黒騎士よ、来たれ①
黒々とした煙が、王都を包み込んでいた。
紅蓮の炎が海の如く拡がって、高くそびえ立つ王城も、その周囲で暮らす人々の家も、外敵から臣民を守る大きな壁も、全てを焼き滅ぼそうとしている。
燃え盛る蛇に舐め取られた道には、落ち葉のように乱雑に、人間の骸が倒れて折り重なっていた。
空気を焼かれて、窒息したのでも、皮膚を焦がされて立ち上がれなくなったのでもない。
頸をもぎ取られ、内臓を抉り出され、手足を引き千切られた無残な姿で、転がされていた。
建物の壁から、人の横顔が生えているように見えるが、そうではない。人間の顔が、壁の外側に張り付いているのだ。接着剤の代わりになっているのは、潰れた反対側の顔から溢れた血液である。
助けを求めるように、鉤爪状に開いた手が、地面を掻いていた。しかし手首からこちらは、そこには確認されない。手を斬り落とされた事にも気づかないまま、逃げようとして石畳に爪を立てたのかもしれなかった。
赤い蛇が、くねっていた。蛇には鱗がなく、肉を剥き出しにしている。所々、肉の表面が裂けており、内側から固形物交じりの黄色と赤の液体が漏れ出していた。人間の臓物だろう。
人間だけではない。牛や豚、鶏といった家畜たち、狩猟に於いては足となり鼻となる騎馬や猟犬、あらゆる生命という生命が、炎の町で無惨に撒き散らされていた。
家の奥に隠れたり、井戸の中に身を忍ばせたりして、まだ辛うじて生き延びているものも、一つや二つはあるだろう。しかしそれも、間もなく劫火と共に終焉を迎える筈であった。
その地獄の光景の中で、地上を舐め取る悪鬼の舌と共に揺らめき動くものがあった。
黒い――
黒いものである。
鳥のような頭をしていた。
両肩に、螺旋状にくねった棘を、外側に向けて生やしている。
旅商人のように大きな荷物を背負っていると見えたが、それは後方に膨らんだ鎧であった。
蛇が絡み付いたようなハルバードを持つ右腕には、巨大な手甲を装着している。
左腕はそれに輪を掛けて大きな、手甲と一体化した盾があった。
鉄の脚絆には、脛から脹脛から爪先から踵から、それぞれ厚みや大きさの異なる刃が生えている。
それら全てが、黒かった。
炎の照り返しを浴びない程に、黒かった。
それらは鎧であるらしいのだが、何処にも装甲の継ぎ目が見られない。
鎧のような形状・硬度に発達した筋肉や皮膚を持った、新種の生物のようでさえあった。
鎧や武器の表面には、赤黒い飛沫の痕が散見される。どうやら王都の臣民を殺戮したのは、この黒騎士であるらしかった。
黒騎士は石畳の地面を、鉄を軋らせる音で歩んだ。その背に、炎の塔と化した王城が見える。
その黒騎士が進む、惨殺された死骸でいっぱいになった道を、火を浴びながら疾走するものがあった。
騎士と同じく黒々とした体毛から、火を噴き上げるようにして駆けているのは、一頭の牛だった。
家畜ではない。その雄々しくそそり立った一対の角は、この牛が戦う為に生まれた存在であると誇示しているようであった。
王都で飼っていた闘牛が、この火災に乗じて檻から脱走したのだろうか。
黒騎士が歩いている道は狭いが、大柄な人間であってもすれ違う事が出来る。しかし炎の闘牛と、大振りな鎧を纏った騎士では、とてもすれ違う事は不可能であった。
暴走した闘牛は、臣民たちの骸を蹴散らしながら、炎の熱さを振り切るかのように疾駆した。
その正面に、黒騎士が立っている。
闘牛は、痛みの為か、苦しみの為か、それとも別の何かの為か、
ごぅ、
と、哭いた。
火だるまの闘牛は、娯楽と称して剣を持って立ちはだかった闘牛士たちの血を、幾たびも啜った大角を唸らせて、黒騎士に向かって直進した。
黒騎士は歩みを止めないまま、ハルバードを左手に持ち替えた。
そうして突進して来る闘牛に向けて、右手を伸ばす。
がきん! と、凄い音がした。
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