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 どうにも調子がよろしくない。きっかけは先日のドミニクの爆弾発言からだ。エーリヒは気付いているのか。気付いているならなぜ放っておくのか。彼も伯爵家の長男だ。女性と二人きりでは外聞が悪い。ドミニクは何がしたいのか。ドミニクに釣り合う令嬢がいるだろうか。いろいろなことが駆け巡りおさまりがよくない。


 せめて賭けに勝ったときのために、とお茶会でそれとなくドミニクの評判を探れば、見てくれは上々、付き合いの悪さに難あり、なにより若すぎると散々な結果だった。伯爵家の長男であるというポイントは大きいものの、あと15年ほど早く生まれてくれたらなあという結論に行き詰まる。賭けの有効期限は15年後まで有効だろうか。ビビアンは遠い目をした。


「今日はおまえやけに唸るな」

「え? ああ、ごめんごめん」

「行き詰ったのか」


 そのとおり、ただし本のせいではないけれど。珍しくエーリヒがこちらを振り返った。迷惑そうな顔を隠しもしないで、こちらの読んでいる書名を眺める。


「……大学教授のエッセイじゃないか」

「いや、見合いのことで少々」

「何年先の心配だ。馬鹿じゃないのか」


 内心でやっぱりなあと胸をなでおろす。エーリヒがここにいるのをビビアンだと思っているのならそんな発言は出てこない。弟の婚約者を探す方針を再確認する。


「そういえば双子の片割れはもうそんな歳か」

「同い年だって。双子だからね」

「あれの引き取り手はやはりいないのか」


 やはりってなんだ、やはりって。ビビアンは幼少期の己の行動を振り返る。特に変わったことをした覚えはないし、弟といつも一緒だったから妙な事があるのならドミニクだって同罪だろう。


「まだデビューしたばかりだよ」

「しかしあれだろう、あの何でもかんでも興味を示すというか首をつっこみたがる性質はどうせ変わっていないのだろう」

「あながち外れてはいないね」

「どうせそんなだろうとは思った。この国ではそんな女は嫌われるだろうな」


 ぐさりとビビアンの見合いの最も厳しい点を突かれた。女は賢くなるな、知識をつけるな。今はまだ距離をとって見定める段階だからいいけれども、いざとなったらボロがでるかもしれない。勉強好きな令嬢なんてお断りだといざとなって破談になる、そんな懸念は常にある。


「どの国ならいいんだろうねー」


 なかば投げやりになって本を閉じる。天井の模様を視線でなぞりながら、呟いた。


「相変わらずべったりな……。いや、そうだな。隣のルドシャーク帝国なら歓迎されるのだろうな」

「外国?」

「ああ。あちらは女性の社会進出が目覚ましい」


 ルドシャーク帝国。声に出さずに繰り返す。王国の南側、エーリヒの父の領土を越えた向こうの国だ。華やかな文化は王国でもあこがれの的で、帝国からの輸入品といえば飛ぶように売れる。実際彼の父もその父も交易で財を成したはずだ。

 そしてエーリヒの留学先でもある。


「令嬢が勉強したりでもするの?」

「当たり前だろう」

「ええー?」

「俺からすればこちらの国の方がよっぽどおかしい。女だと侮って教育をおろそかにした結果、発展が遅れているのに気付かない。個々で着眼点も思考も違うのだから純粋に教養人が増えた方が国力の増大につながるだろうに」


 ほう、素直に感心が漏れた。それ以上に長々としゃべるエーリヒが物珍しくて聞き入ってしまう。現状の貴族社会の無駄だとか、取り入れるべきシステム、例えば実力主義の飛び級や昇進など帝国の考え方の一部をメモを重ねながら聞き入る。帝国内での問題点や取り入れる際の難点などまで話が広がってゆく。


「つまり現状のプライド優先のシステムでは優秀な人材の捕獲にロスを生じてだな」

「それなら中流階級や貴族令嬢の教育に新たな機関が必要になるんじゃないかなー」

「そう、そこで新たに学校を、となんの話をしていたんだったか」


 エーリヒがこほん、と咳をする。いままで考えたことのなかった話をいくつも畳みかけられて、ビビアンも正直混乱していたので思ったことをそのまま言う。


「この国は狭いって話じゃない」

「そう、だな」

「エーリヒは大学を出たらまた外国へ?」

「父の仕事の手伝いで行くこともあるだろう。なんだ、今日はやけにしゃべるな」

「お互い様だよ」


 ルドシャーク帝国の本をいくつか選んでもらって借りた。帝国では知識のある女性でも嫌われないのなら国境を越える花嫁になってもいいかもしれない。あまりドミニクから離れたくなかったけれど、それもひとつの生き方だろう。今日はいいことを聞いた。


