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カルナ、その力①

 ――覚えている……。


 血を流す傷口から入り込む、冷たい水の流れを。

 その流れに抵抗する力もなく、ただ冷たさの中に身を置くしか出来なかった自分を。


 それがカルナの原初の記憶だった。






 カルナは、アムンの町から遥か遠い国で生まれた。


 しかし、カルナを育てたのは、彼と血の繋がった母親ではなかった。

 カルナを育てたのは、奴隷の家に生まれた女性だった。


 厳しい身分制度のあった国では、頂点に君臨する司祭、その指示に従って政治を行なう王侯貴族、ものを作ったり、それを売ったりする商人、彼らの手足として重労働に従事する奴隷がおり、この制度の外に、不可触民と呼ばれる被差別階級の者たちがあった。


 奴隷とは言うが、ただ働きをさせられていた訳ではない。彼らは主に商人階級の家に仕え、安い賃金と少ない食糧を受け、雨風を防げる程度の家に住まわせて貰い、労働を行なった。


 カルナがその奴隷の女の許に現れたのは、暴風雨の夜が明けた翌朝の事である。


 下手な小屋や木々を吹き飛ばしてしまいそうな、荒れ狂う風。

 町の傍を流れる大河を反乱させ、地面を削り取る程に降り注ぐ雨。


 一晩の内に、民家や作物に重大な損害を与えた嵐は、陽が昇ると共にぱったりと止んで、水嵩が増した河は普段と変わらない様子さえ見せて、穏やかに流れていた。


 奴隷の家に生まれた若い女は、幸いにも吹き飛ばされる事だけは逃れた小屋から出て、いつものように王城の壁を見上げながら、河に沐浴へ向かった。


 例え雨の日でも、風の日でも、奴隷たちはその大いなる河で身を清める。夜の闇に潜む魔物の気を、生命の出発点である大河で洗い流すのだ。


 他にも、多くの奴隷たちがその河に入って、身体を洗い流している。これは、上流と下流の違いこそあれ、司祭から不可触民に至るまで共通する文化であった。


 女が、泥や、上流からの糞尿、吐瀉物まで混じっている、しかし高い自浄作用を持つ河に、肩まで浸かっていると、長い髪を洗うのに腕を持ち上げた腋の下に、柔らかいものが触れるのを感じた。それを水の中から拾い上げてみれば、何と上品な金の刺繍が施された、上質な布に包まれた一人の赤ん坊であった。


 偉大なる大河に、動物の死骸が流される事は珍しくない。しかしその赤ん坊はか細い呼吸ながらも命を保っており、女は拾い上げた赤ん坊を自分の子供として育てる事にした。


 彼の耳には、金色の輪っかが光っていた。奴隷の女は、彼を河に流した母親の最後の情愛と解釈して、これに由来する(カルナ)という名前で赤子を呼ぶ事にした。


 カルナを育てた女が仕える商家は、決して裕福という訳ではなかった。その為、奴隷たちがどれだけ働いても、その賃金は酷く少なく、奴隷一族の者たちはみな共に痩せ衰えていた。しかしカルナは、数少ない食糧しか得られないながらもすくすくと育ち、一〇年と経たない内に一族の中で最も大きな働きを見せる男になった。


 カルナは一族の中で、一〇人力の働きをし、これによって商家が手に入れる富も増えて、結果として奴隷の一族が受け取る給与も多くなっていった。一族の者たちはその金で食糧を仕入れ、健康的な生活を持続出来るようになった。


 或る時、カルナの主人は彼に言った。


 “お前の身体に奴隷で一生を終わらせてしまうのは、とても勿体ない事だ。近々、戦争が起こりそうだと王族たちは噂をしている。そこで兵隊を集めているとの事だから、お前も参加して、王たちの役に立ってはどうだろう。そうすればお前を輩出した一族や、お前たちが仕える我が一族が、より一層の繁栄を迎える事になる”


 初めは、自分がいなくなる事で稼ぎが減るのではないかと心配になったカルナであるが、彼のお陰で力を取り戻した一族は、快く若き勇士を送り出した。カルナは育ての母や、兄、姉、弟や妹、友人たちが自分に期待してくれている事を悦び、彼らの生活をより豊かにするべく、国王が募集しているという傭兵部隊に参加する事になった。


 その先で彼は、国の軍師の指導の下で、類稀なるセンスを発揮して戦技を身に着けてゆき、部隊長を任せられるまでになった。


 軍師はカルナの才能に驚きながらも、彼が奴隷の出身である事だけが気掛かりであった。どれだけ武功を上げても奴隷は奴隷であり、その環境が改善される訳ではない。又、当時の国王は現状の身分制度に対して厳格であり、如何に優秀と雖も奴隷に一部隊を任せる――貴族の子息が部下となる場合もある――事を承諾するとは思えなかった。


 そこで軍師は、或る男にカルナを紹介する事にした。その人物は優れた頭脳と肉体によって数々の戦場を渡り歩きながらも、王族に対する異常なまでの憎しみを抱いており、王国の為に戦うという事を決して良しとしない男であった。


 彼は司祭の一族の出であったが、王国の政には参加せず、独り修行に打ち込む男であり、その名は神君を意味するラーマと言った。そして彼が挙げた武功は、破壊神の力を宿した(パラシュ)によるものであるという伝説により、男はパラシュラーマと呼ばれていた。


 彼との出会いは、カルナの運命を変えるきっかけの一つとなった。

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