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桜花舞う!!  作者: 高嶺の悪魔
第一章 春(前) 帝都の日々
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第八話

 座敷の中に置かれている長方形の座卓の周りには、ソウジの座っている上座から入り口に向けて、左右に三つずつの座椅子が用意されていた。

 中庭を背にする右側の一つ目にはすでにミツルが座っており、残る二つをコウが占領してしまっているため、サクヤは左側の席から真ん中を選んで腰を下ろした。あとから来たコトネがその右側に座ると、サクヤとの間に割り込まれる形になったソウジが一瞬、残念そうな表情を浮かべる。

「……さて、残るはあと一人だな」

 二人が腰を落ち着けたところで、ソウジが言った。

「あと一人って……シュン君?」

 先に着いていた三人の顔を見まわした後で、サクヤが少し驚いたような声を出す。その隣では、コトネも不思議そうに首を捻っていた。

「珍しいわねー、あの生真面目几帳面お化けが遅刻だなんて」

 サクヤは懐中時計を取り出した。針は約束の時間から、すでに五分過ぎた位置を示している。心配そうに、サクヤの眉が動いた。

 コトネが言ったように、この場にまだ来ていないもう一人、識防シュンは、サクヤの知る限り誰よりも几帳面な性格の人物だった。

 その彼が、約束ごとに遅れてくるなど考えられない。

「さて、何かあったかな?」

 サクヤの思考を読んだように、ソウジが不穏な言葉を口走ったところで、襖がそっと、静かに開かれる。

「む。遅れたか?」

 隙間から顔を覗かせたのは、黒縁の分厚い眼鏡を掛けた男だった。

 やはり軍服を着ているが、ミツルたちのような野戦略装ではなく、漆黒の陸軍正装に身を包んでいる。表情の乏しい顔は、軍人にしてはあまりに青白く、軍装を身に纏っていなければどこかの教師にでも間違われそうな風貌だった。


「シュン君」

 サクヤがほっとした声を出した。

「遅刻も遅刻。五分遅れの大遅刻だ。俺の部下だったら営庭五百周だな」

 その対面では、遅れてきたシュンを責めるようにコウが鼻を鳴らす。

「五百周もすれば、その不健康そうな顔色もちったあマシになるだろうに」

「ご心配どうも。もっとも、残念なことに、君の部下にはなりようがないけれど」

 コウの嫌味に、シュンは襟元を軽くつまみながら答えた。そこには中佐の階級章が光っていた。

 それを見たコウは不機嫌そうに舌打ちをした。むっつりと黙り込んだ彼を無視して、座敷の中を見回したシュンは空いていたサクヤの右側へ座った。

 そこにも、コウの舌打ちが飛んでくる。

「遅れて来たくせに……」

 罵るように唸ったコウに、サクヤはいったい何をそんなに怒っているのだろうと思いながら、隣に座るシュンの横顔を見上げた。

「久しぶりだね、シュン君。何かあったの?」

 心配そうに尋ねたサクヤへ、彼はそれまでの仏頂面をわずかに緩めた。

「ああ、いや、少し仕事が立て込んでいてね。大丈夫だよ。サクヤは元気そうだな。良かった」

「うん、私は」

 サクヤが頷いたところで、ソウジの咳払いが響いた。

「さて。これでようやく、全員揃ったわけだな」

 全員の視線が自分に集中したことを確認してから、彼は改まって言った。一人一人、幼いころからよく知っている顔を見回すと口を開く。

「あの凱旋式から一年か。改めて、久しぶりだな、みんな」


 サクヤを始め、この場に集った全員はみな、戦災孤児だった。

 戦争で親を亡くすか、或いは育てられずに捨てられた子供たちを集めて養育する、軍の養護施設で出会った彼らは、そこで兄妹のように育てられた。

 言ってしまえば、今日の集まりはサクヤたちにとって、兄妹たちとの久しぶりの再会を祝した食事会といったところだ。

 本当に、ただそれだけだったのなら、どんなに良かっただろうかとサクヤは思った。


 軍の養護施設で育った彼らは、当時、同じような境遇にある子供たちにとって当然の流れとして、軍人への道を歩むことになる。最年長だったソウジが陸軍将校を志して、陸軍士官学校へと入学すると全員がその後に続いた。

 その頃の士官学校は、戦争の長期化に伴う慢性的な将校の不足を補うために入校年齢が十二歳にまで引き下げられており、そこで二年間の速成教育を終えた彼らは少尉に任じられ、それぞれの戦場へと赴いた。

 そして。戦地で再会を果たしたその時、彼らの関係は何もかもが変わってしまっていた。


 会話が途切れたからだろうか。小さな断りの声とともに襖が静かに開き、若い女中が一人座敷へ入ってきた。彼女は新しく淹れてきた茶を人数分の湯呑に注ぐと、それを各々の前に置き、やってきた時と同様、静かに退室していった。

 襖の閉じられる、ぱたりとした音を合図に、ソウジが自分の前に置かれた湯気の立つ湯呑を掴んだ。

「せっかくの料亭だが、未成年がいるから酒は駄目だ。今日はこれで我慢してもらうぞ」

 言って、湯呑を顔の高さまで持ち上げた彼はからかうような視線をサクヤへ送った。

 施設にいる頃から、こうして何かと取りまとめ役になることの多かったソウジは、この中でも長男のような立ち位置だ。

「別に、私にはお気遣いなく」

 ソウジの言葉に、つーんと澄まし顔で返すサクヤはいつまで経っても子ども扱いから抜け出せない末っ子だった。

「前はそんなこと、気にもしなかったくせにな」

 茶化すようにコウが口を挟んだ。

 無邪気にけらけらと笑っているところは、少年時代からあまり変わりがない。

「陸軍中将殿ともなれば、色々と立場があるのだろうさ」

 その横で、諫めるようにミツルが言った。

 ソウジとサクヤを除く、他の四人は全員が同い年なのだが、この二人にはどこか兄と弟のような関係性がある。常日頃から穏やかな雰囲気を纏っているミツルは、昔から猪突猛進気味のコウや、無茶をしがちなサクヤを宥める役回りだった。

 サクヤの隣で、そうだなとミツルに同意するように呟いているシュンは、コウとは正反対の無口な性格だ。常に周りから一歩距離を取って、あまり自分から意見を主張することは少ないのだが、必要とされれば口を開くし、時には最年長であるソウジにすら助言をすることもある。この自己主張の激しすぎる面々の中では、適度な緩衝材のような役割を果たしていた。

「それで? いったい、何に乾杯するわけ?」

 持ち上げた湯呑を所在なさげに静止させながら、コトネが訊いた。

 男連中よりも遥かに内面的な成熟の速かった彼女は、言ってしまえばお姉さん役だ。面倒見が良く、姉御肌な性格もあわせて、下手をすれば、この関係の中では長兄にあたるソウジよりも絶大な権力を有しているといっても過言ではない。

「何にって、そりゃあもちろん」

 コトネの質問に、コウがなにを当たり前のことをという表情で答えた。

「第587連隊に、だろ」

 彼の口から出た、大戦中自らが率いた部隊の名を聞いて、サクヤは少しだけ寂しそうな、泣き出しそうな笑みを浮かべると、顔を伏せた。




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