黒騎士よ、来たれ②
この黒い闘牛は、全高では成人男子を軽く超え、頭から尻までは五人から六人が横並びにならなければいけないくらいの見事な体格であった。
そんな身体を支えるのに、自然と脚も太く、力強くなり、脆くなった石畳ならばただ歩いただけで陥没させてしまう事が出来る。
王都では定期的に闘牛が催されており、腕っこきの兵士が武器を持ってコロシアムに入る。
一山幾らの闘牛を相対するのと、この闘牛と戦うのとでは全く意味合いが異なっていた。
並以上の闘牛士でも、この黒い猛牛を相手取って生還する事は、殆ど不可能であった。仮に生き延びる事が出来ても、腕や脚を吹き飛ばされたり、半身不随になったりと、再起不可能な傷を負わなければならない。
闘牛同士で戦わせても、相手の牛が身体二つ半くらいの距離は弾き飛ばされる突進力を持っている。これで弾き飛ばされれば寧ろ良い方で、その加速が付いた角で内臓をばら撒く事になった他の闘牛や闘牛士は、両手の指を合わせても数え切れない。
並の魔獣であれば、容易に突き殺してしまうであろうとさえ言われている。
それが分からない訳がないだろう。例えその闘牛がどれだけの屍を築いて来たのか知らずとも、その巨躯を、その疾駆する姿を見れば、どれだけの破壊力か分からない筈がない。
にも関わらず、黒騎士は歩みを止めたり、避けようとしたりする事なく、右手を突き出したのだ。
炎に包まれた闘牛が、黒騎士に激突する。
がきん!
凄い音が鳴った。分厚い金属を、これまた分厚い巨岩に、高所から叩き付けた音だ。
闘牛の左の角を、黒騎士の右手が掴んでいた。
しかし闘牛の右の角が、黒騎士の左胸に突き刺さっていた。尖った角の先端が、黒いチェストプレートの中にめり込んで、赤い液体を鎧の形状に沿ってこぼしている。
黒騎士は右足を前に出して、腰を僅かに低くしている。闘牛の突進の威力は、そうしなければ止まらなかったのだ。だが、鎧を身に着けているとは言えそれだけで突進を止める事が、出来ていた。
「むぅん」
鳥の頭をした兜の奥から、低い唸り声がした。
右腕をくぃっと手前にひねると、めりめりめり……! 繊維の剥がれる音がして、闘牛の左の角が、根元からもぎ取られてゆくではないか。
ぼぅっ、
ぼぉぉぅ、
闘牛が顎を反らして悶絶した。この動作で右の角が、黒騎士の左胸から外れたのだが、鎧には赤い痕こそあるものの、角が貫通したという事はなかった。却って牛の角の方が、鎧にぶつかった衝撃で内側にめり込んでしまったようなのだ。
黒騎士は、火を浴びた上、左右の角にダメージを負って悶える闘牛の太い頸を、右腋に抱え込んだ。流石に大人の胴体くらいはありそうな頸を抱え切る事は出来なかったが、黒騎士がぐっと身体を反らすと、巨大な闘牛の身体が、後肢から少しずつ浮かび上がってゆく。
黒騎士は左手からハルバードを地面に落とすと、左の指先を揃えて、闘牛の頸に向かって振り下ろした。
黒騎士の左の手甲が、闘牛の頸に深々と喰い込んだ。
赤い血を搦めて左手を抜き取り、右腋から解放す。どすん、という音を立て、小さく砂煙を上げて、闘牛は地面にぐったりと倒れ込んだ。
闘牛の身体を包んだ炎が、血液をじゅぅじゅぅと沸騰させている。
黒騎士は、手放したハルバードを拾い上げて、再び歩みを進めた。
燃えている。
燃えている町を、黒い鎧の騎士がゆく。
王都は、そこに生きる全ての命を、何日もの時間を掛けて燃やし尽くした。