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何如骨肉兄弟天生之羽翼乎【唐】

どうして骨肉を分けた兄弟の翼に勝てるだろうか?という意味です。

旧唐書からの引用なのですが、魏の曹丕の詩が元になっている表現のようです。

開元4年、西暦716年のある夜の出来事であった。とう長安ちょうあんの宮殿の一角で、2人の兄弟が父の遺骸を見つめて立ち尽くしていた。

 月下の宮殿は妙な静寂に包まれいる。かつての皇帝の死が隠されているからなのか、それてもこの兄弟たちを思いやってそっとしているか、とにかく妙に静かな夜であった。

 兄弟は、父の亡骸が寝かされた寝台の前で月の光を見る。まるで地面に降りた霜のようだった。

「陛下、大丈夫ですか?」

「……兄上、昔のように話してください。本当に、せめて今だけは。」

 兄の名を 李憲りけん、弟の名を李隆基りりゅうきという。

 弟は、4年前に皇帝に即位したばかりだ。唐の第9代皇帝の玄宗げんそうである。この2人は兄弟でありながら、君主と臣下でもあった。

「陛下、どうぞお分かりください。私たちには臣下として守るべき礼があるのです。」

「兄上、我らのたった1人の父上の前ですよ。」

 ぽつりと玄宗は呟くと、兄の方にそっと寄りかかった。兄は身じろぎもせず、黙って弟の体重を受け止めた。








 玄宗は、この7歳年上で穏やかな性格と音楽の才能を持つ兄をことのほか好いていた。母は違うが共に育ち、皇室を襲った血みどろの権力争いを共に生き抜いた兄弟だ。

 彼らの青春は、残酷な聡明さを持った祖母によって揺さぶられ続けた。

 当時、まだ李成器りせいきと名乗っていた兄は、父の睿宗えいそうの即位後、たった6歳で皇太子に選ばれた。祖母の則天武后そくてんぶこうの聡明さを受け継いだが、聡明すぎるゆえの苛烈さは受け継がずに済んだ穏やかな李成器りせいきを、期待の目で見る者も多かったという。

 しかし、そのその祖母がついに自らの息子たちに愛想をつかし、自ら女帝として即位してしまった。李成器りせいき李隆基りりゅうきの兄弟は”皇帝の孫”に格下げされた。女帝の血を引くため殺されることはなかったが、何も成すことのできない己の立場の不甲斐なさに、痛む面皰にきびを気にしながら月を見上げてぼんやりとするしかない青春を送った。

 転機が訪れたのは、神龍元年、西暦705年の事である。伯父の中宗ちゅうそう武則天ぶそくてんの退位を迫り、ついに母を皇帝の座から退けたのである。

 彼女は自分の実家の姓の甥に譲位しようとしたらしいが、宰相の狄仁傑てきじんけつの「礼に反する」との進言を受けた。「王者にとって全てが家族である」と真剣に迫る宰相の言葉を受け、武則天ぶそくてんはかつて無理やり退位させた自分の子の中宗ちゅうそうを皇太子にしていた。狄仁傑てきじんけつは稀代の名臣で、武則天ぶそくてんも彼の進言はよく聞いたという。彼の筋の通った進言がなければ、唐王朝が復活することはなかっただろう。

 その祖母も、退位から1年後に静かにあの世へ渡った。墓に刻む名を”則天武后そくてんぶこう”としたことに、孫たちは祖母のたぐいまれない聡明さを見ていたことをよく覚えている。皇帝としての名ではなく、あくまで皇后としての名を残す。この世界の秩序をよく理解していた祖母らしい。



 祖母の後を継いだのは、伯父の中宗ちゅうそうであった。ところがこの伯父は、ある日、殺されてしまう。

 手を下したのは、長い間苦楽を共にした妃と娘であった。この妃が、有名な韋后いこうである。

 韋后いこうも賢い女性であった。夫の中宗を支えるべく実家のの一族と共に姑のの一族に対抗した。夫が廃位されてからは流刑先に共に行き、生まれたばかりの娘を抱えて夫を支え続けたという。

 苦難の中で生まれた娘は、父が自らの衣を脱いで生まれたばかりの娘を包んだという話から安楽公主あんらくこうしゅと呼ばれていた。彼女は、彼女の祖母にあたる武則天ぶそくてんの甥の武三思ぶさんしの子に嫁がされていた。

 中宗は、苦難の時代を共に乗り越えた韋后いこう安楽公主あんらくこうしゅを心の底から信頼していたらしい。皇帝の座に返り咲いてからは、2人を政治の中枢に参加させ、常に意見を求めた。

 しかし、妃と娘は権力に溺れていった。権力に溺れていったというよりも、もう二度とあの苦しい生活に戻りたくないという必死の願いに溺れていったという方が正しいように、王朝の人々は思えてならなかったと度々囁いていた。ともかく、韋后いこう則天武后そくてんぶこうのように即位しようと考え、ついに夫の中宗ちゅうそうの飲み物に毒を盛った。景龍4年、西暦710年のことである。



