとするのですが、すばしっこくてなかなか捕まらなくて。武智麻呂殿なんて慣れない朝服でしたから、大騒ぎでした。」
「ああ、ちょうど武智麻呂の兄上が官人になった頃でしたよね?」
馬養は少し照れたような表情で言葉を続けた。
「武智麻呂の兄上から、宮中の話を聞きたくてたまらなかったのを覚えています。そうしたら房前の兄上が”飛鳥の宮殿には鬼が住んでいる”とか”父上や兄上は実は鬼退治をしている”とか言うんですよ。」
馬養はそう言って、向こうの方で盃を片手に長屋王や阿倍広庭と何か楽しげに話している房前を見つめた。
「房前の兄上が深刻そうな口調で話すので、本当に鬼がいるんだと思いましたよ。まだ幼かったですが、あの部屋にそうそうたる大人たちが日夜集まっているのは気づいていたので、もしかしたら鬼じゃないかと、気持ちが高ぶってしまった。」
馬養はそう言って、申し訳なさそうな笑顔を見せた。それを見て、粟田真人が言葉を続ける。
「それで大騒ぎの鬼退治をしていたところに、ちょうど不比等殿が戻ってきたんですよ。実は私たちも不比等殿が父親らしい顔をしているのを見るのは初めてで、なんだか笑顔になったのを覚えています。」
粟田真人はそう言って目を細めた。
「あの時の幼子が、もう父親になったのですね。」
「広嗣と宿奈麻呂と清成は私の宝です。遣唐副使に選ばれたことは身に余る誉ですが、幼い子供たちを置いて海を渡るのは辛いものです。」
馬養の少し寂しそうな顔に、粟田真人は唐突に旧友の姿を思い出した。
「藤原家から海を渡るのは、これで2人目ですね。」
粟田真人が初めて海を渡った時に、同じ船にあの中臣鎌足の長男が乗り込んでいた。定恵という名の学問僧で、元の名を中臣真人と言う。俗名が同じであったことと、年頃も近かったため、2人はすぐに親友同士となった。
若い頃から秀才と噂され、天智帝と共に”大化の改新”を行った父の鎌足の意志を受け継ぎ、定恵は仏教界の人脈を存分に活かした外交術を身に着けることで、ようやく花開こうとしている小さな日本をしたたかに船出させようとしていた。帝や父をどう支えるか、夜遅くまで長安の宿舎で語り合ったものだった。
やがて日本には帰国したが、定恵は帰国してすぐに若くして死んでしまった。親友と入れ替わるようにこの世に生まれた弟が藤原不比等である。
その後、成長した藤原不比等は粟田真人の同僚となり、共に働くことになった。唐で学んだ知識を活かして大宝律令を完成させ、遣唐執節使として”日本”の鮮烈な船出を成し遂げ、今は議政官の一員としてこの国の中枢に携わっている。
まるで、親友の意志を受け継ぐかのような人生であった。
そう粟田真人は心の奥底で思った。藤原馬養の横顔を見て、ふと思い立ったのだ。
「……ああ、そうでした。真人殿は、定恵の伯父上と共に唐に渡られているのでしたね。」
藤原馬養は、話でしか聞いたことのない伯父の名を要約思い出したようだ。
「ええ、そうです。いつか定恵の血縁の者が、彼の意志を継いでくれたら、とずっと思っていたものですから。」
粟田真人はそう言って、寂しさと希望でいっぱいの笑顔を浮かべるまだ若い藤原馬養と、父の膝のあたりに縋り付くように座っている幼い藤原広嗣に、そっと盃をささげた。かつての親友の面影を受け継ぐこの若い親子に、末永く続く幸福が訪れてほしいという願いを盃に込めて飲み干す。
粟田真人は知る由もなかったが、この23年後に藤原広嗣は大宰府で反乱を起こし、悲惨な最期を遂げるのである。
