炎の記憶①
日付が変わる頃、流石に町の人々の多くは眠りに就いた。
ガバーレなどの、明け方の戦いでは迎撃隊を務めた者たちは、昼間は休んでおり、夕日もすっかり沈み切った時間に起き出して、再び壁の上で見張りに就いた。
カルナは、あてがわれた小屋のベッドで、昨晩と同じように胡座をしている。
火の呼吸の鍛錬をやった後、身体の柔軟性を保つ運動を行なって、汗を拭ってから、その状態に入った。
身体は、眠っている。
意識も、眠っていた。
しかし感覚は起きているのと変わらない。
半開きにした眼は薄暗い床の上を眺め、鼻は自身の体臭を嗅ぎ、耳は町の外の遠吠えや滝の音を聞いている。
若し、何か異変があれば、すぐに飛び出す事が出来た。
その半覚醒状態の脳裏に、焼き付いた光景があった。
炎だ。
めらめらと揺らめく、形なき赤い蛇が、故郷の都を舐め回す様子である。
紅蓮の炎の中で、助けを求め、痛みを訴えて、泣き、叫び、嗚咽する人々の声が、皮膚の内側に蘇るようであった。
脳がこの記憶を呼び起こすと、自然と呼吸が乱れ始める。これを、横隔膜を操作する事で心拍数を減らし、平生の状態であると脳に錯覚させようとするのだが、そのトラウマの強さはカルナがタパスによって得てきた技術を遥かに凌駕する。
カルナは、夜が怖かった。
夜の暗闇の底から、恐ろしく強く、おぞましく悪いあの存在が、炎の記憶と共に浮上するのが堪らなく嫌だった。
それに気付いてからカルナは、眠っている間も、感覚だけは覚醒させて、周囲の景色や音を身体の中に取り込もうとした。
潜在意識にこびり付いた記憶を、外界の情報で埋め尽くすように。
だが、如何にカルナと言っても、脳の皺の一本一本に染み込んだようなトラウマを封じる事は、極めて困難だったのである。
そうしていると、昨晩と同じように、戸が叩かれた。
カルナは眼を覚まして、汗を拭った。
「私よ、ディアナ」
訪れたのも、昨晩と同じ人物であった。
カルナは明かりを付けて、ディアナを招き入れた。
「寝てた? それともやっぱり、すぐ起きられるようにしてた?」
そう訊くディアナは、剣を帯びてはいたが、鎧は身に着けていない。アムンで流通している貫頭衣と、女性用の腰巻きを着ている。
「ええ」
カルナが頷いたのは、そのどちらもやっていたからだ。
「今日も散歩のお誘い?」
「ううん、今日は、カルナくんとお話がしたくて」
ディアナは戸を閉め、小屋の椅子に腰掛けた。
カルナはベッドに戻り、胡座をする。
「お話……と言っても、何を話せば良いのか……」
「色々あるわよぅ。私は、まだ君の事を殆ど知らないわ」
「これと言って、話すような事はないよ。旅の途中で見た事なら、幾らか……」
「自分の事、話したくないのね」
ディアナが、するりと言った。カルナは、自分が持つ技術や知識の事は平然と開示するが、個人的な過去や出生の事についてはイリスにも語っていない。
「じゃあ、今回の事、色々と話しましょう。これからの事もね……」
「はぁ……そう言えば、貴女の事で気になっていた事があるんだ」
「何?」
「貴女は、森でオークに襲われているイリスちゃんを助けたらしいね。イリスちゃんの話だと、あの森には魔族が生息していないらしい。俺自身、あの森を通ってアムンまでやって来たけど、一度も魔族とは遭遇しなかった。そこにどうして、オークなんてものがいたのか……」
むぅ、と唸るカルナに対し、ディアナはほんのちょっとがっかりとした様子だった。
「でも、森は魔界って呼ばれているくらいだから、人間には理解出来ない現象が起こっても変じゃないと思う。それこそ、一〇年近く魔物が出ていないからって、ここから次の一〇年、一度も魔物が発生しないと言い切る事は難しいでしょう?」
「やはり、そういうものなのかな……」
「それより、ドンシーラの事よ。あの男が持っていた槍……あれが貴方の探していた黒い魔装なの? クラウンクラスの、セヴンズ・トランペット、なんて呼んでいたけど」
「――」
カルナはこの質問に黙った。しかし沈黙は時として何よりも雄弁な事がある。カルナの無言は、その通りだという肯定と受け取っても良かった。
「クラウンクラス……つまり王冠の魔装って訳ね。四大元素とも、これらを中和した光の魔装とも違う、六つ目の魔装か……」
「――いや」
カルナは意を決したように語り出した。
「七つ目だ。クラウンクラスは、七つ目の魔装なんだ」