「それじゃあ、またね」

「書簡を頼むぞ、ドミニク」


 ひらりと手を振る。ドミニクと呼ばれて一度も返事をしたことがないことをエーリヒは気付いているだろうか。なんともなしに気になったものの、賭けの手前聞くこともできず後ろ髪をひかれながら彼の部屋をでた。





 馬車の中から王都を眺める。エーリヒの部屋で聞かされた外国や社会の階層の話などを思い出す。教育が行き届けば、この中からも優秀な人材が見つかる可能性がある。それはなんて壮大な話だろうか。

 ふと視界のすみにおびえた顔が映った。


「止めて」

「坊ちゃま、いかがいたしました?」

「市場を少し歩きたい。先の橋の向こうの広場で待っていてくれ」


 言うが早いか、馬車から飛び降りる。こういうときズボンは便利だ。すそを踏む心配がない。昼前の人ごみをかき分けて、路地の傍へと向かう。ひとりの少女が2人の男に囲まれて縮こまっている。あれは、よろしくない。

 少女はクリーム色のワンピースに同じ色のつばの広い帽子をかぶっている。遠目に見ても生地がいい。いいところのお嬢さんなのだろう。対する男たちは赤ら顔で、一目で見て酔っぱらいだとわかる。


「失礼、お待たせしましたお嬢さん」

「ああ?」

「誰だテメェおれを誰だと思ってやがる」

「申し訳ない、連れとはぐれていまして。保護していただいてありがとうございます」


 にっこりと笑って見せれば、男たちはたじろいだ。ビビアンのとびきりの笑顔は男装でも一瞬魅了できるようだ。反面、奥の少女はどんどん縮こまってゆく。小動物のようで愛らしいな、と場違いにビビアンは感心した。


「さ、こちらへ」


 少女の手を取って、男たちと壁の間から引っ張り出す。


「馬車を待たせております。手を放さないでくださいね」

「オイ待て、その嬢ちゃん置いてけよ!」

「こっちが先に見つけたんだぜ」


 正気に戻った男たちがやいやいと口を出してくる。なんだか面倒になったビビアンはポケットから硬貨を取り出して渡す。


「お嬢さんを保護していただいたお礼です。こちらでビールでも飲んでください」

「ハァ!?」

「ちょ」

「では」


 少女に走るよ、と耳打ちしてから走り出す。少し遅れたものの少女も理解したのか走り出す。市場の人ごみをあちこちジグザグと公共馬車乗り場まで一気に駆け抜けた。もう男たちの声はしない。走り回るうちに面倒になってビールに足を止めたのだろう。

 少女の手を放し、帽子で頭をあおぐ。ドレスよりは動きやすいといえ、真昼の人ごみで走り回るのは暑かった。すい、と横から手が伸びて、額に何か当てられた。そっと受け取れば、それは麻のハンカチだった。


「お嬢さん?」

「あ、あの。汗が、でていたものですから」


 声がだんだんと消え入りそうになる。自分だって息が切れているだろうに、優しいことだ。ありがたくお借りすれば、ハンカチの隅には一所懸命さのつたわる名前の刺繍が入っていた。薔薇色の糸でパティと綴られている。PとYのバランスは難しかったのだろう。ステッチもところどころ斜めで、ドミニクの刺繍に比べたら子供の手習いのようだった。

 少女もそれに気が付いたのか、顔を真っ赤にしている。


「ありがとうございます、お嬢さん」

「い、いえ。見苦しい刺繍まで見せて……すみません」

「いや、とても頑張って刺されたのでしょう。見苦しいなんて言ってはいけませんよ」


 少女はますます俯いてしまう。あまりこの話題は広げない方がいいだろう。それに、家の馬車を待たせている。


「失礼ですが帰りの馬車代はありますか?」

「ひゃ、ひゃい」

「それではここから帰るといいでしょう。昼の市場とはいえ、裏に入ると危ないですからね。これからは気を付けて」

「はい……」

「よろしい。では、自分はここで失礼します」


 不安は残るものの、ここなら良識的な人の目が多いから大丈夫だろう。待たせた馬車へと向かい市場を突っ切る。

 それにしても。ビビアンはひとつため息をつく。今日は半日しかたってないというのに随分いろいろあった気がする。


「ドミニクへの土産話が増えたな」


 根がのんきなのはビビアンのひとつの長所だ。隣国ではビビアンのような花嫁が許されるというのなら、弟の婚約者候補もそのうち見つかるだろうと根拠もなく自信がわいてきた。

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