 夫の突然の死を嘆き悲しむふりをしながら、韋后いこうは夫が遺した末息子の李重茂りちょうもを次の皇帝の座に据え付けた。たった15歳の殤帝しょうていの誕生である。自分の言いなりとなる殤帝しょうていを間に挟んだうえで、韋后いこう自身が即位しようという計画だった。

 殤帝しょうていの即位を祝う宴が白々しく続いていたある日、当時25歳だった李隆基りりゅうきは叔母の太平公主たいへいこうしゅから盃を差し出された。

隆基りゅうき、なぜ浮かない顔をしている。新たな皇帝陛下を祝う宴ぞ?」

 太平公主たいへいこうしゅは、第3代皇帝であった高宗こうそう則天武后そくてんぶこうの間に生まれた皇女である。両親ともに皇帝、兄もまた2人とも皇帝という中国史上たぐいまれない高貴な出自を誇る女性だ。母である則天武后そくてんぶこうの美貌と叡智、そして苛烈な残虐さを誰よりも受け継いだ娘でもある。天命を知る50歳を超えたが、自信に満ち溢れた美しさは長安の都でも圧倒的な光を放っていた。

「叔母上、ありがとうございます。」

 李隆基りりゅうきはそう言って、叔母から差し出された盃の中の酒を飲みほした。ところが、その酒からは全く味がしなかった。酒ではなく水だったのだ。

「どうだ、うまい酒だろう?」

 叔母の目が鋭く光っていた。李隆基りりゅうきは、咄嗟に叔母の真意を見抜いた。

「ええ、とても。」

「久しぶりに甥と飲みたくなった。お父上は息災か?」

 太平公主たいへいこうしゅは少し酒に酔ったようによく響く声で笑いながら、甥を人気のない柱のあたりに連れて行った。

 そのわずか一か月後、皇族の中で絶大なる影響力を持っていた太平公主たいへいこうしゅと、若手の皇族の中では一番聡明であると囁かれていた李隆基りりゅうきが、韋后いこう安楽公主あんらくこうしゅを毒殺。後ろ盾をなくした殤帝しょうていに退位を迫った。こうして太平公主たいへいこうしゅの兄にして李隆基りりゅうきの父である睿宗えいそうが復位したのである。

 李憲りけん李隆基りりゅうきの兄弟の青春を揺さぶり続けた聡明な女性たちの意地と誇りを賭けた血みどろの争いは、後の世では”武韋ぶい”と呼ばれている。



 父の復位後、李隆基りりゅうきは当然のごとく兄を皇太子とするつもりだった。

 以前、父が祖母の傀儡の皇帝であった時も、兄が皇太子の座についていたからだ。性格がやや穏やかすぎるところはあったが、芯のあるしなやかな男であったし、皇帝としての職務を全うできるだけの才覚もあった。宮廷の影の支配者である叔母の太平公主たいへいこうしゅも、温和な李憲りけんであれば操りやすいと賛同していた。無論、父の睿宗えいそうもそのつもりであった。

 ところが、兄は皇太子の座を断った。

 集まった親族も臣下も前代未聞のことにあっけにとられる中、李憲りけんはいつも通り穏やかな顔で淡々と、しかしはっきりとその理由を述べた。その日の宮中のかみなりに打たれたかのような静けさを、李隆基りりゅうきは今でも覚えている。

 兄は、自分が父の復位に何も貢献していないことを淡々と述べ、次に弟が功績も才覚も優れていると丁寧に述べた。そのうえで、この国を想うのであれば弟の李隆基りりゅうきこそが次の皇帝にふさわしいと提案したのだ。

 あまりのことに、新たな皇太子を祝う式典は中止。宰相の姚崇ようすうをはじめとする臣下たちは皇帝と共に別室に入り、激論を交わし始めた。太平公主たいへいこうしゅは美しい顔を苦々しく歪めて自室へ戻ってしまった。

 皇族たちが集まっている席から飛び出した李隆基りりゅうきは、兄に突っかかった。

「兄上、何をお考えですか!?」

 弟に首元を押さえつけられて柱に詰め寄られたにもかかわらず、兄は相変わらず穏やかな顔でいた。子犬が騒いでいるのを愛おしそうに眺めているような顔だった。

「お兄様、なんてことを!」

 高くて美しい声が響き渡り、隆基りゅうきの足元に若い女性が縋り付いてきた。妹の玉真公主ぎょくしんこうしゅだ。

 玉真公主ぎょくしんこうしゅ李隆基りりゅうきの末の妹で、本名は兄や姉たちからは玄玄げんげんと呼ばれている。幼いころから天真爛漫な少女だったが、19歳になった今も宮中を明るくしてくれる存在だ。

