手紙1
それは、唐突にやってきた。
私はいつも通り、兄の部屋をノックした。
もちろん、いつもと同じく返事はない。
「兄さん…ごは…」
私は躊躇わず、ドアを開き、いつもの文言を言おうとした。
だが、それは意図せずに止めてしまった。
なぜなら、部屋はいつも通りではなかったからだ。
やけにさっぱりとした部屋の匂い。
不潔さがなく、まるで掃除をしたばかりのようだ。
なによりも決定的だったのは、兄がいない。
「…兄さん…」
私はいつも兄が腰をかけていたベッドに駆け寄った。
いるわけではないのに、なぜか縋る気持ちでベッドをひっくり返す。
隠れる場所もあるわけではない。
兄の以前の性格を表すような部屋の本棚は、相変わらず綺麗に種類別に本を並べている。
ほこりを被っていた本はそのままだ。
ベッドの横にあるサイドテーブルの上に、便せんがあるのが目に入った。
白く、特徴のないものだ。
部屋の中で、それだけがやけに新しく感じる。
私は、それをゆっくりと手に取った。
中には、丁寧に畳まれた手紙が入っていた。
居間にいた母に見せると、母は泣き出した。
兄は、
『恋人を探しに行く。
彼女に会いに行く。』
と短く、昔のような几帳面で丁寧な字で書いていた。
字にかつての兄を見えているせいか、母の悲しみも深い。
私も悲しかった。
頼れる兄も好きだったが、頼れない兄も好きだった。
両方がいなくなったのだから、悲しい。
「…あんな女に、騙されたせいで…」
母が絞り出すような声で呻いた。
その呻きには、確かな敵意と、目に見える憎悪があった。
正直、私は兄の恋人が好きではなかった。
ただ、今は違う。
綺麗で優しくて、頭も良くて理想の女性だった彼女は好きではなかった。
でも、死んだ彼女は嫌いではない。
それは、死んだ人間を悪くいうのを厭うわけではない。それほど、私は出来た人間ではない。
立場上、憎く思うかもしれないが、不思議と嫌いになれない。
綺麗だった分、彼女の醜聞が際立つ。
兄には悪いが、私はそれで安心していた。
そして、なによりも
ざまあみろ…と思った。
ただし、そんなこと口が裂けても言えない。
母も父も、彼女を恨んでいる。
ただ、死んだ彼女を恨むのも限界がある。
彼女の両親に当たり散らすわけにもいかず、一番恨むべき立場の兄は壊れたからだ。
私は、未だに泣きながら彼女への恨みを呟く母を尻目に、再び兄の部屋に行った。