第二十九話
「それで。お話とはなんでしょうか」
教官室へ入るなり、引き戸をぴしゃりと閉めてサクヤが訊いた。
部屋の中ならば、誰の目もないからか。不機嫌さを隠そうともしないその声に、ソウジはだいぶご機嫌斜めだなぁと思いつつ、自らも先ほどまでの堅苦しさを捨てた口調で尋ね返す。
「木花、三日後は空いているか?」
「三日後、ですか?」
質問を質問で返されたことにむっとしたサクヤだったが、素早く記憶を辿って応じる。
「いえ、特に何も」
その答えに、満足そうにソウジは頷いた。
「よろしい。では」
言って、彼は手にしていた鞄から綴じられた書類の束を取り出すと、彼女へ差し出した。
「君に任務だ。それも、参謀総長閣下直々に君をご指名だ」
「……それならば、私の予定を確認する必要はなかったと思います」
サクヤは書類を受け取りつつ、不満そうに唇を尖らせた。
帝国陸軍の軍令を統括する参謀本部、それも参謀総長直々の命令ともなれば、士官学校での職務などよりも遥かに優先されるからだった。
しかし、たかが命令一つを伝えるためだけに、わざわざソウジがやってきたのか。そう不審に思いつつ、一枚目を捲った瞬間。自分が感じていた嫌な予感が、見事に的中したことをサクヤは悟った。
「あの、閣下」
両眉をぎゅっと寄せたサクヤが、疑うような声を出した。ソウジは何もかもを諦めたような顔でそれに頷いた。
「開拓村の視察任務だ。第1151開拓村。帝都北西、飛禅連山の麓にある」
「なぜ、私なのでしょうか」
しばらくの沈黙、その後、感情の起伏が乏しい声でサクヤが尋ねた。
「もっとも適任であると、参謀本部が判断したからだ」
分かりきっていた彼女の反応に、ソウジは乾ききった口調で応じた。
「開拓村の視察に、何故、士官学校の教官である私を充てるのか。その理由についてお聞きしたいのですが」
「聡明な君なら分かるだろう」
ソウジは部屋に入り込んだ虫を探すような顔で答えた。
「この開拓村についての、というよりも、現地で開拓部隊の指揮を執っている男の噂を、君も耳にしたことがあるはずだ」
それは一月前。あの、昔馴染みたちと集まった食事会。あの時、識防シュンが面白い話だと言って口にした、とある将校の渾名。
あの時は、相変わらずこの男は諧謔趣味を拗らせているなと思っただけだったが、今にしてみれば、わざとだったのではないかとソウジは踏んでいた。
シュンは情報部に勤めていると言っていた。ならば、もしかしたら。知っていたのかもしれない。或いは予想していたのかも。近いうちに、俺たちにこうした任務が回ってくることを。
しかし、だとしたら。
アイツはいったい、どこまで知っているんだ?
ソウジがそんなことを考えている横で、サクヤが静かに口を開いた。
「御代君、私は……」
どこか、縋るような声だった。それを遮るように、ソウジは言った。
「諦めろ、木花」
彼の口調は、命令を下すときのそれだった。軍隊における命令とは、常に無理か理不尽と相場が決まっている。
サクヤは諦めた。言わんとしていた言葉を飲み込んで、代わりに「分かりました」と無機質な声を出す。今まで、何度もそうしてきたように。
「その書類には、当該開拓村とそこに駐屯する開拓部隊について纏めてある。目を通しておくように。出発は、三日後の早朝。日程の詳細についても、中身を確認しろ」
そう言った彼に、サクヤは力なく頷いた。
「……まぁ、その。あれだ、木花」
塞ぎこんでしまったサクヤを見て、少しでも気分を変えてやるつもりでソウジはことさらに明るい声を出した。
「たまには、英雄らしい仕事をしてもいいだろう?」
口にしてしまった後、顔を上げたサクヤの表情を見て、ソウジは心の底から後悔した。
詫びるように軍帽を目深に被りなおすと、彼女から顔を背けて思った。
ああ。最悪だったな。今の言い方は。




