帝国留学編-冬- 6
アラム教授がビビアンの秘密に気づいているらしいことをすぐにローガン教授に伝えた。
ローガン教授は名目上ビビアンを教えていることになっている。ビビアンが働くときの数学塔にいる確率は半々くらいだ。今日はタウンハウスの方にいたので人払いが不要で助かった。さっさと問題点に入る。
「アラム教授に男装の件が知られたようだよ、ローガン教授。ダミアンはここまでだ」
これに慌てたのはローガン教授だ。どうにも彼はビビアンを引き留めたいらしい。数学塔のアラム教授以外の教授の総意だ辞めないでくれと懇願する。
何があったのかビビアンと向かい合う。ルーシーが入れてくれたお茶は温かく、喋りだすのに一役買ってくれた。
「自分の格好がおかしいと言われてね」
「君の格好? 確かにかっちりし過ぎているかもしれないがそんなこと言われたくらいで辞めないでくれよ」
「他の助手は違う服を着ている、と。いま数学塔の助手は女性ばかりなんだろう? あれは暗に女性らしい格好をしろと責める目をしていたよ」
「いや、うーん。ちょっと待ってくれ。アラム君が何をもって君に女の子の服を勧めたのかなんて分からないんだろう?だったら決めつけるのは早い。彼の口からきいたのでなければ、ばれたとは言い難い。契約は続行だ」
身を乗り出して早口になりながらローガン教授が引き留める。ここで投げ出されては元通りになってしまいかねない。そんな不安をローガン教授は醸し出していた。
ビビアンとしても迷うところではある。
仮にビビアンの男装がばれていなかったとしよう。アラム教授は相当ダミアンという助手の存在を嫌っていることになる。ビビアンの男装がばれているのだとしたら。アラム教授はどうするのだろう。
「アラム教授はお喋りかな?」
「いや、彼は寡黙でね。僕ともあまり話してくれない」
「彼が誰かに喋る可能性は?」
「無理無理、考えられない。話すとしたらまっさきに僕のところへくると思うよ。数学塔の教授たちは互いにライバル同士だし、ダミアンは極めて評判がいい。他の教授へ打ち明けるとは考えられないね」
「ご家族には」
「内緒だけどね、あまりうまくいってないようだよ」
ふむ。とビビアンは考え込む。
来週までに、続けるか辞めるかの答えを出しておかなければならない。
天秤に乗せられるのは故郷と婚約者と実家の名誉。もう片側にはビビアンの生きがいである勉強。こうしてみると辞めた方が身のためだとはっきりわかるのに、どうしてか選べない。
アラム教授の考えが不確定だからだ。
ビビアンはもう一度アラム教授と話す必要がある。
男装に気付いているのならローガン教授に罪をかぶせて辞めればいいし、気付いていないのなら極力避ければいい。
選んだ答えは保留。もっとも無難で逃げの選択である。
サナ、マリーイヴ、ロペと話す定例のお茶会では、主に友人たちから集めた話をする。
今日はどの話にしようかといくつか例を挙げてみて、一番気になったというエピソードを披露する。実際に手紙を片手に斜め読みしながら旦那様と出会った経緯について話を進めていく。
今日の話は裕福な男爵令嬢が伯爵家に嫁いだ話だ。
なんでも先代伯爵が派手にお金を使ったらしく、その穴埋めにと男爵令嬢は多額の持参金を背負って嫁に出された。先方にはすでに好きな方がいて、令嬢は邪魔者で持参金だけ愛されていると思い込んでいた。恨めしく思いたかったものの、伯爵は人が良く令嬢の面倒をよく見た。暮らしぶりが悪くないか、食事会やお茶会で冷遇されていないかとせっせと尽くしてくれたそうだ。
そうしてとうとう彼に恋をしてしまったらしい。
「なにその伯爵、甲斐性があるのかないのかはっきりしなさいよ!」
「サナ。ここからがいいところよ。令嬢はどうするのかしら」
「恋をしたまま意中でない人と結婚すると、そんな気苦労があるんだね」
3人は良い聞き役で、話の最中に好き勝手感想を言い合っている。
ロペだけはきちんと恋愛指南として受け取っていた。
令嬢は恋は実らなくても夫婦であることに違いはないと己を慰めて、献身的に伯爵に、伯爵領地に尽くした。互いに尽くしているものの片思いという関係は辛かったが、ここで一つ伯爵の誤算が入る。令嬢に言い寄る男がでてきたのだ。必死に追い払ったところで、令嬢が疑問をぶつける。
「私の持参金だけが目当てではなかったのですか、と」
「そうよね、そういう話だったもの。よく言ったわ」
「それから? 伯爵はなんと答えたの?」
「結婚しても言い寄る男がいるのかい? その可能性は考えてなかった……」
伯爵は持参金目当ての結婚だったことを認めるも、令嬢を奪われることは我慢ならなかったと白状する。令嬢は心をくれないのなら自由にさせてくれと自嘲気味に答えると、心もすでに君のものだと返された。領地に尽くす令嬢を見て、好きだった方とは縁を切っていたらしい。
今は幸せだと綴られている。
「はあ……素敵。小説そのままの世界だわ」
「まあこの子結構大袈裟ですからね、誇張して書いてあると思いますわ」
「いいのよビビアン。こっちはそれで楽しんでるんだから」
「うん、やっぱり僕は恋愛結婚がいいな。今度帰省したらうちの財政状況聞いとかないと」
