少女の純真・男の諦め①
「あれ、それじゃあ……」
イリスが顎に手を当てて、言った。
「カルナさんが言っていた、黒い魔装っていうのは……?」
カルナは五種類の魔装について説明している。
地・水・火・風の四大元素の魔装と、これらを中和した光の魔装。
地は黄色、水は蒼、火は赤、風は緑、そして光は紫。
どの属性に於いても、黒い魔装という話は出なかった。
「……あれは……」
そう言い掛けた所で、小屋の扉がノックされた。
「入っても良いかね」
ダイパンの声だった。
「どうぞ」
カルナが言うと、やはりダイパンが小屋の中にやって来た。
イリスは悪戯を見付かった子供のように、苦笑いを浮かべた。
「ここにおったのか、イリス。もう遅い、早く家に帰って眠りなさい」
「はぁい。じゃあ、また明日、カルナさん」
イリスはそう言って、カルナの為に用意した茶器一式をバスケットに纏めて、小屋から出てゆく。
ダイパンが自分を迎えに来たのだと思っていたイリスだったが、ダイパンはカルナと向き合っていた。
「先に帰っていなさい。儂はこの人と、少し話をしてからゆく……」
イリスが家の方向に歩いてゆくのを窓から見送って、カルナは椅子からベッドに移動した。その椅子に、ダイパンが腰を下ろす。
「イリスが迷惑を掛ける……」
「そんな事はありません。乗り掛かった舟というやつです」
「儂も薄々は感じておったよ……いつまでも、平和の町ではいられない事を。だから、良い機会ではあったのかもしれん」
「戦う準備をするのに、ですか」
「うむ。平和が続けばそれに越した事はない。しかし、戦の足音が近付いているのに、高潔な理想だけを掲げていても、搾取する者には通用しない。相手と同じ……とまではいかなくとも、襲って来た敵が無傷では帰れない程の力を持っていなければ、ただ奪われてしまうだけじゃ」
ダイパンは掠れた声を、絞り出すように言った。それまでの、二〇〇年に渡る不戦の契りを否定する訳ではないが、これを破らなければならない現状に、老翁は苦悩しているのだ。
「仮初の平和と、言う者もあったよ」
「不戦の契りを破り、武装する事が、ですか」
「うん。矛を突き付ける相手に対し、同じように矛を向けて牽制し合い、結果的に次の争いが起こらなかったとして、それは本当に平和なのか? 平和の皮を被った、水面下の戦いではないのか?」
「その気持ちも分かります。ですが、仮初だろうと、平和は平和です。互いに睨み合っている間、誰も戦で死ぬ事がない期間が、次の二〇〇年まで続けば、それは充分に平和と呼ぶ事が出来るでしょう」
「枯れた事を言いおる、若いのにな……」
ダイパンは小さく笑った。
カルナの、どんな時も冷静な態度は、外見からは考えられない老獪さと捉える事が出来た。
本当の平和という言葉を呆気なく切り捨て、仮初であろうとも平和な期間が存在する事を確信している。或る種の達観、或る種の諦めは、若い内はなかなか持てないものだ。
「若いと言えば、お孫さん――」
「イリスの事か。若いには若いが、年齢から見れば幼いと言っても良いやもしれぬ」
「ドンシーラの盗賊団を倒せば、この町が平和になると思っている事とか――ですか」
「ああ」
「アムンの町が非接触の扱いをされるようになったのは、ドンシーラの盗賊団の存在がある。奴らがいなくなれば他の国は再びアムンを貿易の要衝とするでしょう。しかし、或る程度の戦力を持つようになったアムンを、他の国が放って置くかどうか……」
「ドンシーラに屈する訳にはいかん。しかし、後先を考えずに行動しがちだ、あの子は」
「それが幼さ、ですか。……ただ、その幼さのお陰で、彼女は優しくなれていると思っています。優しく、勇敢な子に育たれたのですね」
「そうだな……」
「貴方の教えですか? それともご両親の?」
カルナが訊くと、ダイパンは僅かに顔を曇らせた。
「誰に似たのか分からぬが、孫さ、儂の……」
「孫?」
「イリスではない、もう一人の孫じゃ……」
ダイパンは重々しく、口を開いた。