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ビビアンがエーリヒのところに尋ねるのはだいたい月に2回だ。その間なにをしているかと聞かれれば、平均的な令嬢と同じようなことをしている。午前起きられる日は刺繍など花嫁修行。午後は週2、3回のお茶会、夜は同じくらいの頻度で舞踏会もしくは夜会に出席し12時を回ることもしばしば。不定期でドレスをはじめとする身の回りの装飾品の手入れと買い物。
平均的な令嬢と違うことと言えばこっそり勉強などしていたりする。それでも最初は気を使って、貴族名鑑を眺めてみたりしていたのだ。ところがこの家系図の羅列が何とも分かりにくい。領地はどこだ名産はなんだと気付けば地理の勉強を始めていた。不思議なことだ。
もちろんそういった情報はドミニクにも教える。弟は弟の友人たちがどこに住んでいるとか隠れた名物だとか、それから近隣の領主たちの情報を提供してくれた。お陰でお茶会で初めて出会うご婦人やご令嬢とも話が弾むので助かる。
そうやって地道にネットワークを広げていって分かったのは、どうにも適齢期の殿方の大半は従順でかわいらしくかつ魅力的な体形の乙女を望んでいる、ということである。特殊な事情としては実家の援助が受けられそうな富豪の娘、などもあるが。
ビビアンは己を振り返る。従順であるか、ノー。好奇心旺盛でなんにでも興味を示すだろうし、旦那様が間違っていると思えば反論してしまう自信がある。かわいらしいか。ここは主観が混じるところなのでグレー。魅力的な体型か、相対的に見てノー。実家の援助、グレー。父の人脈は素晴らしいものの娘婿のために使うか、と言われたら微妙なところである。
つまるところビビアンの花嫁としての価値というのは、あまりよろしくないようなのだ。
これは早々に外国へのつてを探さなければいけないかもしれない、というところで妙な夜会の噂を聞いた。
夜会自体はごくごく普通の、貴族の集まる立食式パーティである。舞踏会ではないのでダンスはない。なんでも国の爵位を持った貴族を片っ端から呼び出すがごとく次々に開かれているらしい。開催者はクラッグ公爵。三女の婚約者を探している、と表立ってのもっぱらのうわさである。そのかげでは密やかにひとつのうわさがささやかれていた。
いわく、その三女は真の紳士を探している、とか。
真の紳士とは何か。これを聞いた瞬間ビビアンはうわさを流した方に問い詰めたくなった。10代はひよっこ、20代は遊び人、結婚するなら30以上と言われる社交界で真の紳士とはどの年代のどういう方を示すのか。見た目なのか立ち振る舞いなのか知能なのか財力なのかはたまたそのすべてを網羅する方なのか。そんな人間は存在するのか。
疑問は尽きないながらも、とうとうフレイベルグ伯爵家にまで招待状が届いた。父はドミニクを呼び寄せて、家族そろった夕食の場で厳かに告げる。
「ビビアン。ドミニク。この夜会は公爵家の主催だ。言いたいことは、わかるね?」
とうとうこの日が来たか、と決戦にむかう心持ちでビビアンは父の言葉に耳を傾ける。
「ドミニクは私と一緒に挨拶まわりをしよう。紹介しておきたい方も数名はいらっしゃるだろう。事前に名前を教えるから覚えておくこと」
「はい、父さん」
「ビビアンは私が付添人となっているが夜会の始めは見ていられない。とはいえ、公爵家主催の夜会には良い方がいらっしゃるだろう。よくよく覚えていただくように」
「はい、父様」
やはり婚約者探しの話だ。表立って流れるうわさは日に日に濃厚になってゆく。離婚をしたことがないもの。放蕩にふけらないもの。女性関係の悪いうわさがすくないもの。招待される男性は確かに厳選されており、令嬢たちにとっては魅力的な狩りの場になっていた。
外国行きはひとまず棚に上げておいて目の前の夜会に集中しよう。まずは誰が出るか、次のお茶会で探りを入れなければ。
婚約は情報戦だ。ビビアンは気合いを入れ直して貴族名鑑に集中した。
翌日。寝過ごしはしなかったものの、なんだか頭がぼんやりする。もう一度ベッドへ入ってしまいたい欲望を抑えて身支度を整える。こんなときに限ってタイが上手く結べない。何度結びなおしても傾いてしまう。出かける時間を優先して仕方なく少し傾いているタイのまま帽子をかぶり鞄を取る。
「遅かったな」
