帝国留学編-冬- 8
主演というだけあって、アデレード・アラムの楽屋には一人用だった。
支配人は去っていき、向かい合うアラム教授とアデレードの間に会話はない。ビビアンがアラム教授の後ろからきょろきょろとしているだけだ。
冬だと言うのにどこから集めてきたのか色とりどりの花々。箱いっぱいの手紙の山。プレゼントの数々。すべて今日一日に贈られたもののようだった。ビビアンはあまりの鮮やかさに目がくらむ。
周りに負けない華やかさを誇っているのがアデレードその人だった。金糸を紡いだような金髪が眩しい。
アデレードは中性的というよりは女性的な美しさを持った人だった。
舞台の上ではすっかり綺麗な男性型の人形に見えていたものだから意外過ぎて言葉も出ない。
「珍しいこと、ウィルフリード。チケットを使ったの」
「頼まれた」
「そう」
ようやく口を開いた夫婦の会話はそれだけだった。
アデレードの青い瞳に落胆の色が見えて、ビビアンは少し不思議に思う。
冷めた口調で話しかけたのはアデレードなのに、アラム教授の答えにまるで傷ついたように見える。
「数学塔の助手だ。お前の劇を見せたいとローガン教授に押し付けられた」
「責任者の方? それじゃ断れないわね」
「動かないせいで支配人に捕まった」
まるでビビアンが悪いと言わんばかりの、というか本気で悪いと思っているのだろう。
アラム教授は横に避けてビビアンをアデレードと向かい合わせる。思わず隠れるところを探してしまう。なにせダミアンでは砕けた言葉遣いしかできない。
「よく回る口はどうした助手」
「口が悪くて喋れないんだ」
「気にしなくていいわよ、初めまして可愛い助手さん」
「可愛いとか見た目のこと言うのやめてくれないか」
とっさに数学塔での対応をとってしまう。
アデレードはちょっと目を丸くした後、ごめんなさいねとにっこり笑った。
そこだけ陽に当たったみたいに綺麗だったので、ほほを膨らめて見せたビビアンもすぐに元通りになってしまう。
それからアデレードの目の前まで歩いていく。
「あなたの時間を貰っても?」
「ええ、少しなら」
「お芝居、初めて見たんだ。ローガン教授に勧められて、アラム教授に迷惑をかけた。でもいま全然後悔していない。あなたが舞台で座っていたとき自分からはただの人間にしか見えなかった。けど目を開けたときに人形に魂が入ったのだと信じてしまったよ。始めは人間になったのかと思った。でも動き方が全然違う。他の人は人間だけど、あなたはいつも人形の動きをしていた。どこかぎこちないんだ。それに気付いた時、アデレード・アラムの囁きの人形を見ないのは損だと言われた意味が理解できた」
そこからのビビアンはもうひたすらにアデレードを褒めちぎった。エーリヒがひとたらしだと言う口を回る限り回して賞賛しつくす。
ビビアンの中にはまだ先ほどの舞台の余韻が残っている。こんな状態で渦中の本人と出会ったのだ。褒めちぎらない方が無理だろうとビビアンは信じている。
始めは戸惑っていたアデレードもこちらの話を聞くにつれて温かな視線をくれた。時折解説を交えて会話が弾む。
違和感を感じたのは彼女が微笑んだ時だ。
ちり、と首筋に強烈な視線を感じる。それもよくないものだ。
会話を楽しみながらも、楽屋に備え付けられた鏡を横目で見る。アラム教授が落ちくぼんだ瞳でビビアンをにらみつけていた。
この目は知っている。王国で婚約者を探していたときに時折見た。好きな相手との邪魔をする人間に向ける目だ。嫉妬の瞳とは、こういうものだったはずである。
その癖会話には一切参加しない。
「一方的に話してすまない。それから、口調が丁寧でないのもまとまっていないのも。つい興奮してしまったんだ」
「いいえ、すごい熱量の感想でびっくりしちゃったけれど嬉しかったわ」
「もういいのか、助手」
「ああ。教授にもすまなかった。奥さんと話したいこともあっただろう」
「特にない」
では先ほどまでの瞳はなんだったのか。
アデレードの瞳がまた憂鬱な色に染まる。
「失礼するよ、今日はありがとう」
「こちらこそ、観てくれてありがとう。ひとついいかしら?」
「自分にできることならなんでも」
「あなたどうしてそんな格好しているの?」
夫婦で同じことを聞く。
でもアデレードのこの質問は楽屋に案内されているときから予想していた。演劇をして、他者になりきることを生業とし、そこのトップをつとめる人だ。その上男装の麗人でもある。聞かれない方がおかしいだろう。
だからビビアンの答えもひとつ。
「一張羅なんだ。こんなところに着ていく服なんて他にない」
アデレードはそれ以上聞かなかった。
ただ、ほんの少し眩しそうにビビアンを見つめる。その仕草も王国でたくさん見てきた。婚約者の決まったものを見送る目。羨ましいと書かれた瞳。
この夫婦は一体どんな関係なんだろう。
非常に気にかかったものの、楽屋を退出しアラム教授にも礼を言って劇場で別れた。
お芝居の余韻は寮に帰っても続いていた。
惜しむらくはこれを誰とも共有できないことだ。
ローガン教授は討論しようと言っていた。それはそれで楽しそうだけれど、純粋に素晴らしさを共感したい。
サナやマリーイヴ、ロペと話したらどうやってチケットを取ったのか聞かれるだろう。最悪、どこの席から見ていたかもばれるかもしれない。ビビアンが思うに、あの席はアデレードが一番きれいに見える席だったろうから。
