帝国留学編-冬- 12
来週はテスト結果の発表で、それから学期の終わりになる。それに合わせてエーリヒがやってくる。緊張することばかりだ。
週末にはダミアンとして数学塔へと訪れた。
教授たちは大いに歓迎してくれたものの、春休みは仕事を入れてしまったから来られないと先に告げておく。少し延長しただけで長くはいられないことも。
「やあアラム教授。あなたがローガン教授にお願いしてくれたんだって?」
「元はこちらが原因だろう」
肩をすくめて否定も肯定もしない。
掃除をしながら一番気になっていたことを聞く。
「格好はもういいのかい?」
「大人は、目を瞑ることができる」
「じゃあ子供らしくそれに甘えておこう」
ビビアンの秘密はアラム教授の中でそっと秘めておくことになったようだ。
「君はまったく、囁きの人形だ」
退出間際に呟かれた言葉は、いままで聞いたものと同じなのになにか違って聞こえた。すぐに次の仕事に取り掛かってしまったためビビアンの頭の中に仕舞われてしまったけれど。
テスト結果が発表された日にエーリヒから手紙が届いた。ローガン教授のところに着いたそうだ。それから、いろいろ聞いたのでビビアンの意見も聞きたいと言う旨。
とうとう怒られる日がやってきたな、といままでやらかしたことを思い返しながら覚悟を決める。
学期末のその日。授業が終わってすぐにローガン教授のところを尋ねた。
エーリヒは仕事上がりらしく、見たことのない種類の笑顔で出迎えられてひるむ。妙な圧力を感じた。慌てて口を開く。
「エーリヒ。今日は時間がない。わたしはこれを届けに来た」
「ビビアン。俺には聞きたいことが山ほどある」
「聞きたいだろうことはだいたい全部ここに書いた。水色の封筒が先で、クリーム色の封筒が後だ」
「手紙なら郵送で済むだろう。せっかく来たんだ、ゆっくりしていけ」
「明日ゆっくり話そう。朝一番に来る。デートの約束も忘れないでくれよ」
「そうだな、明日じっくりと話そうか」
久しぶりの再会は事務的な会話になってしまった。それでもエーリヒに会えた分だけほほが緩む。待たせておいた馬車で寮へと帰り、明日なにを着るか真剣に悩む。
「エーリヒ様、忍耐の限界を超えたのでしょうね」
「うん。あんな笑顔初めて見た」
「青筋が立っているように見えましたが」
「やっぱりか。明日はデートは無理かな」
薄紫色のワンピースにクリーム色のケープを合わせると、明日に備えて早めに眠る。
帰省の準備は済ませてあった。
明日はたっぷりとエーリヒに怒られて、できれば破談にならないように頑張って、それからデートをするのだ。
ビビアンは頭を悩ませる。恋の駆け引きは戦いだというけれど、なかなか難しいものだ。
朝食は充分に食べた。怒られる心の準備もできている。約束通り、朝一番にエーリヒのところへと向かう。
ローガン教授はいるだろうか。いないといい。誰かのいるところでしかられるのは堪える。
いつかより元気そうな顔つきの家令に尋ねれば、エーリヒは自室にいるらしい。ローガン教授は帰ってないそうだ。ルーシーは客間で待機するようにと、演劇雑誌と共に置いてくる。
大きく息をすって吐く。
エーリヒに声をかければ、力ない声が返ってきた。あれ、と首をひねりながらも部屋に入る。
ソファーに座るエーリヒは頭を抱えていた。
とりあえず横に腰掛ける。
反応がない。
「エーリヒ。聞きたいことがたくさんあるって」
「例の手紙でだいたいの事情は分かった」
「なんで君、頭を抱えているんだい?」
「それをお前が聞くのか」
どうやらビビアンの仕業らしい。
思い当たることなんて一つ、手紙しかない。
