帝国留学編-冬- 11
次の日、授業が若干眠かったものの意地でノートをきちんと取った。
サナにお茶会をしないかと誘われたものの、手紙を書きたいという思いが強かったので今回は辞退する。理由は簡単にエーリヒとだけ答えておいた。あとは勝手に想像してくれるだろう。
昨夜の手紙は予想通りめちゃくちゃだった。
文字はきれいにかけているけれど、中身はまるで作法にのっとっていない。感情が先行して文法が置き去りになっている。一通り読み終わって、最後のサインを確認するとローガン教授から貰った一筆を入れてそのまま封蠟で閉じた。
父であるフレイベルク伯爵はよく言っていた。
夜の手紙は本音を引き出す、と。昼の手紙は理性で覆い隠してしまうから、夜書いたくらいの方が相手に文章以上のものが伝わるのだと。
子供の頃このアドバイスに基づいて友人に手紙を送ったらひどく恥ずかしがられてしまったけれど、より仲良くなれた。
さて、アラム夫婦にも父のやり方は通じるのだろうか。
エーリヒに渡す2つ目の手紙を準備しながら、ビビアンはすれ違う夫婦に思いを寄せた。
週末はいつも通りローガン教授のタウンハウスへと向かった。男装はしないし数学塔へも行かないけれど、研究雑誌を読むためだ。
ローガン教授は不在だった。
持ち込んだ白紙に、いつものように研究雑誌の面白いところを抜粋していく。
雑誌の合間になにか読もうかと書斎を覗いてみれば、数学の専門誌がずらりと並んでいた。
ときどきジャンルのまるで違うものが固まって置いてある。家主が気になるものを追いかけた結果なのだろう。
ビビアンは一通り背表紙を眺めて諦めた。いつだったか家主の本が偏っているとエーリヒが言っていたのを思い出す。個性的な書斎だった。
昼ごはんをいただいて、また研究雑誌に向かい合う。
ルーシーは書斎で見つけた演劇雑誌を熟読している。ここの家で働く人が増えた分だけ自由になったのだ。
「ビビアン、ビビアンはいるかい? 聞いておくれよ! 大ニュースなんだ!」
没頭していた意識を持ち上げて、ホールにいるローガン教授のところまで歩いていく。
ローガン教授は非常に興奮しているらしく、顔をしわくちゃにして笑っていた。
「どうかいたしましたか、教授?」
「どうかしたかって? したとも! さあ、客間においで。内緒の話をしよう」
ステップを踏みかねないローガン教授の後に続く。
ルーシーはお茶を取りに行った。
ソファーに腰掛け、お茶を飲む。聞く準備は万端だ。
「実はね、きみにまたダミアンをやって欲しいんだ」
「あら、駄目ですよローガン教授。わたしアラム教授とお会いしてしまいましたもの」
「それがアラム君たっての願いなんだよ!」
「なおさら駄目でしょう」
まあ聞いて、とローガン教授は勝手に話し始める。
今日昼のことだったらしい。
ダミアンが来ないことは朝一番に教授たちに伝えて、盛大なブーイングを貰ったし終わりだと思っていたが、アラム教授が突然訪ねてきたのだと言う。
「アラム教授はなんておっしゃいましたの?」
「ダミアンに悪いことをした、格好のことを否定して済まなかった、もしそれが原因なら機嫌を直してできれば是非また働きに来てほしいって!」
「ずいぶん長いこと喋りましたのね」
「僕も驚いたよ! 彼がそんな熱望するのなら、再考の余地はあると思わないかい?」
わくわくとした態度を崩さずにローガン教授がこちらを覗いてくる。
ビビアンは冷静に考える。
言葉通りにとらえるのなら、男装してもかまわないからまた来てほしいという意味だ。裏を読むなら、先日アラム教授の家であったことへの仕返し。
頭の中の天秤を動かす。
ダミアンとして会うには現状リスクが高すぎる。
「ええ、再考の余地だけはありますわ。時間をくださいな」
「明日にでも来れないのかい?」
「こればかりは慎重になりますの。わたしの故郷の、王国の名がかかっておりますもの」
「いつまでに返事ができる?」
「来週には」
最もその頃には春休みの直前だ。ろくに働けやしないだろう。
答えに満足したのかローガン教授は頷いて手を取る。
「君を待っている人は多い。いっそ本当に男の子だったらよかったのに」
「もしそうでしたら今頃は伯爵になるべく勉強しながら刺繍針を持っていますわ」
「ふふふ、そうだね、君はそういう子かも知れない」
次の日は期末のテストに向けて教材を運び込んだ。テスト範囲と被る論文を写すためである。関係あるところを写し取っては満足して帰った。
寮母に手紙を二通貰ったのはそんな時だ。
片方はアデレードからの手紙。もう片方は、待ち望んだエーリヒからの手紙。
どちらから読もうか迷って、アデレードの手紙を開く。今週中、できれば明後日に招待したいという旨だったのですぐに返事を書く。ルーシーに速達をだすよう頼んだから、予定通りお邪魔することになるだろう。
もう1通、エーリヒからの手紙をどきどきしながら開く。
結婚式の準備が滞りなく進んでいることと、帝都に行けなくて済まないと言う謝罪。それから学期の終わりに仕事ついで迎えに来る予定。エーリヒからも直接伝えたいことがあるという。
雪と星のモチーフについては一言も書かれていなくて少しだけがっかりする。
結婚式の日付が決まったことは大きかった。
