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死者との再会②

 その時の記憶が蘇ったかのように、イリスの見ている世界から、成長に伴って形成された感覚が抜き取られてゆく。


 手も、脚も、胴も、今よりももっと短く小さくか細くなり、自身の存在そのものが縮みゆくようである。


 水に浮かび、死を待つだけである赤子に戻ってしまうようだった。


 その脳裏に、これまでの人生がフラッシュバックする。ディアナに拾われ、命を救われ、暖かい家庭で育てられた。ダイパンの息子夫婦は若くして死んだが、かつて出会った姫騎士の志に感銘を受けたディアナが姉として、親として、イリスの心を育んでくれた。彼女が修行の旅に出て、イリスは自分がしっかりしなければと決意した。身体の弱いダイパンの世話をして、祖父が繋いだ町の人との絆を守り、いつか戻って来る姉の為に町の平和を保ち……


 そして三年の時が過ぎて、カルナという旅人と出会った。

 この泉で、何らかの目的の為に自分に苦行を課す、不思議な男である。


 野盗の凶刃から、ダイパンや自分を救った男――彼ならば、ドンシーラ一味に立ち向かい、町の平和を守ってくれると、イリスの直感が働いた。


 その目的は果たせなかったが、イリスに彼を責めるつもりはなかった。彼は、あの冷静な顔の下に、誰かの為に何かをするという事に対する情熱と、人を傷付ける邪悪に対する強い怒り、そして巨悪さえも生き方を変えられると信じる優しさを隠している。それが分かる、それが分かったから、カルナを責める気持ちなど微塵も持たなかった。


 けれど、その情熱と怒りの起点となっているであろう純粋な気持ちから、本当の裏切り者に気付かなかったカルナは、数々の残酷を施されて、死んだ。


 彼が括り付けられた流木が、滝のふちから、虹を引き裂いて落ちてゆく光景が、頭に残っている。


「随分と奴に惚れて混んでいたようだな。……安心しろ、すぐに合わせてやるさ、あの世でな!」


 ドンシーラの言葉が、頭を押し付けている手を通じて、響いた。


 会える……?

 もう一度……?


 そう思うと、ふっと苦しさが消えた。

 息が出来ない痛みが薄れ、僅かに残っていた水の冷たささえも、感じられなくなる。


 代わりに、水の底から光と共に浮かび上がって来るカルナの幻想を、イリスは見た。


 呼んでいる。

 水の底に沈んだ彼が、イリスの事を呼んでいるのだった。


 イリスは手を伸ばした。と言っても、水に浸けられているのは精々が肩口までであり、イリスの肉体感覚に依らない、脳内にしか存在しない手を、浮上するカルナへと伸ばしたのだ。


「カルナさん……」


 声にならない声が、彼の名を呼ぶ。

 たった三日の付き合いだけれど、時間以上の濃密な関係を築いたような思いがあった。


 だが、そのカルナの幻想は、イリスが伸ばした手を取らず、そのままイリスの横を通り過ぎた。


 そして――






 イリスの身体の動きが止まった途端、泉の中央が爆竹でも放り込んだかのように膨れ上がり、激しい砲撃の轟音を放ちながら、高い水柱を作り上げた。


「な、何だ!?」


 ドンシーラでさえ、その事態に驚き、力を緩めた。

 他の者たちは、太陽に向けて伸び上がる水柱の先端から、何者かが飛び出したのを見た。


 水に濡れた身体に、月の光を浴びて煌く人影――


 芝生に着地したのは、男であった。

 均整の取れた肉体をしている。

 些か色黒の、適度に膨らんだ筋肉が、全身を余す所なく覆っているのだが、ドンシーラ一味のように岩石を思わせる発達具合ではない。寧ろその正反対で、女の乳房の柔らかさと温かさを持った筋肉だった。


「莫迦な!」


 ドンシーラが眼を見開いた。


「何で……あんたが!?」


 ディアナも、他の野盗たちもそうだ。

 彼はここにいるべき人間ではない。


 驚いたドンシーラが咄嗟に引き上げてしまったイリスは、泉のほとりに仰向けになり、顔を野盗たちが見ている方向へ向けていた。その逆さまの視界の中で彼女は、それが幻想ではない事を漸く認識した。


 幻想ではない、肉体を持ってそこに存在している。だから、死の淵に立たされたイリスが伸ばした意識の手を、彼は取らなかったのだ。


「カルナ……さん」

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