今日の恋愛話はこれでおしまい。後は感想を言い合って雑談に移る。
ロペはだんだんと現実味を帯びた考え方をし始めてきていて、この会を開いた甲斐がある。サナとマリーイヴにはいい刺激らしくロペに冷たく当たることも減ってきた。
「そうだ、先日変わった言い回しを聞いたのですけど帝国独特のものかしら」
「あら、どんな?」
「囁きの人形みたい、という言い回しですわ。お恥ずかしいことに初めて聞きまして……」
「ああ、それならお芝居の」
「まってタルタス!」
マリーイヴが鋭い声をかける。
それから、ビビアンにお茶を取りに行くよう告げると3人で話し合い始める。遠目に見ながらなぜマリーイヴがそんなことをしたのか考える。なにか悪い意味なのだろうか。教授のしゃべり方ではそんな感じはしなかったのだけれど。
席に戻ると3人は互いを見て、マリーイヴが代表でビビアンの質問に答えた。
「囁きの人形みたい、という言葉を伝えるには、お芝居のあらすじの肝心な部分を語る必要があるわ」
「どんなお芝居ですの?」
「それを聞かないで。帝国でも人気のお芝居なの。あらすじだけ聞くなんてもったないにもほどがあるったら!」
「僕も二人に言われて気付いたのだけどね、あれは確かに何も知らず見た方がいい」
3人とも口には出さないけれど、喋りたくてたまらないと瞳が輝いている。
なるほど、数学塔の変人もとい教授たちが知っているわけだ。ここ帝国では定番の芝居だったとは。
留学中に芸術方面にももう少し詳しくなっておくべきかと今後の社交界での立ち位置を計算する。勉強漬けではご婦人方の望む美の話題は手に入らないだろう。美術館や博物館だとか、演劇や音楽鑑賞だとか、帝国独自の文化を吸収するのも悪くない。
「どちらの劇場でも見られますの?」
「今は帝国劇場で上演中よ。たしかアデレード・アラムが主演なの!」
「アデレードはね、女性なのだけどいつも男性役ででるのよ。それがまた魅力的で、すごい人気。チケットなんて取れないわ」
「へえ、そんな人もいるんだね」
「タルタスは女の子の好きなものの調査を怠りすぎよ。チケット一つでどんな子だってデートに誘えるくらいすごいんだから」
アデレード・アラム。名前を聞いて思い出すのはあの落ちくぼんだ瞳。
アラム教授の奥方は確か主演で演劇に出ているとローガン教授は言っていた。思わぬ名前を聞いて緊張してしまったものの、手の届かない存在だと分かれば安心する。
会話は帝国の芸術の話題に移っていった。
さて、楽しい週末だ。ビビアンは気分を無理やり盛り上げる。
正直逃げたいと思わなくもないけれど、先週のローガン教授は迎えに来そうな勢いだった。
タウンハウスに向かい着替える。今日はローガン教授も大学へ向かうようで、馬車の中で一緒になる。
「同級生に囁きの人形と聞いたら、あらすじも意味も聞いたらだめだと言われてね」
「そうだろうそうだろう。あれは帝国の自慢でもある。きみはまだ見たことがなかったか」
「恥ずかしながら勉学で手いっぱいで。そろそろ文化にも興味がわいてきたところ」
「なるほどねえ。それは嬉しいな、文化交流の意味がある」
ローガン教授は数学塔の変人の中でも自由に生きていて、気になるものはとことん追いかける癖があるそうだ。
囁きの人形の劇は劇団を変えて何度も見たと言う。やはり演者一人とってもずいぶんと雰囲気が変わるらしい。
「そうだ、アラム君に頼んでみよう」
「ローガン教授。アラム教授にはなるべく近づかないようにしたいのだけど」
「避けていても問題はついて回るさ。ならいっそ飛び込めばいい」
「極論すぎる」
ローガン教授はフットワークが軽い。
ビビアンはこの時点で警戒しておくべきだったのだ。
朝の食事を配って、話し相手になりながら教授を見守る。
この頃はノートのまとめが聞いてきたのか愚痴も減ってきた。
部屋が目に見えて片付かなくなってきたものの、こればかりは仕方がない。整理整頓された場所では才能が発揮できない人間もいるのだろう。
助手たちの交換ノートにも他の助手の困っていることやどうしていいか分からないことが書かれていた。掃除の前に目を通せば、土日に来る男の子と比べられるのが嫌と書かれていた。そこには謝罪を書いておく。
他に、休憩する場所がないことなど誰にも言えなかった愚痴にノート越しに賛同が得られていて、こちらもなかなかに鬱憤がたまっていたことを知る。
掃除の順番は先週と同じにした。最後にアラム教授の部屋だ。
相変わらず視線を感じる。
じっと耐えて掃除をしていると、ノックしてすぐにドアが開いた。
「アラム君、アラム君! きみにお願いがあってね、ああちょうどいいダミアンもいる。彼をぜひ囁きの人形の芝居に連れていってほしいんだ。帝国に住んでいるのに一度も見たことがないと言うんだよ、ありえないだろう!」
朝のあれは冗談だとばかり思っていたビビアンは思わず止まる。
アラム教授はゆっくりとローガン教授を見つめ、それから1枚の封筒を取ってきた。
「これが、明日の昼の公演です。どうぞ」
物事がうまくいきすぎるときには絶対に障害が付いてくる。ビビアンの長くない人生で学んだことだ。主に王国の話を聞く会とか。
さて、アラム教授はなにと引き換えにこれを渡してくるのだろう。