第三話
今日、帝国と称しているこの国は極東における小さな島国の一つである。
西にある中央大陸と海峡を挟んで寄り添うように浮かぶ、南北に長い列島であるこの国は、かつて世界の中心であった欧州との交易が活発になり始めた早期に西洋文化を受け入れ、富国強兵に努めたが故に、他の極東諸国とは異なり列強国の支配下に堕ちることを免れ、いつしか極東における最大の国家となった。
その首都たる帝都は、この国の最高統治者であり神聖不可侵の存在とされる帝主が住まう帝宮を中心に据えた、帝国最大の都市だ。
緑茂る広大な敷地と澄んだ水を湛える深い堀によって囲まれた帝宮からは東西に大きな通りが伸びている。それぞれが西宮通り、東宮通りと呼ばれるその大通りには、帝宮へ近づけば近づくほどこの国の中枢を担う省庁の建物が多くなり、その周りを民家が囲むようにして街は広がっていた。
官庁舎の建物は、その多くが戦前の西洋化を推し進めようとする時の政府の意向によって、西洋式の建築様式が採用されている。
特に、帝宮から西宮通りへと出て正面に聳える、この国の国政を司る帝国議会議事堂の荘厳な石造りの建物や、そこから北へ一本ずれた通りにある帝国陸軍の軍令を統括する参謀本部の白い練石造りの建物などがその筆頭である。
対して、それらを取り巻く民家の多くは帝国伝統の木造建築であり、東西の建築文化が入り混じる、一種独特な帝都の街並みは形作られていた。
街の中心の一つ、西宮通りの往来の中で自転車を止めたサクヤは、ふうと大きく一息ついてから、懐中時計を取り出した。
ハツとの会話を打ち切るために嘘を吐いた罪悪感から、無駄に全力で漕いできたおかげか、時計の針は約束の時間までそれなりに余裕のある位置を示している。太陽の高さに目をやりつつ、懐中時計をしまったサクヤは代わりに皺だらけの手巾を取り出した。額に薄っすらと滲んだ汗を拭い、大外套を自転車の籠へ投げ入れてから、さて、どうしたものかと考える。
約束の場所は、西宮通り(ここ)から帝宮を挟んで反対側の東宮通りだった。このまま向かっても良いのだが、できればその前にどこかで乱れた息を整えたいと思った。
「……そうね。お茶を一杯飲むくらいの時間はあるかしら」
時計の針と相談してそう決めたサクヤは、これもあることだしねと呟きながら自転車を押しながら、目的地と反対方向に向けて歩き出した。
帝都の中心部というだけあって、通りはそれなりに賑わっている。その中を慣れた足取りで進むサクヤに、行き交う人々の何人かが気付き、声を掛けてきた。
「これは、大佐さん。ごきげんよう」
洋礼装姿の老紳士がすれ違い様、帽子を脱いで丁寧に会釈をした。彼の後ろには大きな荷物を担いだ少年たちが数人、従っていた。彼らも同じようにぺこりと頭を下げる。
サクヤはそれに、努めて笑顔のまま曖昧な応答を繰り返すのだった。