「手紙を読んでくれたんだ、ありがとう」
「ああ、どっちも読んだとも。順番を指定した意味がはっきり分かった」
「クリーム色の手紙は君への誕生祝いだよ。なるべく早く渡したかった」
「読んだ。お前、あれ、書いていて恥ずかしくないのか」
「どうして?」
小首をかしげる。
ビビアンとしては思っていることを正直に記しただけだ。
普段の会話と変わらないし、普段より考えが伝わりやすかったのではないかと思っている。
いつも助かっていることだとか、好きなところだとか。言い忘れていたけれどビビアンの初恋がエーリヒなことだとか。 いままで黙っていてもなんとなく伝わっているかなと思っていたことを改めて書いただけだ。
「俺はお前のひとたらしを舐めていたらしい」
「わたしは別にひとたらしじゃない。本当のことを書いたまでだ」
「なお悪い。こんなものを読んでしまえば怒る気力が全くわかない」
「それは困る。今日わたしは君に怒られに来たんだ」
エーリヒがうろんな目でこちらを見る。ようやく目が合って、ビビアンが自然と笑顔になる。なにせ久しぶりのエーリヒなのだ。嬉しくなってくる。
エーリヒが力なく頭を振った。
「お前、それが怒られに来た奴の顔か」
「だってエーリヒに会うのは久しぶりなんだ。どれだけ君がいてくれたらいいと思ったか。本当に、傍に居ないと言うのは辛いな」
「まだ留学して半年もたってないぞ」
「そうなんだ。困ったことにエーリヒに相談しないといけないことをいろいろ飛ばしてきてしまった」
「俺はお前が普通じゃないことを舐めていた。手紙のことだけじゃないぞ」
おしかりというには甘い、エーリヒからの苦言が始まる。
エーリヒが結婚式の準備でいろいろ頭を悩ませている間に、大学教授の助手なんてして黙って遊んでいたこと。
既婚とはいえ男性と二人きりで観劇に行ったこと。
ローガン教授と仲が良すぎること。
男友達、ロペのことも苦々しいと言った感じだ。
「それでアラム教授はどうなったんだ。手紙には結末がなかったが」
「翌週に夫人に夕食に誘われてな。契約結婚だったけれど両思いなのがすれ違っていただけだと分かって夫婦仲は改善。アラム教授からダミアンに大学へまた来てくれと打診があった」
「なんだそれは。お前振り回されて正体がばれただけじゃないのか」
「わたしは安心したけど」
エーリヒのいうことは一理ある。
正体がばれた以上あまり関わらない方がいいのも道理だ。
けれど、ビビアンとしたらあの夫婦の惨状は他人事ではなかった。
「エーリヒはわたしに、婚約して帝国で勉強してこいと言った。もしそれが契約によるものだったら、アラム夫妻のようになっていたのかなと思ってね」
「言葉の選び方が悪かったのなら謝る」
「そうじゃなくて。わたしが自分の恋心を自覚していなかったら、きっと君が嫉妬する意味も分からなかっただろうなと思うんだよ。君に怒られる意味も」
エーリヒが押し黙る。
アデレードと話して以来ずっと思っていたことだ。
ビビアンの頭は結婚式に憧れたり恋愛を楽しんだり、そういうふうにはできていない。
恋も自覚せずにエーリヒの提案を飲み込んだのだとしたら、きっとビビアンの行動次第でエーリヒが怒るなんて考えもしなかっただろう。怒られる意味も分からなければきっとエーリヒと仲違いをしていた。
困ったときにエーリヒに会いたいと思うこともなかったのかもしれない。
「アラム教授はわたしを囁きの人形と呼んだ。あれはなんだい?」
「便利な奴、なくすのが惜しい奴、恋人をつなぐ奴。三つ目の意味だろう」
「最後のは初めて聞いた」
ビビアンは見事三つの意味をこなす囁きの人形になったらしい。
