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帝国留学編-冬- 3

 友人たちののろけと結婚式の話を片っ端から読んでいき、よさそうなところだけ引き出してエーリヒに提案を兼ねて手紙を書き綴る。思いついたらすぐに出せとはエーリヒの言葉である。

 まだ返事のない前回ではシュマルブルクで商品にしたいドレス生地をいくつか選んで送ってほしいとお願いした。

 これならばビビアンでも選べるだろうし、商売にもなる。採寸は済ましてきたから弟の結婚式に着ていくドレスもその中から選びたいと添えれば完璧だ。

 多少はいい提案ができただろうとエーリヒの答えを心待ちにしていたら、思わぬ時期に手紙が届いた。

 どうやらすれ違ったらしい。


「大学教授からのお願い。前に通っていたお屋敷みたいだよルーシー」

「おや、おもむかれるのですか?」

「エーリヒが断れない相手からだってさ。お前にしか頼めないらしい、ってなんだろうね」

「お嬢様は王国の令嬢ですから。感性が違うのでしょう」


 それはそうかもしれない。詳細は手紙には書けないので、どうか本人から聞いてほしいと珍しくもあのエーリヒが下手に出ている。

 家を借りるくらい親交のある方なのに、どこか関わりたくない、関わらせたくないといった雰囲気を文面から感じ取る。

 さては手ごわい相手なのか。

 気を引き締めて、エーリヒの手紙を添えて出せば返事は素早く帰ってきた。

 すぐ、週末にでも訪ねてほしい。走り書きで書かれた文章は手紙のマナーの最低限を抑えただけの簡素なものだった。


 尋ねる相手はローガンという方だそうだ。なるべく公平にと苦心したらしい文章でエーリヒが紹介していた。

 大学で教授をしていて、責任者になった人。おじさんというよりおじいさんに近い年齢で、エーリヒにとっては恩師のようなものらしい。大学では数学全般を研究し、相手が誰でも物おじしない革新派。

 見慣れた玄関に立ってプロフィールを思い出す。


「申し訳ございません、シュマルブルクの紹介で参ったのですが教授はいらっしゃいますか?」


 出てきた家令に聞いてみれば、すでに客間で待機しているとのこと。

 これまで一度も見たことがなかったのになんとフットワークの軽い方か。

 今日ばかりはルーシーも手伝いには回らず、ビビアンの後ろに控えている。


「よく来たねえ! きみがエーリヒ君の婚約者か!」

「初めまして。ビビアン・フレイベルクと申します。ローガン教授におかれましてはたびたびお部屋をお借りしまして、まずはお礼申し上げます」

「いいのいいの。堅苦しいのは苦手でね」


 額どころか頭のてっぺんまで見事に髪の毛がない。耳の上には白髪が残されており、それがまた妙な愛嬌を醸し出している。小さくてずんぐりむっくり。博士と言われて連想する博士そのものといった姿をしていた。


「僕のプロフィールなんてエーリヒ君から聞いているだろう? よければすぐに本題に入りたいんだ」

「ええ、聞き及んでおります。わたしの紹介は無用で?」

「王国のお嬢さん。それにとっても頭の回転がいい。それで充分さ。本題に入ろう。きみ、男の子の振りができるんだって?」

「いやですわ、どこでそんなご冗談を」


 ビビアンの背筋をつうと冷たいものが伝う。

 なんとか素知らぬふりをしながらカタルセン王国の伯爵令嬢らしさを取り繕う。

 にっこり笑って見せれば、ローガン教授もにっこりと笑う。


「エーリヒ君が吐いたよ。なに、ちょっとその特技を生かしてもらいたいだけさ」


 いつ、どこで。

 幼馴染に問いただしたくなる。笑って一蹴すればばれないと言って抜かしたのは誰だったか。こればかりは流石にエーリヒを恨む。手紙に書けない訳だ。次会ったら文句を言おう。すねを蹴ると痛いらしいので狙ってみてもいいかもしれない。

 笑顔を崩さないまま、なんとか会話を続ける。


「そうですね、男装はしますが特技というほどではありません」

「見破れないのなら役目は充分。大学の助手をして欲しいんだ」

「ローガン教授のですか?」

「いや、研究棟の……何人いたかな、10人くらいいたと思うんだけどその世話係というか」


 これには流石にビビアンの化けの皮もはがれかけた。

 そんな無茶な、と声を荒げたくもなってくる。

 そもそも帝国内での男装は、会う人がほとんどいないことが前提だった。王国内でも特定の人の目に触れ続けるなんてエーリヒ以外いなかった。なにより王国には当時のビビアンにそっくりのドミニクがいたのだ。

 帝国内で同じことをして、ばれない自信なんてほとんどない。


「ローガン教授。わたしは勉強のために故郷の名を背負ってきたのです。勉強の時間を減らすことも男装していたことが知れて故郷を悪く言われるのもどちらも耐えられません」

「分かっているとも。しかしね、こちらの事情も聞いてほしい。うちの大学は歴史があるせいで数少ない女人禁制の大学だったんだ。ところが男女平等の視点からこれはまずいと色んな方面からクレームが来てね、試しに女性を雇ったんだ。そしたらどうなったと思う?」

