甘い悪夢を探しに
へえ、ここが夢の図書館ですか!
僕は初めて来ましたけど……この図書館に、ボクの見る夢はありますか?
いやいや、話が少し急でしたね。ここは「この街中の人が見る、毎晩の夢が過去百年分、本の形で保存してある」図書館だと……以前から知ってはいたんです。けれど夢は夢、それより現実の方が大事だと、僕はそれほど気にしてはいなかったんですが……。
実は僕には昔から、何度も見る夢がありまして。
それはどこかの国で起こる、後味の悪い話なんです。ざっくり話すと、性根の腐った女が一組の男女に横恋慕して、女の方を殺すんです。それで男と一緒になろうとするんですけど……。そんな話、うまくいくはずがないですよね。性根の腐った女はけっきょくは殺人がばれて処刑され、一人生き残った男が憎らしいくらいに晴れた青空を仰ぐという……。
週に一度は、そんな夢を見るんです。
まあ何度見ても夢は夢だと、それほど気にしてはいなかったんです。けれども夢は僕が歳を重ねるごとに、どんどん鮮明になってきまして。
腐った女の名はサバト。彼女はある村に住んでいまして、村の巫女のような役目をしていて……。幼なじみで昔から好きだった男、インジェがカリーノという恋人と近々結婚するのを知って、激しく嫉妬するんです。
それで「あの女、カリーノさえいなければ」と根底からの勘違いをして、「このままだとこの村はひどい飢饉に遭う。それは収穫の神様が、生け贄のないことに憤っておられるからだ」とまるきりの嘘の予言をするんです。
そうして、飢饉を防ぐ生け贄として「収穫の神様に選ばれた」のは……お察しの通り、カリーノです。残念なことに、サバトはふだんはとても腕の良い巫女でしたから、村の者は誰も彼女の言葉に疑問を持ちませんでした。
そうしてカリーノは、生け贄として祭壇の上で斧で首を斬られました。それも恋人のインジェの手によって! 「神は生け贄の儀式を執り行う男として、インジェをご指名だ」悪しき巫女は、そう宣言していたのです。
そう、サバトは予言の体を装って、最悪の形で恋敵を葬ったのです!
さあ、こうなればもう邪魔な者は存在しません。サバトはなぐさめるふりをして、かねてからの想い人にすり寄りました。しかしインジェはまったく相手にしないまま……。そう、インジェだけは「神の予言」に疑いを持っていたのです。
(こいつ、カリーノが邪魔だと思ってでたらめの予言をしたのじゃないか)
本心ではそう思いながら、確証がないインジェにはそれ以上のことは出来ません。かくしてサバトの罪は、誰にも知られぬままでおりました。
けれどやはり、悪いことは出来ないものです。
「いいようにダシに使われた」神々の怒りに触れたのでしょうか……。
その年の夏、一滴も雨が降らなくて、土は割れ、水は枯れ、農作物の収穫はほぼゼロでした。「ちゃんと神様に生け贄を捧げたのにも関わらず」、飢饉がやって来たのです!
さあ、こうなればもう予言がインチキなのは明白です。
村の者は悪しき巫女を問い詰めて、「恋敵を殺したかった」と白状したサバトを殴りつけ、おしまいにはインジェが恨みと呪いを込めて、あの生け贄の儀式の斧で彼女の首を斬り落としました。
そうして全てが終わった後、青年インジェが目に痛いくらい青い空を、呆然と見上げてカリーノの名をつぶやくんです。
そんな夢を、この頃は毎晩見るんです。
にぶい僕も、そうしてようやく気づいたんです。これは前世の記憶なんじゃあないかって。だって僕は哀れな青年インジェの視点で毎晩夢を見るんです、顔もまるきり僕なんですよ!
けれども他の人々の顔は、目覚めると忘れているんです! でもインジェの恋人の顔、彼女の顔を僕は「現実で知っている」んです! 絶対見たことのある顔なんです、でも目覚めると忘れている、一体誰なのか分からない!
でもこれはきっと前世の記憶だ、前世の恋人がにぶい僕を呼んでいるんだ!
だからお願いです、僕の夢を見つけてください! そうして相手が分かったら、僕は今度こそ前世の恋人と結ばれるんだ!
感情を高ぶらせる青年に、「夢の図書館」の女性司書は薄く微笑った。
「あらあら、ずいぶんご執心ですね。でもお客様……あたしの顔をよーく見て。この顔に覚えはないかしら?」
青年は何かに気づいたように、司書の整った顔立ちを穴の開くほど見つめ出した。そうして彼女を指さして、「おまえは」と驚愕をあらわにして小さく叫んだ。
「愛しいインジェ……やっと捕まえた……」
「おまえは……」
サバト。
そう言いかけた青年を押し倒し、夢の司書はみだらに覆いかぶさった。奥の本棚からひとりでに一冊の本が浮き出して、ばらりと自らページを開く。甘い悪夢のように青年の見た夢のシーンが泡状に無数に光り輝き、しゃぼんのように弾けて虹色のしずくをまき散らし、目に染みる花火をぱちぱち開く。
ぱちぱちと爆ぜる花火の中で、青年の目はうつろになり、呆けたようにだらしなく微笑い……二人の姿は、泡にまかれて見えなくなった。
その日から、ある青年は街から姿を消した。
少し噂にはなったものの、街の人々は「政治家の失言」や「芸能人の離婚」やらのニュースの方がお好みで、噂もすぐに薄れていった。
そうして半月ほど経って、「夢の図書館」に若い女性が訪れた。
女性は切羽詰まった表情で、図書館司書にオーダーした。
「前世の記憶らしい夢を、この頃毎晩見るんですが……。どうも前世の恋人が、この間行方不明になった青年らしいんです。彼の行方を知る手がかりになるかもしれません。私の夢を、探していただけないでしょうか?」
年若い司書は、目の奥に暗い蔑みと怒りを帯びて、それでも微笑ってうなずいた。
「ええ、喜んで」
憎きカリーノ。
口の中だけで吐き捨てて、司書は本棚の本を一冊一冊探し始めた。(了)