平和の町アムン③
「このジジイ、俺さまを誰だと思っているんだ!?」
道の真ん中で、一人の男が、灰色の髪をした老人に詰め寄っている。
背中を大きく曲げた老人はその場に倒れ込んで、尚も詰め寄って来る男から逃れるような仕草をしていた。その手が握っていた杖を、男は老人の手首を踏み付ける事で、手放させた。
「や、やめて下され……」
老人が弱々しく言った。
男は眼をぎろりと吊り上げて、老人の貫頭衣の襟ぐりを掴み上げた。
「やめてくれだと。ジジイ、てめぇがその杖で、俺の足を踏ん付けたんじゃねぇか。被害者ぶっていないで、先ずはこの俺さまに謝るのが先じゃねぇのか!」
「うぐ……そ、そんな、ぶつかって来たのは、貴方の方……」
「この野郎!」
男は老人の細い身体を持ち上げると、地面に叩き付けようとした。
男は立派な体格の持ち主で、その太い腕で殴られれば、この老人のような貧弱な人間は、骨や内臓に大ダメージを負う事が確実である。
男と老人の周りには、何人か住民たちがいたが、誰も止めようとしなかった。
それもその筈である。男は獣の皮を剥いだ衣服に、無数のアクセサリーをぶら下げていた。腰には鞘の上からでも刃の分厚さが分かる剣が下げられており、彼を刺激すればどのような目に遭うかははっきりとしている。
それを恐れて、眼の前で虐待されている老人を見捨てようとしているのだった。
「す、すまぬ……」
老人は無用の争いを避けようと、早めに謝ってしまおうと考えた。
だが謝罪の言葉を口にしても、男は満足しないらしい。
「やめなさいよ!」
「い、イリス……」
「私のお祖父ちゃんから、手を放して!」
イリスは、男の危険性を承知しながらも、祖父の危機に勇敢に立ち向かった。
男はふんと鼻を鳴らすと、
「勘違いするな!」
と、吐き捨てた。
イリスの祖父を地面に放り投げると、彼に駆け寄るイリスを見下ろして、このように言う。
「悪いのはそのジジイだぜ、俺の足を杖で踏み付けやがったんだ。それなのに謝りもしないで通り過ぎようとするから、礼儀ってものを教えてやろうとしたんだ。年寄りってのは、自分が長生きしてるからって偉いと勘違いしているものだからな、俺に感謝して欲しいぜ!」
がはは、と、男は下品に笑った。
その様子を囲んでいた人たちの中から、囁くような声が漏れた。
「自分からぶつかって行ったわよ、あの男……」
「それにイリスちゃんのお祖父ちゃんは、眼が悪いから……」
「分かっていて、因縁を付ける為にやったんだ……」
「弱いものをいたぶるなんて酷い奴……」
そのひそひそ話を聞き付けたのか、男はかっと眼を剥いて、腰の剣の柄に手を掛けた。
イリスの勇気に感化されて、少しでも男が不利になるよう仕向けんとした町の人たちだったが、男は却って逆上して、凶器を抜き放とうとしていた。それに怯え、付近から距離を取ったり、家の中に戻った者もある。
「へ、弱虫共が。……おい、小娘、そいつはお前のジジイなんだって。だったらお前で良いぜ、お前が俺に謝罪をするんだ」
「ど、どうして私が!」
「親の始末はガキが付けるものだろう? それに、そんな死にぞこないをいつまでも生きさせているなんて、お前にはそのジジイが人に掛ける迷惑を考えられないのか!? 耄碌した年寄りなんて、生きてる資格はねぇんだよ!」
男は大声で、老人とイリスを罵倒した。
そうして自分の言葉に酔っ払っているように、野蛮な哄笑をするのであった。