 しかし、そんな玉真公主ぎょくしんこうしゅの青春も辛いものになってしまった。

 玉真公主ぎょくしんこうしゅは従兄弟にあたる李重茂りちょうもと同じ年頃で、何かと仲が良かった。宮中で生きるには平凡で引きこもりがちな幼馴染を連れ出すのが玉真公主ぎょくしんこうしゅの役割だった。同じの姓を名乗る者同士なので結婚することはできないが、生涯の友になってほしいと兄たちも密かに思っていたくらいだ。

 ところが、 韋后いこうのたくらみで李重茂りちょうも殤帝しょうていとして即位させられてしまった。そしてたった1か月だけ傀儡の皇帝を務めた後、叔父に皇位を譲る羽目になった。前皇帝としてそれ相応の待遇は受けているものの、宮殿の片隅の部屋で軟禁状態に置かれているらしい。韋后いこうたちが毒殺された今、宮中で最も立場と命が危うい人物だ。

 従兄弟の失脚と入れ替わるように、再び皇女として公主こうしゅの称号を得た玉真公主ぎょくしんこうしゅは、何とか幼馴染の無事を確認しようと再三父に願い出ていたが、叔母の 太平公主たいへいこうしゅに厳しくとがめられ、道教の教えを研究した書物をいくらか差し入れするにとどまっていた。

 いつもは明るく振舞っていたが、兄たちの思いもよらない行動に耐えかねたのだろう。兄たちを止めようとする声には物悲しさが込められていた。

玄玄げんげん!」

 もう1人の妹の金仙公主きんせんこうしゅが、末の妹の名前を叫びながら飛び出してきて、兄に縋り付いて泣き出した玉真公主ぎょくしんこうしゅを抱えた。

金仙きんせん玉真ぎょくしんを連れて部屋に戻りなさい。」

 長兄の李憲りけんは弟に首元を掴まれたまま、淡々と口を開いた。

「お言葉ですが、寧王ねいおうの兄上。お部屋に戻って休んだ方が良いのは寧王ねいおうの兄上では?」

 金仙公主きんせんこうしゅはそう言って、長兄を見上げて睨みつけた。

 臣下たちは何やらひそひそ話しながら散会しており、親族たちもあれこれ噂しながら部屋に戻っているようだ最初は驚いた顔で李憲りけん李隆基りりゅうきを見ていた野次馬たちもどこかへ行ってしまったらしい。早くも儀式の片づけが始まっていて、官人や女官たちが湧き出るように姿を現していた。

 あたりを素早く見渡した長兄の李憲りけんは、まず次兄の李隆基りりゅうきを荒々しく突き飛ばした。それから床に崩れ落ちた弟と、その傍らで泣いている妹たちをぐっと抱き寄せると、李憲りけんはそっと口を開いた。

「俺は兄として家族を守りたい。」

 周囲に聞かれないよう囁くような声であったが、覚悟に満ちた声であった。兄の腕に一層力が入ったことに、弟は気づかないふりをした。

隆基りゅうき、よく聞いてくれ。」

「兄上……。」

「今、何の功績も才覚もない俺が皇帝になれば、太平公主たいへいこうしゅ様の言いなりになってしまう。」

「兄上、そんなことは……。」

隆基りゅうき、聞いてくれ。そうなったら、また身内同士が殺し合うわざわいの繰り返しだ。それはお前が一番わかっているはずだ。」

「私がいます、兄上。私が全力で兄上を支えればいい。」

「駄目だ。叔母上に付け入る隙を与えてはいけない。太平公主たいへいこうしゅ様は俺が道連れにする。」

 李憲りけんは頭をこつんと李隆基りりゅうきの額にぶつけた。

「頼む、隆基りゅうき。」

「兄上、それでは兄上が……。」

「私は家族みんなが無事で、笛を吹いて楽しく暮らせればいいよ。」

 李隆基りりゅうきは兄の少し寂し気な顔にいたたまれなくなった。兄の才能は、弟が一番よく知っていた。常に穏やかに冷静に物事を判断できるということがどれだけ素晴らしい才能であるか、を。そしてそれがこの世の全てを支配する皇帝にとって何よりも必要な才能であることも、一番知っていたのが李隆基りりゅうきだ。

 叔母の太平公主たいへいこうしゅの策に乗ったのも、兄を皇帝にしたかったからだ。兄が皇帝になれば、この唐はもっと素晴らしい国になると本気で思っていた。

 兄の言い分は百も承知だ。現時点で功績のない李憲りけんが即位しても、臣下の支持を得られない。だから宮中の陰の実力者である太平公主たいへいこうしゅの力に頼らざるを得ない。そうすれば、則天武后そくてんぶこう韋后いこうの時代に逆戻りだ。

