014
「統帥権干犯を繰り返す政府や陸軍の首脳、その暴走を許し、年若き陛下を臣民から遠ざけてきた不敬不忠の筆頭である侍従、元老を排するのは理解できますが、何故、そこで木花少佐の名が出るのでしょう」
砂霧から疑うような視線を向けられていながら、識防シュンは飄々とした態度を崩さずに尋ねた。
「最大の理由は、彼らを敵に回すのは危険が大きすぎるからだ」
砂霧は彼を油断の無い目で睨みながら答えた。
「むしろ、私は彼らを味方に引き入れたいと思っている。もしも彼らが、いや、この場合は木花少佐一人で良いのだが、彼女を味方につけることができれば、我々はこの国における最大の戦力を得ることになるからだ」
「何故、そう断言できるのでしょう」
探るような声でシュンが聞き返した。
「木花少佐は現在、士官学校の教官であると聞いています。つまり、彼女には今、指揮を執る部隊が無いわけですが」
「しかし、彼女の影響力は無視できない」
砂霧は切り捨てるような声で答えた。
「調べた結果、未だに元・587連隊の将兵たちは木花少佐へ忠誠を誓っているようだ。そこには参謀本部次長の御代ソウジ中将や、軍神とまで謳われた指揮官である邑楽ミツル大尉も含まれている。彼女を味方に引き入れることができずとも、拘束しておけば彼らを無力化できるはずだ」
まぁ。うん。そうだろうな。
砂霧の言葉を聞いたシュンは、内心で納得したようにそう呟いた。
確かにサクヤを盾にしてしまえば、彼らは何もできなくなってしまうだろう。それは彼の知る限りにおいて真実だった。
しかし、どうにも腑に落ちない。
その気難しさ故に部下からも疎まれがちな砂霧大尉が、そうした人間性を逆手にとるような作戦を思いつくものだろうか、という疑問があった。
もう少し探りを入れるつもりで、シュンは納得の行かないという表情を作ってみた。
「……発案のきっかけは、何処からとは明かせないが、信頼できる筋からの助言だ」
砂霧は見事に引っかかってくれた。それを聞いたシュンはしばらく考え込むような素振りをしてから、やがて頷いてみせた。
「まぁ。大尉殿が確信しておられると言うのであれば、自分からはこれ以上」
ただし。
納得したふりをしつつ、心の中で思う。
ただし、先ほどの話には最重要の要注意人物が一人抜けているけれど。
サクヤのためならば、たった一人で世界中の軍隊を相手取れそうな男が。
もちろん、それを砂霧に教えてやろうとは思わなかった。
そもそも。教えたところであの馬鹿を敵に回してしまえば、その時点で対処のしようがない。
「しかし、随分と木花少佐に拘るじゃないか。識防中尉」
そんなことを考えていると、砂霧が逆襲するように口を開いた。
「数少ない兵力を、わざわざ彼女一人に割く理由が分からなかったもので」
シュンはあっさりと応じた。どうやら、それは彼だけの疑問でもなかったらしい。近くにいた少尉や中尉たちも、確かにと頷いている。
そこへ、真辺が宥めるような声を出した。
「まぁ、正直にいって俺も木花少佐を味方に引き入れるべきだというこいつの主張はよくわかっていないのだが。どうしてもと言うのでな。この秀才参謀には、何か腹案があるのだろうと、許可したのだ」
まるで自分こそが、この場の最上級者だと言わんばかりに彼はそう言った。
「蹶起は一月後というが、それは決定事項なのか」
砂霧の説明が一通り終わったところで、泰原が唐突に尋ねた。
「まぁた、始まった」
それに真辺が、あからさまに迷惑そうな顔をした。
「お前はいつもそうだな、泰原。みんながやる気になっているところへ水を差す。今回はなんだ? またお得意の“時期尚早ではないか”、か?」
小馬鹿にするように言った彼へ、泰原は特に気にした風もなく答えた。
「新兵ばかりの今の近衛では、戦力に不安があると思うのだ」
「だから、そういった問題を解決するための蹶起でもあるのだ」
真辺は物分かりの悪い子供に言い聞かすような口調で応じた。
「それでは順序が逆だろう」
ふぅと溜息を吐くように泰原が言い返す。
「お前な……」
「確かにそうかもしれん」
真辺が喉元まで出かけた罵声を吐きだすよりも前に、同意の言葉を口にしたのは砂霧だった。
「おい、お前まで……」
信頼していた右腕からの突然の裏切りに、真辺は不安そうな顔になった。それを無視して、砂霧は続けた。
「だが、やはりこの機を逃すわけにはいかないと思う。何より、いつまでも御国をこのままにしておいて良いのか?」
その質問に、泰原は両目をきつく瞑って黙り込んだ。
「そうだ、そうだぞ」
水を得た魚のように真辺は彼に迫った。
「泰原、お前、慎重と言えば聞こえはいいがな。義を見てせざるは勇無きなりだぞ。それに、お前は知らないだろうが今度、陸軍から新たな兵員を受け入れるらしい。新兵なんぞではない、正真正銘の精鋭をな。大隊長が俺にだけ、そう零されたのだ」
「いや、陸軍から転属してくる兵は、今回の蹶起には参加させない」
得意満面でそう口にした彼の横で、砂霧が冷たく言った。
「戦力としては魅力的だが、背後にどんな繋がりがあるか分からない以上、新兵のほうが憂いなく使える」
そして、彼は真辺へ少し黙っていろという目を向けた。
「国民の生活を誰よりも憂いているのはお前だろう、泰原」
むっつりと黙り込んだ真辺を横に置き、砂霧は諭すように泰原へ言った。
「これは御国をあるべき姿に戻すための義挙なのだ。そして、大戦中にお前が守り抜いた第三中隊はこの蹶起の主力だ。事の成否は、お前に掛かっているといっても過言ではない」
彼の言葉に、泰原はさらに懊悩を深めたようだった。
「……分かっている」
やがて、絞り出すように彼は答えた。
「だが、決行するか否かは直前まで、よく考えてもらいたい。部下の命が掛かっているのだ」
「承知した」
頼み込むように言った泰原へ、砂霧は何処までも誠実な態度で頷いた。
「よし。話は決まったな? それじゃあ、そろそろ……」
どうやら話に飽きてきたらしい真辺が、気分をがらりと変えた声を出した。
彼は立ち上がると、店の者を呼ぼうと広間の外へ向かう。
「次に、蹶起時の配置を振り分ける」
その足を、砂霧の冷静な声が引き止めた。
「あ、そうか。手早く済ませろよ、砂霧」
真辺はどうでも良さそうに言ってから、餌を取り上げられた犬のような態度で、その場にどっかりと腰を下ろした。




