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番外編:恋とはどんなものだろう

 恋とはどんなものだろう。

 姉の恋愛結婚の話を耳にしたのだろう。学年一堅物な友人が聞いてきた時のことを思い出す。あの時なんと答えたか。確か、いまだ母に恋していると言ってはばからない父の言葉をそっくりそのまま伝えたはずだ。浮かれ屋の反省係、と。

 このままでは一生引きずる反省になりそうだとドミニクは直感する。現実逃避している場合じゃない。


 時刻は夜、ドミニクは今日もクラッグ公爵の主催する夜会に招待を受けていた。姉もその婚約者も一緒だ。年末のささやかな会、今年のことは今年のうちにと背中を押されてパトリシアを夜の庭園に誘った。快諾され、ほっとしていたのもつかの間、わたくしからも聞きたいことがありますと珍しくパトリシアが口を開いたのだ。

 決意を込めて、ためらいながらもしゃべりだすのをほほえましく見守っていた。そんなドミニクの余裕を全部持っていくような明後日の質問を、パトリシアはくれた。


「パトリシア嬢。私の聞き間違いではなければ、私が姉に恋をしていると聞こえたような気がするのですが」


 求婚して振られる覚悟はあるものの、これは想定外にもほどがある。

 だって姉なのだ。双子で仲は良いとドミニクだって思っているし、ビビアンだってそう思っているだろう。ちょっと仲が良すぎるとは言われたこともあるものの、恋。フレイベルクの港の沖に龍が住み着きました、と言われた方がまだ信じられるし笑い飛ばせる。現実になったら怖いけれど。


「そのような、うわさを、聞きました」


 パトリシア嬢は弱弱しくも肯定した。どうにもこのうわさをすっかり信じているらしく、いつもはにごす語尾までしっかりと聞こえる。ぱちりと瞬きをする。どうして突拍子もない、訳の分からないものを信じてしまっているのか。これでは求婚どころではない。慌てて、しかし表面上は余裕を保ったまま言葉を選ぶ。


「ご存知の通り、姉には良い人がいますし、私はそれを喜んでおります」

「ええ、そう、聞いてはおりますけど。あの、ドミニク様が髪を切られてから雰囲気が変わりましたので、みなフレイベルクの残された妖精は片割れへの失恋を乗り越えたのだとか、奪う覚悟を決めたのだとか申しておりまして」


 姉に恋しているのは前提条件なのか。改めて頭が痛くなってくる。

 パトリシアはドレスのちょうど膝部分を握りしめている。今日のドレスはシャンパンゴールドとブラウンのクラシックな形をしていて、スカートのふくらみが素晴らしかった。ちりばめられた刺繍は光を反射していて、そんな手荒に扱ったらもったいないと反射で思ってしまう。


「まず、私は姉に恋などしておりません」

「ほ、ほんとう、でしょうか。あの、秋にはずいぶんと……」

「あれはお恥ずかしいところをお見せしました。そうですね、私と姉の話を少ししましょう。あなたに誤解されたままというのは辛い」

「辛い、ですか?」

「至極辛いです。いますぐにでもそんなうわさを流した方の口を縫い止めたいくらい」


 くすりとパトリシアが笑う。笑顔を眺めて、ドミニクは少し余裕が戻ってくるのを感じた。最近ようやく見せてくれるようになった貴重な笑顔だ。しかも扇子越しじゃない。

 しかし、いったいいつからそんなうわさが流れて、パトリシアが信じてしまったのだろう。


「私にとって姉、ビビアンとは一番の理解者で、おそらく最も信頼している人です。しかしながら恋には決してなりません」

「それほどまでに……えと、近くいらっしゃるのに、何故ですか?」

「いまおっしゃられた通り。近いからです。人として好きですが、女性として見たことは一度としてありません」

「一度も」

「ええ、一度も。どちらかというと、自分の延長のように感じておりました」


 目をつぶる。子供のころの見分けのつかなかった時代を思い出す。エーリヒのやつは生意気にも当ててきたけれど、家族だって当てられなかったのだ。幼年学院を思い出す。家から離されて辛いとき、鏡を覗けばビビアンがいることにどれだけ励まされてきたか。中等学院を思い出す。長期休みに帰るたびに迎えてくれる半身。高等学院でも変わりないと思っていた。

 いつの頃からかビビアンが持っていたはずの刺繍張りはドミニクが、ドミニクの持っていたはずの本はビビアンにと入れ替わっていたけれどちっとも問題に思わなかった。だってドミニクはビビアンでビビアンはドミニクだったのだから。


「あなたには弱ったところを見せてしまいました。私は、姉が自分とは違う人間だと認めるのが怖かったのです」

「……でも、ドミニク様はドミニク様ですわ」

「ひとつ、内緒の話をしましょうか。誰にも話さないと誓えますか?」


 パトリシアは体を縮こまらせている。できれば言いたくない話だ。家名のことを置いておいても、いままでドミニクがずるをしていたことを告げる話なのだから。

 パトリシアは少しためらって、うなずいてくれた。


「はい、誓います」

「私はあなたを二度救ったと言われましたが違うのです。一度目は、姉のビビアンが男装しているときあなたを助けました」

「だん、そう?」

「姉には特殊な事情があって、そうせざるを得ない時期があったのです。どうか、その胸に秘めておいてください。そして思い出してください。化粧をしていない姉と私は、どうですか」