 しかし、兄の計画が実行されてしまえば、兄が政治の表舞台に戻ってくることは二度とない。それはこの国にとってとんでもない損失のように思えてならなかった。

「兄上……僕はどうしたら……。」

 吐き出すように言葉をつぶやく弟の肩を、兄は優しく叩いた。それから少し寂し気に微笑んで口を開いた。

「皇帝陛下、どうか私の願いを叶えてください。」

「兄上……?」

 突然の兄の口調の変化にぞっとするようなものを感じて目を見開いた弟にやさしく笑いかけると、李憲りけんは立ち上がって式典を後にした。




 それ以来、李憲りけん李隆基りりゅうきに弟として話しかけることはなかった。臣下としての礼をかたくなに守り続けた。

 父の睿宗えいそうは、兄の願いを聞き入れたらしい。李隆基りりゅうきは再三、兄に皇太子の位を譲ろうとしたが、父と兄からことごとく固辞され続けた。

 穏やかな李憲りけんを皇太子にできなかった太平公主たいへいこうしゅは、聡明な李隆基りりゅうきを邪魔者と見なしたらしく、復位から2年後に父が李隆基りりゅうきに皇位を譲ってからはその対立は深まっていった。それからこの兄弟を引きはがそうとあらぬ噂を流し続けたが、李憲りけん李隆基りりゅうきの兄弟にひびが入ることはなかったという。

 開元元年、西暦713年、ついに李隆基りりゅうきこと玄宗げんそう皇帝自ら兵を率いて太平公主たいへいこうしゅを倒し、叔母に死を賜らせた。

 ここに、玄宗げんそうの独裁体制が完成した。かつて、己の人生に価値はないと諦めて上弦の月を見上げ、東の果ての倭国から来た囲碁上手の僧に愚痴を言っては笑われ、本気で海を渡って異国へ行ってしまおうとまで考えていた青年は、中華の頂点に立ったのである。

 しかし、それまでに失ったものは多かった。






 父の死は、どうもこの兄弟に青春を思い出させるものだったらしい。兄弟は互いに体重を預け合うように寄り添ったまま、じっと月光に照らされた父の遺骸を見つめていた。

「兄上、私は兄上のように家族を守れるのでしょうか。」

 李隆基りりゅうきこと玄宗げんそうは、兄の体温を感じながらぽつりと呟いた。

隆基りゅうき、お前はきっと守れるさ。家族も国も、愛する人も。」

 6年ぶりに兄に呼ばれた己の名に、玄宗げんそうは一筋の涙をこぼした。月の光は、兄弟を静かに照らしていた。





玄宗皇帝は兄と大変親しかったらしく、兄に関してこのような言葉を残しています。『旧唐書』から翻訳サイトを経由して何とかふわっと翻訳してみました。すごく信頼し合っていた兄弟であり君臣であったのだとひしひしと感じ、1300年後の私もとてもエモい気持ちになりました。


「一代兄弟,一朝存歿,家人之禮,是用申情,興言感思,悲涕交集。大哥孝友,近古莫儔,嘗號五王,同開邸第。遠自童幼,洎乎長成。出則同遊,學則同業,事均形影,無不相隨。頃以國步艱危,義資克定,先帝御極,日月照臨。大哥嫡長,合當儲貳,以功見讓,爰在薄躬。既嗣守紫宸,萬機事總,聽朝之暇,得展於懷。十數年間,棣華雕落,謂之手足,唯有大哥。令復淪亡,眇然無對,以茲感慕,何恨如之。然以厥初生人,孰不殂謝?所貴光昭德行,以示崇高,立德立名,斯為不朽。大哥事跡。身歿讓存,故冊曰讓皇帝,神之昭格,當茲寵榮。況庭訓傳家,璡等申讓,善述先誌,實有遺風,成其美也。恭惟緒言,恍焉如在,寄之翰墨,悲不自勝。」


「私の兄は親孝行で、過去にこんな人はいません。 子供の頃から大人になるまで、外出するときは一緒に旅行し、勉強するときも一緒に勉強し、いつもお互いに助け合っていました。 国が危機に瀕し、皇室がようやく正しさを取り戻しつつあるとき、私たちの父は昇天し、空には太陽と月が輝いていましたね。 兄は長男なので、兄弟姉妹をまとめるのは長兄のあなたであるべきでした。 あなたは宮中の事務を整えてくれ、仕事の合間には私の話を聞いてくれました。 この10年ほどの間に、家族は皆亡くなり、兄弟と呼べるのはあなただけになってしまいました。兄に感謝しない人はいないでしょう。 弟として、あなたの徳を示すこと、あなたの高貴さを示すこと、あなたの徳と名前を確立すること、そしてあなたの功績が不滅であることを願っています。兄上は亡くなってしまいましたが、どうかあなたに皇帝の位を贈らせてください。」


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