帝国留学編-冬- 4
10人ほどいると言われたものの、ローガン教授を覗けば教授は7人しかいなかった。
世話をする人が減ったことに安堵するとともに、自分にそんな大役が務まるのか急に不安になってくる。
助手と役職だけは大層なものの、実際にやることは雑用だ。
朝、ごはんを取っていない人のために食堂に取りに行く。各部屋に入って掃除をする。郵便物と大学図書館から返却要請が来ていないかの確認。消耗品の補充。それから教授たちの雑用と話し相手。昼ごはんの手配を行って、半日の仕事は終わるらしい。
暖炉はどうせ1日中薪をくべているから掃除はいらないそうだ。
幸いにも掃除は学園で、茶の入れ方は実家で学んでいたからビビアンでもなんとかなりそうだ。
「先に言っておく。ものを動かすときには許可を取ってくれないか」
「きみ。掃除なんて簡単でいいから出ていってくれ」
「食事をとったかって? どうだったかな。お腹は減ったかもしれない」
たった半日。初めてだったから予定していたよりも仕事量は少なかった。
反面、わかったことがある。数学塔の教授たちはそろいもそろって変人ぞろいだ。憑りつかれたように数字と記号に向き合い、黒板相手にひたすら文字を連ねている。神経質なのかと思えば大雑把で、一人として普通の大人はいない。
いままで社交界で出会ってきた大人たちとは一線を画していた。
いつか読んだ大学教授のエッセイを思い出す。奇人変人のるつぼ。まともな感性じゃやっていけない。成程その通りである。
だからそうそうにビビアンも化けの皮をはがした。いい子でいたのなら教授たちの愚痴を聞くまでの信頼関係を築けない。
「教授、後ろの本は片づけるよ」
「空気が悪いな。ちょっと窓を開けよう」
「お茶を飲んで。この時期は喉から風邪を引くから」
食事をとっていないものには食堂までサンドイッチを取りに行き、お茶を入れる。なにかするときはひと声をかけてから。掃除をするときは二部屋続きの教授の部屋の、教授のいない方を真剣に。用がなければ話しかけられるまで話さない。仕事が済んだら呼ばれるまではローガン教授の部屋で待機。
次の日は朝から訪れた。帰るころには教授のうち一人は不思議そうな顔をして大真面目に言ってきた。
「あなたは他の助手と違うな」
「女性でない、という意味で? 女の子扱いなんてしたら怒るぞ」
「いや、前に男性もいたけれどここまで楽にはできなかった。なにが違うんだろう」
顎に手を当てた教授はどうにも人がいいらしい。数値で示されたら分かるのに、と本気で残念がっていた。数値にはできないものを探し当てるのがビビアンの役目である。
どうも、と軽く返して研究に帰っていく姿を見送った。
さて、エーリヒにはなんと説明するか。
実家には内緒にしておこうと決めたものの、婚約者に黙ってはいられない。エーリヒに秘密を作りたくない。それとなく誰かが見ても分からないように手紙で伝えたいところだ。
そんな折にすれ違っていた手紙の返事が来た。
内容はやはり商売のことばかり気にするなとのおしかりから始まり、結局のところビビアンが懇願したように単色の織物を三種類用意してくれた。
いずれも平織で、絹織物が2点と綿織物が1点。毛羽立った光沢のあるもの。凹凸のある透けるような生地。それから2つに比べて地味だが、しっかりした生地で模様が織り込まれているもの。
どうやら家族3人でそれぞれ選んでくれたらしい。誰がどれを選んだとは書いていない。
「見てくれルーシー。ウェディングドレス生地の見本なんだが、どれがいいと思う?」
「それはお嬢様が決められることでしょう。さぼってはいけませんよ」
「さぼってなんかいないさ。ただ、君の意見も聞きたいんだ」
「そうですね、悩ましいですが最初のものが魅力的かと」
「ふむ。ありがとう」
ルーシーはフレイベルクの実家にいるころからビビアンが結婚式について悩むのを見てきた。適当な返事をさせまいと話を振るたびにこうして戒めてくる。ビビアンにとっては耳の痛い、それでいて大切な従者である。
ビビアンは手元の紙に3つの生地を張り付ける。
それから1番目の生地の下に一つ丸を付けた。満足げに頷くビビアンに、ルーシーが疑惑の声を上げる。
「お嬢様。まさかと思いますが。まさかであって欲しいのですが。聞いて回るおつもりで?」
「よく分かったね、さすがはルーシーだ」
「エーリヒ様は、貴方の望む生地を選ぶようにと送ってくださったのではないのですか」
「そうだろうね。でも、人の意見も聞いて回りたいんだ。なにせ一生ものだろう?」
「言葉だけ受け取ると大層可愛らしいのが憎たらしいですね」
目を閉じたルーシーはそれ以上なにも言わなかった。
次の日からビビアンは早速女子寮で生地のアンケートを取り始める。同級生から上級生、下級生まで幅広く、結婚式ということを伏せてどれが一番綺麗なドレスになるか聞いて回る。答えを貰った後に理由を聞かれれば、弟の結婚式に着ていくドレスを作るんだと答える。
たいがいはそれで納得してくれた。
たいがいじゃない例外は、例のお茶会の3人だ。
参考までにサナ、マリーイヴ、ロペの意見も聞こうとカフェに生地を持ち込んだ。見せれば他の生徒と同じように、珍しさで食いついてよくよく観察される。3人はそれぞれいいと思ったものに投票してくれて、ビビアンは弟の結婚式に着ていくドレスが決まりそうだと喜んだ。