納得するビビアンの横で、エーリヒは遠く昔を思い出す目をしていた。
「俺はお前の初恋はお前の叔父なのかと思っていた。実に楽しそうに話すし、口調まで真似をしている」
「家族として大好きだとも。恋愛するには、あの人は父に近すぎる」
そうっとエーリヒの手が伸びてきて、ほほに触れる。
びっくりしてビビアンは逃げそうになり、なんとか踏みとどまる。触れられている部分が温かくて焼けてしまいそうだ。
じっと見つめるエーリヒはもう怒っていないみたいで、ひどく真剣な目をしている。
ばくばくと心臓の音がうるさい。
「ドレス。どうして自分で選ばなかった」
「君が選んだものを着たかった。どうしてかは分からないけれど、エーリヒに悩んでほしかった」
つい白状してしまう。
三枚の布を受け取ったとき、本当は自分で選ぼうとした。
けれど、エーリヒが布一枚選ぶのにどれだけ時間をかけたのか、勉強漬けのドレスなんて知らないだろう彼がどうしてそれを選んだのか、すっかり知りたくなった。どんな布でもそれがいいと思ってやまなかった。
「雪と星の意匠を織り込んで作る。新しい領主の花嫁のものと張り切っているそうだ」
「間に合ったのかい?」
「いや、お前の好みをドミニクと伯爵から聞いた。後から来たビビアンの希望に見事に沿っていて笑ってしまったくらいだ」
やっぱり彼は双子の一番の理解者だ。
エーリヒが微笑む。また心臓が早くなる。
この近距離では逃げることも叶わない。というか逃げたいのか、ビビアンはだんだん正常な判断ができなくなってくる。
「エーリヒ、あの」
近すぎるから離れてほしいと言いかけて、それでいて離れてしまうのはもったいないような気もしてくる。
困り切って眉を下げれば、エーリヒがにやりと笑う。
あれ、と思う間もなくエーリヒの顔が近づく。捕らえられたのと逆側のほほに何かが当てられる。
ゆっくりと指がほほをなぞって、離れた。
へたり、とソファーに沈み込む。くつくつと笑う声にまた顔の熱が上がる。
「散々困らせてくれた礼だ。黙って受け取れ」
両頬を抑えてビビアンは声も出ない。
エーリヒは結婚式の準備の進み具合を教えてくれた。ドミニクの分もだ。
日程の関係で領民へのお披露目は年を改めてすることになったと告げる。お祭りは二回になり、シュマルブルクでは嬉しいけれど辛いと悲鳴があがっているらしい。片方にすればいいと提案したが商会はこの機を逃すまいと突っぱねたそうだ。
「それで、デートはしてくれるかい?」
「喜んで」
午後には二人でデートをした。
エーリヒの誕生日に、と前々から文房具を大学でリサーチしていたのだ。書きやすいと評判のガラスペンの店に連れていき、どれがいいか選んでもらおうとしたけれど、逆にお前の悩む時間をよこせと尊大に言い放たれた。
どことなくエーリヒが嬉そうなのが透けて見えて、ビビアンは張り切った。
店中を見て回り、夜明け色のペンを贈る。そろいのシリーズらしい夜空のものを自分用に買った。
カフェで一息つくと今朝からの目まぐるしい話が頭の中にしみ込んでくる。
「わたし、君のお嫁さんになるんだな」
「早くしろと言ったのは誰だ」
「ようやく実感が沸いたと言うか……。なあ、エーリヒ。愛していると囁いて」
「愛しているとも、このひとたらし」
くつくつと笑うエーリヒに、ビビアンは満面の笑みを返す。
他人の恋愛指南も助手仕事も男女差の調査も契約結婚事情もなかなかに興味深かった。でもいまはエーリヒと一緒にいるほうが楽しい。なにせ新年以来なのだ。いまなら勉強よりも彼の手を取りそうだと浮かれてしまう。
春休みはずっと一緒なのだということを思い出して、さてなにから話そうかと口を開いた。