これでサナやマリーイヴ、ロペを正式に招待できる。3人には翌日すぐに打診した。サナやマリーイヴは大喜びで、ロペは驚いて聞き返してきた。
「とうとう日付が決まったのね! ねえ、ピアノを弾いたら駄目かしら?」
「駄目よサナ、私たち招待客なんだもの。ねえ、シュマルブルクってどんなところ? フレイベルクは?」
「本当に僕なんかが行ってもいいのかい? 迷惑になったりしない? 君の弟さんなんて面識が全くないよ?」
「ピアノはごめんなさいね、サナ。シュマルブルクについてはこれから勉強するのよマリーイヴ。フレイベルクはここより涼しいわ。タルタス。弟は私の友人たちがどんな人なのか知りたがっていて、祝福してくれるのならば喜ぶに決まっているわ」
それから持ち込んだ地図で帝都とシュマルブルク、フレイベルクを指でなぞる。
国境の山脈の切れ目を通ってシュマルブルクに向かい、そこからフレイベルクを目指す。フレイベルクで数日滞在して、船で帝都に帰る。小さな町に泊まりながらの旅行になるから、日程や財政的に無理なら遠慮せず断ってと伝えると3人とも首を振った。
外国の結婚式に出るチャンスなんて滅多にないと目を輝かせている。
ビビアンはなんだか嬉しくなってくる。
ビビアンはエーリヒの隣に立つ自分を想像した。衣装も背景もうまく想像できないけれど、幸せな気分になる。二人並んでみんなに祝われる、それだけでビビアンはたぶん世界一幸せな花嫁になれるのだ。
この発見をエーリヒに早く聞いてほしかった。
アデレードからの招待を受けて、今度は制服ではなく王国から持ってきたドレスでお邪魔する。帝国での流行りとは違うだろうけれど、ちょっとした異文化交流のつもりだ。
緑色のドレスは故郷の常緑樹のようでビビアンは好きだった。
前回と同じように家令に案内されて食堂に向かえば、アデレードが立って迎えてくれた。チョコレートブラウンのドレスは落ち着いていて、金の髪がさらに映えて見える。
「急な招待で申し訳ないわ。来てくださってありがとう」
「いいえ、アデレード様。またお話しできる機会ができて嬉しく思っております」
夕食を食べながら和やかに話す。
話題はビビアンのドレス姿から、婚約者を探すときの流儀に夜会や舞踏会での暗黙のルールにまで及んだ。ときおりアデレードが真似をしてみて、出来栄えに口をはさむ。
人心地が付く頃に、思い出したふりをしてビビアンは口を開く。
「そういえば、旦那様へのお手紙は書けました?」
アデレードが目に見えて狼狽する。
この人は演劇面では素晴らしいのに、役を降りると随分と可愛らしいようだ。
なにかはあったのだろう。少なくともアラム教授が男装に寛容になるくらいのなにかは。
「ええ、その。5枚書いて渡しましたわ。夫もきちんと5枚以上書いてくださいましたし」
「それは良かった。5枚以上も書けるなんて、お二人は仲がよろしいのですね」
にこにこと手を合わせて続きを促す。
アデレードはしばらく目線をさまよわせた後、大きく息を吐いた。
「ビビアン様。正直に言いましょう。私は夫のことをなにも知りませんでした」
「王国ではよくある話ですけれど……契約でしたら、ご存知なことも多いのでは?」
「互いの仕事に踏み込まない、という契約だったのです。それがまさか、その。夫から興味を持たれているとは知らず」
「まあ、愛されておりましたのね」
アデレードが大げさに手を振って否定しようとして、止める。そのまま顔を覆ってしまった。
ビビアンとしてはやっぱりな、という感想しかでてこない。
相手は男装の助手だと知りながらアデレードが楽しそうに話す姿に嫉妬した人だ。言葉が足りなかっただけだろう。
「私自身も、手紙を書いてみて夫のことを知りたかったことに気付いて」
「あら、両思いでしたのね」
必死に否定しようと手が動いて、結局おろす。
こちらは正直半々だと読んでいた。
すげなくされて傷つく瞳。アラム教授と対等に話す男装の助手を羨ましそうに見つめる姿。誰でもいいから誰かに愛してほしかったのか、アラム教授に愛してほしいのか。
結果としてはアラム教授の都合いい方へと転がった訳だ。
「羨ましいですわ。わたしなかなか婚約者と会えなくて」
「ビビアン様には婚約者がいらっしゃるのですか」
「ええ。王国では身内の男性が立ち会わないと婚約者とも会えませんの。結婚式が夏ですから待ち遠しくて」
「羨ましい」
「え?」
「私たちは結婚式をしなかったものですから」
目を伏せた仕草はまるで人形のようで、後悔の色がにじんで見える。美しい人は沈んでいても美しいのだな、と場違いに感心してしまう。
「ではやりましょう、結婚式」
「今更結婚式なんて」
「わたしの婚約者が常々言いますの。結婚式は女のためのものだから、と。だったらアデレード様が結婚式をやらない理由はありませんわ」
あんまり簡単そうにビビアンがいうものだから、アデレードがぽかんと口を開けて手を添える。
「わたしの国では女性は勉強してはいけませんの。でもわたしは留学生としてここに居ますわ」
ダメ押しでにっこりと笑う。
「ね、不可能なんてないでしょう?」
アデレードは降参とばかりに手を挙げる。その晩は実に楽しい夕食となった。
ビビアンにまたひとり帝国での友人が増えたのだ。