不比等の末息子の藤原麻呂は22歳。美濃介に在職中で地方に赴任していたが、今回は兄を送り出す特別な宴ということでわざわざ帰京してきた。久々に都で見かける麻呂の姿に、家族の者は有頂天だ。一方、麻呂はやや面倒くさそうな顔で座り込んでいた。
不比等の息子たちは、父から受け継いだ権力と才能とそれらがもたらす平凡とはかけ離れた激動な人生を「せっかくだから」とそれなりに楽しんでいたが、麻呂は権力にも才能にも数奇な運命にも興味を持たなかった。政治家として十分な才能があり、兄の房前と同じくらい口も達者であったが、優秀すぎる家族に囲まれ、すでに自虐的な物言いをして逃げ出すことが多い。
兄たちは何とかこの末弟にも輝いてほしいと心配しているのだが、麻呂本人があまりガツガツとした姿を見せようとしないので、どうしようかと頭を抱えているらしい。一方、父の不比等は欲望に淡泊な末息子が面白いらしく、割と放っておいていた。
さて、末弟の麻呂には異父兄がいる。今日はその人物も顔を出していた。新田部皇子である。
「麻呂、久しぶりだな。この間は美濃の土産をありがとう。」
「新田部皇子様、ご無沙汰しております。」
「麻呂、父は違うが私たちは同じ母から生まれた兄弟だ。もっと気楽に話してくれ。」
「いえ、新田部皇子様。恐れ多いことです。」
「わかったよ。母上にはお会いしたか?」
「はい、宴の前に一度お部屋に伺いました。元気そうで安心しました。」
「麻呂が美濃から帰るのをとても楽しみにしておられた。たくさん話をしてやってほしい。」
麻呂の母は藤原五百重娘で、不比等の異母妹にあたる。元は天武帝に仕える夫人の1人で、新田部皇子を生み、後に藤原不比等の夫人の1人になって藤原麻呂を生んだ。親族同士の結婚が珍しくなかった時代ではあったが、腹違いとはいえ兄妹が結婚するというのはあまり例がない。天武帝崩御後、実家の藤原家に戻った五百重娘が兄との間に儲けてしまった望まれていない子ではないかとたびたび噂されており、藤原麻呂の自虐的な性格の一因にもなっているらしい。
麻呂の20歳ほど年上の異父兄にあたる新田部皇子は天武帝の子だ。皇族勢力の動力源たる存在で、兄弟の舎人皇子や天武帝の孫にあたる長屋王と共にいわゆる”皇親政治”を担う男である。
今日は、母の藤原五百重娘は体調不良で欠席したが、その名代も兼ねて新田部皇子が宴を訪れたらしい。
宴も1時間ほど経つと、食べ物に飽きた子どもたちが走り回るようになっていた。不比等の邸は平城京でも随一の広さであり、部屋の数も多いし庭も広い。子どもたちにとっては最高の遊び場だろう。
「乙麻呂、今度はお前が鬼だ!こっちへおいで!」
「広嗣、そんなに急ぐな。ゆーっくりだぞ。」
「おい、鳥養。あっちでお前の弟が泣いてるぞ。」
「八束は泣き虫なんだよ、仲麻呂。」
長男の武智麻呂の子どもたちである豊成と仲麻呂、それと次男の房前の子である鳥養と宇比良古と阿麻売は、しばらく前に隣の部屋に引きこもって何かたくらんだ後、宴に飽きてご機嫌斜めな小さな子どもたちを脅かしたり追いかけたりし始めた。幼子たちは従兄弟たちが遊んでくれるので上機嫌だ。
今は豊成と仲麻呂と鳥養を中心に、庭先で小石を投げたり草むらの無視を眺めたりして不比等の孫たちは遊んでいた。武智麻呂のところの乙麻呂と巨勢麻呂、房前のところの鳥養と永手と八束、馬養のところの広嗣と宿奈麻呂は、すっかりはしゃいでいる。
加えて、佐為王の娘の古那可智と真都我、新田部皇子の娘の陽侯女王も庭に降りてきて笑っている。