「……わたくし。わたくしそんなこと思いもせずに。ドミニク様の顔を見て間違いないと確信して」


 顔面が蒼白になっていくのが窓から漏れる灯りの中でもわかる。

 それはそうだろう。ドミニクだってそっくりだと思ったし、ビビアンだって鏡のようだと喜んでいた。エーリヒすら騙しとおせたのだ。初見のパトリシアに見抜けというのは不可能に近い。


「無理もない話です。そして、あなたが間違えてくれたおかげで姉の名誉は守られています」

「そんな……だって……」


 受け止めきれないのだろう。うわごとのようにパトリシアは繰り返す。

 もうこうなれば洗いざらい話してしまおうと、そんな気分になった。

 手紙のやり取りをしていて気が付いたことがある。パトリシアは頭の回転は悪くない。ただ、少し混乱癖があるだけだ。もう誤解はだいぶ解けてきているだろう。


「今日、私がパトリシア嬢と二人きりになりたいと言ったのには訳があります」

「え、あ、はい」

「私にとって恋とは近くまた遠いものでした。両親は恋愛結婚、姉もそうです。ですが、私自身はまだ学生。そのような話は先のことだと思っておりました」


 一年の半分近く会わない両親は、再開すれば父が愛を語り母がそれに適当に返す。そんな環境で育ってきて、学院へ行って初めてそれが珍しいものだと知ったのだ。羨ましがられるほど仲の良い両親。それから、晴れて恋愛結婚、多分おそらくドミニクが間違っていなければ恋愛結婚をするだろう姉とその婚約者。

 学院では散々騒がれたし紳士クラブでも同じだ。お金を稼ぐ手段もなければ女の子が欲しがるような地位も財産もない男どもにとってはエーリヒが例外で、恋なんて夢のまた夢。女の子に出会うチャンスがまずない。


「あの、ビビアン様は」

「何度でもお答えしましょう。ビビは恋愛対象外です」


 ビビアンはドミニクの一番の理解者で、信頼できる人。その人に指摘されたのだ。ずっと後ろに隠して気付いていなかった感情を冗談交じりにあっさりと見抜いてくれた。


「フレイベルクの庭には薔薇はほとんど咲きません」

「え、ええ。夏にお邪魔した際にも、その。あまり見かけませんでしたね……?」

「せいぜいがのばらです」

「のばら、すき、です」


 突然の方向転換にもパトリシアは健気についてきてくれる。こういうところが、魅力的なんだよなとふっと思う。しゃべるよりも書く方が雄弁で、読むよりも聞く方が好きな少女。いつから、なんて分からない。いつの間にかドミニクの中にはパトリシアの席ができていた。


「クラッグ公爵家の薔薇は見事です」

「ありがとうございます。……わたくしの、自慢です」

「私は三番目に育てられた薔薇が特別好きでして」

「え?」


 求婚しようと決めたとき、真っ先にエーリヒに相談した。まだ学生みたいな中途半端な身分でどうして求婚なんかできたのか。エーリヒは眉間にしわを寄せてたった一言返してくれた。他の奴の隣に立つビビアンなんて見たくなかった、と。それから盛大に脅かしてくれた。社交界デビューを終えたクラッグ公爵家の三女はいい獲物だろうな、すぐにでもかっさらわれるぞ、と。

 それはたいそう面白くない予言だったので、父を巻き込んでひっくり返すことにしたのだ。


「社交界にデビューして以来、人見知りで男性を避けてらっしゃったそうなのですが、そろそろ適齢期だとか」

「あ、の」

「学生の身で不便ばかりかけると思いつつも、もし姉の婚約者のようにできたのならと慕わずにはいられないのです」


 パトリシアは真っ赤になって固まってしまった。会話にならないのなら会話ができるようになるまで待てばいい。パトリシアの隣に立って話していて学んだことだ。

 冬の寒さになれたのか、口から出る息も白くなくなってきた。あまり長引くようなら体調を崩される前に会場へと返さなければ。


「わ、わたくしにも、秘密がありまして」

「どのような可愛らしい秘密でしょう」

「その、ビビアン様には白状したのですが、わたくし三度、同じ方に恋をいたしました」

「その方が羨ましい」

「ひぇ、いや、その……どうやら、一度は、間違えてしまったようですけど。以来ずっと、同じ方に、恋に、落ちているのです」


 真っ赤な髪に彩られて、真っ赤な顔のままパトリシアがドミニクを見上げる。視線がずれるのを必死に目を合わせようと瞳がうろついている。じんわりとほほに熱がこもる。うぬぼれてもいいのか、なんて聞くまでもない。そんな駆け引きできるほど大人じゃない。

 片手をとって膝をつく。騎士の礼なんて滅多に使わないと軽んじていた。でもいまほど教養に感謝したときはない。


「パトリシア嬢にお願いがあります。私は学生の至らぬ身。公爵家ほどの生活は保障できません。それでもよろしければフレイベルクに枯れない薔薇を、その身ひとつを、預けていただけませんか?」

「ひゃ……は、い。喜んで」


 あまりの喜びにドミニクは思わず口づけを手の甲に落とす。もちろん手袋越しだ。それだけでもパトリシアには刺激が強かったのか、真っ赤なまま固まってしまった。

 仕方ない、と誰にでもなく言い訳をしてドミニクはそのまま会場までエスコートした。ビビアンにご機嫌だね、と話しかけられてもずっと手をつないでいたし、夜会の別れ際まで離さなかったのはエーリヒにまで笑われたけどドミニクは気にしない。

 恋とはどんなものだろう。浮かれ屋の反省係。ドミニクの恋は見事に叶ったんだから浮かれ屋になったっていいじゃないか。


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