「渋滞に巻き込まれかけてね」
「ふうん。あれは?」
「はい、いつもの書簡になりますエーリヒ坊ちゃん」
振り返ったエーリヒの目を細められ、眉間には盛大な縦じまが刻まれていた。いけない、眠気で口が軽くなっている。ビビアンは愛想笑いでごまかしてみる。なにせエーリヒは双子に興味がないのだ。一歩間違えば出入り禁止にでもなりかねない。
「ごめんごめん、夜会の予定が入って憂鬱でね」
「人で憂さを晴らそうとするな。夜会とはクラッグ公爵家のか?」
「ああ。社交界では三女の婚約者探しだともっぱらのうわさだよ」
「そうなのか?」
きょとんとしたエーリヒに、ソファーに腰掛けながら表立ってのうわさを聞かせる。ついでに独身令嬢の狩場だというところまで。視線を宙にさまよわせていたエーリヒが、一人納得したようにうなずく。
「それで俺のところまで招待状が来たのか」
「出席するの?」
「公爵家はお得意様だ。断れん」
日程を確認してみればちょうど同じ日らしい。久々にドミニクとエーリヒと三人そろうのかと思うと感慨深い。義務である自分の婚約者探し以外にも楽しみできて、ビビアンの気分は少しばかり軽くなる。
前回読み損ねた大学教授のエッセイを手に取る。これは国立図書館からの借り物でこの部屋から持ち出せない。中流階級に生まれた著者が働きながら大学を出て教授になる、という生い立ちから始まり大学の面白い話や己の考え方などを軽いタッチで書いていて読みやすい本だ。
ソファーにもたれかかり、ページをめくる。しばらく静かに読んでいると、ふわ、とあくびがこぼれた。だんだんと文字が歪んで見える。そのままビビアンはうたた寝してしまった。
すっと意識が浮上すると、すぐそばに人がいた。ドミニクかな、と双子の弟の笑顔を思い出してふと考える。いつビビアンは家に帰っただろう。無意識か。そっと薄目を開けてみれば、エーリヒがじっとこちらを見ていた。あわてて目をつむる。
幸いビビアンが起きたことには気が付いていないようだ。眠ったふりを続けながら、幼馴染の奇行の意図を考える。
まずあれだ、ビビアンとドミニクが入れ替わっていることに気が付いた。それかドミニクになにかしらの興味がわいた。あとなんだろう特に意味はないけれど部屋に人がいることが気になる、とか。よくよく考えて、ビビアンはエーリヒのことをあんまりよく知らないことに気が付いた。
「ううーん?」
この部屋にいると時間を忘れる。部屋を覆う知識の塊は素敵だし、部屋の主のことは子供時代からの知り合いだから気兼ねがない。会話もなく勉強をしていることがほとんどだったから、エーリヒ自身のことはよく知らないのだ。何を勉強しているのかは知っている。口が悪いことや行き詰ると肩を回したり伸びをしたりすることも知っている。たまに出てくる茶菓子から、甘すぎる菓子を食べないことも知っている。
でも、エーリヒの考えていることはさっぱり分からない。
カタッと音がする。ちらり薄目で見やれば、エーリヒはいつも通りの場所に戻っていた。ビビアンはあくびをするとソファーに座り直す。
「今度の夜会にはおまえの片割れもでるのか?」
「うん?うん。どっちも招待されているからね」
「じゃあ伝えておけ。間違っても俺に近づくな、と」
まさしく寝耳に水。さて、ビビアン・フレイベルグは彼に何をしたっていうんだろうか。
「寂しがると思うよー?」
「俺は間違っても取り巻きの女どもに恨まれたくないからな」
「取り巻き?」
「うわさによると、ビビアンに話しかけようとした奴はことごとく周りの女どもに邪魔されるらしいからな。運よく話せた場合もそのあと随分と邪険に扱われるそうだ」
「へえ。初めて聞いた」
確かに夜会でも舞踏会でも代わり映えのない面子で固まっているけれど、そんな話は初めて聞いた。いつもみんなで今日こそいい婚約者を見つけようと励ましあっているのだ。抜け駆けしたらどうなるか。そうか、それだ。
「婚約者探しは競争だし、どこの令嬢も同じようなものじゃないかな。足の引っ張り合いってやつだよ」
「そうなのか?」
「じゃなきゃどうしてフレイベルグの令嬢だけが特別扱いなのさ」
「……まあ、そう言われてみればそうか」
いまいち腑に落ちないといったエーリヒと別れ、家へと帰る。
じっとこちらを見るアイスグレーの瞳を思い出すたびに、ビビアンはなんだか落ち着かなくなった。