甥の仲麻呂に腕を引っ張られて、光明子と首皇子も庭に降りてきた。月光と篝火に照らされた庭で、光明子はしゃがみこんで甥や姪たちと話し、一緒に小石を投げたり歌ったりして遊んでやっていた。
この月光と篝火に照らされた庭で駆け回っている子どもたちが、後に即位して聖武天皇と名乗る首皇子の朝廷を支える者たちに成長するのだ。だが、駆け回っている子どもたちは皆、まだそのことに気づいていたし、気づいていた年長の者たちもこの時ばかりは忘れて、ただ従兄弟たちと笑っていた。
「しかし、子供たちは本当に元気ね。」
不比等の娘である長娥子が、長屋王との間に生まれた安宿王を抱えて庭の岩に腰かけ、駆け回っている甥や姪を眺めて言った。
「長娥子お姉様、私たちもきっとあんな風だったのよ。」
葛城王に嫁いだ多比能が同じ岩に腰かけてそうつぶやくと、もう一人の妹の殿刀自も静かに頷いた。
「長娥子お姉様、殿刀自、話があるの。」
「……多比能、言ってごらん。」
月光と篝火に照らされた庭の片隅で、長娥子が声を潜めて囁いた。
「安宿媛の事なんだけど……。」
姉妹は顔を見合わせて、庭で甥や姪たちと歌っている光明子を見つめた。
「たぶん、妊娠したんじゃないかと思うの。」
多比能は母の勧めもあって女官として宮中に出入りしている。皇太子の夫人である妹の身の回りの世話をすることも多く、光明子の身体の変化には敏感にならざるを得ない。
「それは、とてもめでたいことだわ。」
殿刀自は声を潜めて呟いた。
「でも、あの子、それを周囲の誰にも言っていないの。たぶん三千代様にも東宮様にも言っていないわ。」
「……まぁ、気持ちは分からなくもないわ。」
長娥子はそう言って、安宿王のおくるみをそっと整えた。
「お父様もお兄様たちも、ものすごく気にしているじゃない? 少し言い出しにくいわよ。」
多比能もため息をついて呟いた。
「しかも、県犬養広刀自様のご出産がもうすぐでしょう? もし男の子であったら……。」
3人の姉妹は今度は宴の部屋の方を見つめた。親族たちが集まって楽しそうに話をしている。藤原氏の栄華がこの先も永遠に続くかどうかは、妹の光明子にすべてかかっていた。妹が皇太子との間に後継ぎとなりうる男の子を産めば、この世は我が世となるのだ。
「安宿媛と広刀自様、仲が悪くないのよ。お互いに気を使いあっていて、見ていて痛々しくなるくらい。」
多比能はそう言って、庭の妹の姿を眺めた。
「何はともあれ、早いうちにお坊様に見ていただいたほうがいいわ。多比能、いい頃合いを見計らって、安宿媛の話を聞いてあげて頂戴。私も気をつけてみるようにしておくわ。殿刀自もお願いね。」
殿刀自がこくんと頷いた。
「それから多比能、子は天からの授かりものよ。誰に何を言われても、焦らなくていいから。」
多比能は少し寂しそうな顔で頷いた。葛城王と多比能は仲睦まじい夫婦として有名であったが、なかなか子が生まれなくて焦っているらしいという話が平城京では広まっていた。
「長娥子お姉様、多比能お姉さま、そろそろ一度子どもたちを中に入れましょう。新しい御馳走が用意されているわ。」
殿刀自が少し暗くなった姉たちを元気づけようと声をかけた。姉妹は微笑みあうと、岩から立ち上がって甥や姪の方へ歩き出した。
空には、美しい朧月がやわらかに輝いていた。
「つながりこそが、ボクらの武器。」
家族の力はいつの時代も偉大ですが、この”藤原”という家族は日本最強だと思っています。
コロナが収まったら、また親戚みんなでBBQができますように。




