少女遁走①
「久し振りに面白い見世物だったなー」
「あれだけ身体を好きに出来る男なんてのは、滅多にいないぜ」
「女ならなー、色々とやれる事が増えるんだがなぁ」
「それじゃあ、今度、何処かの村で女ァ攫って、試してみようや!」
「そいつァ名案だ。……っと、ああいうのを見た後は小便がしたくならぁ。ちょいと失礼するぜ」
「おいおい、河を汚すなよー」
野盗たちは酒場の若衆のように、からからと上機嫌に話をしていた。彼らの倫理観は、とてもイリスに受け入れられるものではなかった。
「何をぼぅっとしているんだい? ほら、行くよ! さっさと歩きな」
ディアナはイリスの腕を引っ張って、立ち上がらせた。
野盗たちはそれぞれ自分の戦車に乗り込んで、次の場所へ移動しようとしている。
イリスはやって来た時と同じ、ドンシーラとディアナの乗る戦車に乗せられそうになった。
だが、その直前、イリスはディアナの手を振り払うと、彼女の腰にどかっとぶつかって行った。
意外な反抗にディアナはよろめき、衝動的にイリスの顔を引っぱたこうと手を振り被る。
その前に、イリスは拾い上げていた石をディアナの顔に投げ付けた。ディアナの、左眼の上に直撃した石が、そのまま彼女の額を斜めに切り裂いた。
「がははっ、騎士さまよぉ、何やってるんだい?」
「良いぞ嬢ちゃん、やれやれ!」
「敗けた方が一発やらせるってのはどうだ!?」
「俺も、たまにはああいう綺麗所とやってみたいと思っていたんだ! 頑張れ嬢ちゃん!」
野盗たちはそんな風に野次を飛ばした。
イリスは片膝を突いたディアナに飛び掛かると、石をもう一度掴み上げて、ディアナの頭に打ち付けた。
金髪の間から、鮮やかな血の色が覗いた。
同じ個所に石を叩き付けようとすると、ディアナは左腕を伸ばして、イリスの頸を掴んだ。
「この餓鬼……ッ! 頸の骨、圧し折ってやるァ!」
手甲の冷たい感触が、イリスの細い頸をぎりぎりと締め上げる。
そのまま立ち上がり、イリスを地面に押し付けようとした。
この時、イリスは痛みから逃れる為に、自然と身体を横にひねっていた。又、ディアナによって地面へと押し付けられそうになっていた事で、自身の重心が変わっていた。
その二つの要素が絡み合った結果、ディアナが込めた力が、イリスの小さな動きによって倍になり、しかし明後日の方向に跳んでゆく事になった。
本来ならばイリスを押し付けようとした地面に、ディアナの左手が落ちてゆく。イリスは咄嗟に、石を握った右手を持ち上げており、ディアナが左手で身体を支えたタイミングで、彼女の後頭部に石が打ち付けられた。
眼の前が白黒に点滅し、地面に両膝を突くディアナ。イリスはその隙を突いて、彼女の左腕から手甲を奪い取った。
「その娘を捕まえろ!」
ドンシーラが言った。
イリスはディアナの左の手甲を――地の魔法石を埋め込んだデルタグランドの魔装を胸に抱いた。
すると魔法石が彼女の強い意思……カルナを失った哀しみ、ディアナの裏切りへの怒り、この場を逃げ出したいという恐怖、町の事を心配する優しさ、これらを感じ取って、魔装としての能力を発動した。
地の魔装は身体強化の効果を持つ。イリスの皮膚と筋肉と骨格が、めきめきと音を立てて強化されてゆく。単に頑丈になるというだけではなく、それに伴って筋力も倍増されるのである。
イリスに野盗たちが襲い掛かる。するとイリスは、その手を強い力で振り払って、地面を蹴り出した。筋肉が大きくなれば体重も重くなるが、それをものともしない速力を生み出すパワーが、イリスの身体に宿っていた。
「おい、小便なんかしてるんじゃねぇ!」
河に向かって尿を垂れ流していた男の背中に、誰かが言った。
ん? と間抜け顔で振り向いた男の背に、イリスがタックルを仕掛けた。放尿中の男は思いもよらない力に吹き飛ばされて、河に飛び込んでしまった。
「た、助けてくれ……な、流れが速くて……!」
男は自分の小便を飲みながら、水に押し流されて崖の方へ進行してゆく。
ドンシーラの部下たちにも、彼らなりの仲間意識があるのだろう、流された男を心配するそぶりを見せた。
その一瞬、イリスは戦車の一つに飛び乗って、ペダルを踏み込んだ。車輪が回り始め、戦車が走り出す。イリスを追い駆けようとした野盗たちを蹴散らすと、イリスはドンシーラ一味から離脱した。
「小娘が……へっ、まだまだ楽しませてくれるみたいだな!」
ドンシーラは蛇の顔で笑うと、自分の戦車に飛び乗った。
「何やってんだ、野郎共! 行くぞ! ……お前もだ、いつまでも休んでいるんじゃねぇ!」
「――糞ッ……あの、牝猿がァァ……!」
額の傷からの出血を、手で押さえながら、ディアナが立ち上がった。したたり落ちる血の脂で左眼を赤く染め抜いたディアナは、掠れた声で吼えた。
「ぶち殺してやる!」