「皆様の研究に悪影響があった?」

「正解。どういう訳だか教授同士が仲違いしたり研究の進みが悪くなったりしたんだよ」


 なるほどそれは面白い事例だ。

 ビビアンの隠していた好奇心がうずいてくる。

 男女平等を高らかにうたう帝都で女性が入れない場所。その一つに帝国大学が挙げられる。ローガン教授の言う大学はここのことなんだろう。帝国内での男女の差が最も凝縮された場所。以前から気になっていた議題である。興味を抱かずにはいられない。

 入れるというのなら、尚更に。


「良い目をしてきたね。そこできみの登場だ。男装して助手になって、何が悪いのか聞き出してほしい。週に一回、二回、半日でもいいから。本物の男じゃあ気付かないような細かいことを知りたいんだ」

「待ってくださいなローガン教授。それでわたしはなにを得ますか? 何一つメリットがないのならばこの話はなかったことに」

「ふむ。忘れていたね。きみの秘密を守る、それだけじゃ足りないだろう。論文雑誌の手配はどうだい? バックナンバーも最新号も用意しよう。持ち帰って好きなだけ読んでくれていい。もちろん給金は別だよ」


 帝国図書館では入荷しない高価な研究論文雑誌が読み放題。この申し出は眩暈がするくらい魅力的だった。

 気付けばビビアンはローガン教授と就労規約とほかに宣誓書を作成し始めていた。

 男装がばれた場合はローガン教授が責任を持つこと。ビビアンは速やかに退職すること。挙げられた不満はきちんとまとめて伝え、何か案があるのなら改善点を速やかに出すこと。

 呆れた様子でそれを見つめていたルーシーにも規約をしっかりと読んでもらった。規約に従って働くことに関してルーシーは大先輩にあたる。何か所か書き直しを要求されて、宣誓書も一緒に目を通して正式な書類にサインをした。


「お嬢様は冒険家ですね。婚約者殿の苦労がうかがえます」

「ルーシー。何を聞いていたんだい。今回のことに関して言えばエーリヒが全面的に悪い。ああそうです、ローガン教授。エーリヒに一筆書いてもらえませんこと?」

「いいよいいよ。なに書く?」

「今回のことに関してはエーリヒ・シュマルブルクの落ち度ですって伝わるようなやつをお願いいたしますわ」

「ははは、きみ本当に面白いねえ。書いとく書いとく。これでいいかい?」


 今回の仕事を斡旋したのはエーリヒ・シュマルブルクです、というような内容の文面を作成してもらう。なにせ大学にはほとんど男性しかいないらしい。そんな状況で嫉妬されてもビビアンは困るし、どうしようもない。


「それじゃ、早速今日の午後からお願いしよう。なに、手伝いなんて簡単なものさ」


 ローガン教授とお昼を共にする頃には、すっかり共犯者として仲良くなっていた。

 男装セットはルーシーに取りに行ってもらい、高等学園にもローガン教授から手紙を出してもらうことにする。向上心のある子だからぜひ我が家に訪れてもらい帝国の最先端の研究に触れてほしいと書かれた手紙をみて、さすがにビビアンは気が抜けた。最先端の研究への触れ方が男装なのだから、もう笑うしかない。


 馴染みの紳士服に着替えて、リボンで髪をひとつに束ねる。コートはエーリヒが置いていった奴を借りることにした。袖が余るし肩がズレるものの、自分にぴったりの服を持っていないと言うのは新しいビビアン、もといダミアンの設定にはぴったりだ。

 馬車が走る。閑静な住宅街から少しすると、一気に空が開けた。

 帝都大学の正門である。緊張しながら手続きの仕方を学び、次からは裏口から入ればいいと教えられる。

 数学塔はこっち、と案内されたのは五階建てほどの建物。レンガが苔むしところどころ傷つけられてなおどっしりと構えている。


「見た目は大層だけど、中はそうでもなくてね。まあ帰るのが面倒だから僕ここに住んでるようなもの」


 それでいつ行ってもいない訳だ。

 ルーシーは遅めの昼食を取らせておいてきた。多分またあのタウンハウスの手伝いをしているんだろう。

 ローガン教授は数学塔の最上階、教授の部屋の並ぶところまで行くと、片っ端から扉を開けて大声で喋りだした。慣れたものなのか、扉まででてくるもの、扉の中から返事をするもの、様々だ。


「はい、みんな今日はね、新しい助手さんの紹介に来たよ。きみたちのわがままに合わせてちゃんと男の子。敬語がしゃべり慣れてないけど気にしないであげてね。基本土日の朝に来るからよろしく」

「ダミアンだ。口が上手くないから先に謝ろう。すまない。自分にできることがあったら何でも言って欲しい」

「ローガン教授、また綺麗な男の子拾ってきましたね」

「それで取り入ろうっていうんですか」


 うんざりとした声が返る。

 どうにも女性の助手さんとは本格的にうまくいっていないらしい。目が失望に満ちている。

 多分彼らの求めているのは自分たちと同じような研究馬鹿なんだろう。しかし研究馬鹿は助手にはなれないのだ。


「あの。見た目のこと言われるの好きじゃないからやめてもらえないかな」


 なるべく嫌そうな声を返す。先制で言っておくに意味がある。綺麗な男の子がいいという類の人はいないだろうけど、いたとしたら困るし男装だとばれても困るので外見に関しては不遜な態度をとっておく。


「それじゃダミアン、よろしくね。皆もよろしくー」


 いつか付けられた戯れの名前は就労規約をもって現実になってしまった。入ってみたいと夢見た禁忌の場所にも。

 こんなもので帝国内の男女差が分かると言うのなら、いい機会だろう。

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