意外なことにアンケートに疑問をもったのはロペだった。
「ねえフレイベルク。この生地はもっと主役にふさわしい生地に見えるんだけど」
「言われてみれば、すこし派手かも?」
「そう? このくらい主張してもいいんじゃないかしら」
「いや、王国式の結婚式は知らないけれどこれがいい生地だってことくらい分かるよ。主役を張れる生地だ」
珍しく真剣なロペに気圧されて、ついビビアンは正直に話してしまう。自分の結婚式のドレス生地の見本だと。
お茶を一口含んだところで3人の理解が追いついたのか一斉にブーイングが飛ぶ。ここまでひどく反対されるとは思ってもいなくてビビアンは気圧された。
「ビビアン! あなたね、結婚式なのよ!? なんで他人の顔色伺ってるのよ!」
「その通りだわ。自分で決めないとせっかくの好意が無駄になるじゃない。婚約者にもご家族にも失礼よ」
「フレイベルク。僕が言うのもなんだけど、その、考え直さないかい?」
お茶を飲み下し、怒るサナをなだめ、正論で責めるマリーイヴを黙らせ、申し訳なさそうにそれでも芯をもって意見するロペに感謝する。
それから今回のアンケートの真意を内緒と言いくるめて話し始める。
「わたし実は届いた時から生地自体は決めていて。弟の結婚式に着ていくドレスを選んでいたのも本当なんですの」
「じゃあなんでアンケートなんて」
「せっかく商家としても有能なシュマルブルクに嫁ぐなら、アンケートにかこつけて意識調査でもしとこうかと」
「なによそれ」
「女性は大胆なことを考えるなあ」
「タルタス。ビビアンはちょっと規格外だわ」
マリーイヴに言われたロペは、そうかなあ、そうかもしれないと言ったあいまいな表情をしている。相変わらず女性に関する判断が鈍い。
サナもマリーイヴも完全に呆れたといった表情を見せており、ビビアンもしまったなあとのんびり考える。どうにもこの従姉妹同士は結婚式に憧れがあるようだ。
「帝国の結婚式ではどのようなドレスを着ますの?」
「帝都から王国あたりまでは白のドレスを着ているけれど、地域によって違うと聞くわ」
真っ先にくいついたのはマリーイヴだ。
娯楽小説のときから密かに思っていたのだが、どうにもこの少女は恋や愛、結婚といったものに関心があるようだ。自分の、ではなく他人の、というところがマリーイヴらしいのだけれど。
「タルタス様のところではどのような結婚式を?」
「ええと、見たのは小さい頃だからはっきりとは覚えていないのだけれど、なんというか極彩色だよ」
「極彩色のドレスを着るの?」
「違う、ジャベール。刺繍の色がカラフルで極彩色になるんだ。それからドレスじゃあない」
ぽつぽつとロペが故郷の結婚式を語りだす。
女性は結婚式のために布に刺繍を施して、一通りの結婚衣装を作り上げるそうだ。ぎっしりと詰まった刺繍はもとの布の色を隠すかのごとく埋められて、それが子供のころのロペには印象的だったらしい。衣装もメインストリートで見かけるようなウエディングドレスではなく、独特の形をしていると言う。
ドミニクが見たら興奮して止まらないだろうな、というのがビビアンの正直な感想だ。
従姉妹同士の2人はおぼつかなく語られる南部の結婚式に聞き入っていた。
「小説でも読んだことないわ」
「その結婚式って、身内だけでやるの?」
「いや、地域をあげてやるから旅人なんかも歓迎されるよ」
「そういった図は本になっていたりしませんの?」
「どうだろう。ちょっと実家に聞いてみるよ」
今日の話は帝国南部の習慣に終始しそうだ。
手元に白紙がないのが惜しい。耳を傾けて、時に質問して、遠く帝国の果てに想像を膨らませる。
サナやマリーイヴも初めて聞くのだろう。タルタスがこんなに面白い話をすると思わなかったと茶化しながらも真剣に南部の果ての話に聞き入っていた。
お茶会の後は部屋に帰って早速がりがりと帝国最南端のことを書き留めた。
エーリヒにはお礼の手紙と共にどの生地が一番人気があったか報告する手紙を書いた。
どんなところに魅力を感じるのか聞いた限りの情報をのせて、弟の結婚式に着ていくドレスは一番人気のあった透けるような生地で作ってほしいとの要望を出す。できればアイスグレーの君の瞳の色で、と書けば一つ肩の荷が下りた。
ビビアン自身のドレスについては簡単な意見を告げる。
エーリヒが選んだものがいい、と。
エーリヒからの手紙を読んだ時からずっと思っていたのだ。
向こうの両親には申し訳ないけれどビビアンの素直な感想だった。エーリヒの選んだ生地なら一つだって文句はない。それがなぜかまではよく分からないけれど。
「お嬢様は結局自分でお決めにならないのですね」
「ルーシー。わたしは自分のセンスをまったく当てにしていなくてね」
「エーリヒ様も女性のドレス生地なんて専門外でしょう。酷なことをなさる。そのうち愛想をつかされますよ」
ルーシーのストレートな物言いは中々にこたえた。いまは自由の身と言え、エーリヒには面倒ばかりかけている。
エーリヒに愛想をつかされるのは嫌だ。でも自分で選ぶよりもエーリヒに選んでもらった方がずっといいような気がする。
何度か手紙を書き直そうとして、結局なにも直せずにそのままだした。次の手紙で怒られることは必須だろう。覚悟だけはしておく。
そんなやり取りに気を取られて、ビビアンは大学での助手仕事について伝えるのをさっぱり忘れてしまっていた。