エーリヒに手紙を書こう。芸術に関してならドミニクの方が乗ってくれるかもしれないけれど、伝えたいことがあるのだ。謝罪やら報告やらは後回しにして書きたいところから綴っていく。
「お嬢様、エーリヒ様に断罪される覚悟は決まったのですか」
「手紙に書けないから直接会いたいって書いとく。それより結婚式の要望がみつかったんだ」
「ようやくですか。いまからじゃ間に合いませんよ」
「いいんだ。伝えることに意義がある」
結婚式に、雪か星のモチーフを入れたい。
そんな風に思ったのは、今日見た劇の影響だった。人形が目を覚ます直前に上から振ってくるものを見て、思い出したのだ。
フレイベルクの雪。
雪は厄介で面倒ごとばかりだから領民には人気がないけど、ビビアンは空から降ってくる雪の結晶が大好きだった。よく捕まえて遊んだものだ。ドミニクが飽きるまで外にいた。
それから星。
子供のころから夜の空が一番きれいで好きだ。寒いからと窓から見上げるだけだったけれど星の本はたくさん読んだ。
こうして書いてみるといままでなんで思いつかなかったのかさっぱり分からない。
手紙にはいま秘密にしていることがあるから早く話したいことと、結婚式のこと、それから劇を見に行った感想を書いた。中身には触れないように、それでも帝国文化が面白いのでお勧めがあったら教えてほしいとおねだりをしておく。
「しかし今日の芝居はすごかったよ、いいものを見た」
「アデレード・アラム様の囁きの人形ですよね。初見でそれとは今後のハードルが高くなりますよ」
「いいんだ。本人にも感想を伝えられた。今日は素晴らしい日だな」
「本人に? 感想を?」
お茶を注いでいたルーシーの動きが止まる。
慌ててポットを取り上げると、鬼気迫る勢いで肩をつかまれた。
「お嬢様。耳がおかしくなったのでなければ、アデレード・アラム様に会って話したと聞こえたのですが」
「ルーシー、どうしたんだい?」
「お嬢様。どうなんですか」
「アラム教授の奥方なんだ。その縁で会って話したよ」
肩をつかむ手がだんだんと力が入ってくる。
痛いと言えば剥がしてくれて、目を瞑ってしまった。
そのまま黙り込むルーシーにビビアンはどうしていいか分からなくなる。とりあえずポットを置いて、お茶を飲む。こんな時でもルーシーの入れてくれたお茶は美味しい。
「お嬢様。あなたを心底羨ましいと思ったのは今日が初めてです」
「ルーシーは、アデレード・アラムのファンなの?」
「アラム様、です。ええ、姿絵も持っております。小金を貯めてはチケットの争奪にいそしんでおりました」
「ときおり不規則に休みを貰っていたのは」
「アラム様のためです」
ひどく真面目に答える従者の新しい一面を見て、ビビアンは驚いてしまう。まさかこんなに近くに彼女のファンがいたとは。
それと同時に腑に落ちることがある。
ビビアンが男装してもルーシーは特に驚かなかった。多分、アデレードが男装の麗人だということと浅くない関係があるだろう。
「すごく素敵な人だったよ。ところで囁きの人形について質問いいかな?」
「当然ですとも。囁きの人形のチケットの入手しにくさについてですか?」
「いや慣用句のほうなんだ。囁きの人形みたい、とはどういった意味なんだい?」
「ああ。周りのためになる人、いなくなるには惜しい人なんて意味で使われますね」
ビビアンは小首をかしげる。先の言い分は分かる。人形は人のためによく尽くした。周りのためになるといってもいいだろう。
もうひとつ、いなくなるには惜しいとはどういった意味なんだろう。
ビビアンの疑問をくみ取ったのか、ルーシーが解説してくれる。
「囁きの人形は絵本にもありまして、そちらでは嘘を囁いてくれと頼まれるのです。そうして嘘つきな人形を壊してしまった後で、本当は人間が悪かったことを町の人が知り惜しいことをした、と嘆いて終わります」
「後味が悪いね」
「もとはこちらの話を劇作家の方が改変したと聞いております」
なるほど、壊してしまった後で惜しかっただからいなくなるには惜しい人。
ビビアンは納得すると同時に数学塔での自分の呼ばれ方だと言うことも思い出す。成程、悪くない評価だ。
サナ、マリーイヴ、ロペの態度も思い出す。確かにこれをあらすじを言わないで意味だけ答えるのは難しい。
聞いてみれば、ルーシーもアデレードの囁きの人形を観たそうだ。
エーリヒ宛の手紙を書きあげてからは、眠るまでずっとルーシーといかにアデレードが素晴らしいかを話し合った。紙にがりがりと書きつけながら話すとまた新たな視点が見えてきて面白い。
本だけでは帝国の文化は分からない。時間がいくらあっても足りないと痛感した。
若干眠い目をこすりながら次の日の授業に出る。
午前の授業をなんとか乗り切ったビビアンは、昼食後に先生に呼ばれて学園長室へ連れていかれる。男装の件がばれたのかとぱっちり目が覚めてドキドキしながら向かうと、学園長は温かく迎えてくれた。
曰く、アデレード・アラムが王国令嬢に文化面で聞きたいことがあるから紹介してほしいと。文化交流として望ましいのでぜひ応えてくれないかと学園長は良い話だろうと目を輝かせて言った。
学園長にまったく悪気は感じられないものの、心が冷える。
これは偶然なのだろうか。それとも、どこかからばれたのだろうか。
断る理由も見つからず、ばれたのならば口封じをしなければならないだろうから表面上は笑顔でもちろん、と答えておいた。