帝都留学編 10
冬休みに入る直前、学園主催のパーティが開かれた。マリーイヴの話では、テストが終わって羽目を外す生徒がでないようにするための措置、らしい。サナはパーティーでピアノを弾く係の一人に選ばれたそうだ。とびっきりの曲を披露しなきゃ、といつも以上に練習に熱を入れていた。
ドレスコードは制服。会場は学園内のホール。立食式の簡素なものだけれど、ビビアンにとって初めてのことだ。
「編入から今日までの間、あなたの話を聞かない日はなかったわ。ビビアン」
「あら、そうなんですの? 王国の民ってそんなに珍しいかしら」
「思ったのだけど、珍しいのはあなたの自体じゃないかしら」
「マリーイヴ、どういう意味でしょう」
「だってそんなに控えめなのに、いざとなったら急にしっかりしちゃって。おまけに首位までとられたわ。下級生なんてあなたのこと陰でビビアンお姉様なんて呼んでいるのよ」
「わたし、いま褒められていますの?」
小首をかしげて見せれば、マリーイヴは声を上げて笑った。こういうところはサナとよく似ている。最近では、サナに勉強しなさいと言わないらしい。どういう心境の変化かしらないけれど、マリーイヴにもなにか思うところがあったんだろう。前よりずっと気安く話しかけられるようになった。
「わたしからすればマリーイヴの行動力の方がずっとおそろしかったですわ」
「私?いたって普通じゃない」
「王国の話を聞く会でクラスメイト全員以上そろえた方が何をおっしゃいますの。口車にのせられて王国貴族を敵に回すところでしたわ」
「私の案ってそんなにダメだったかしら」
「急な変化は恐れと反発を招きます。帝国が王国のようになったらマリーイヴだって困りますでしょう?」
「それは怖いわ。勉強せずに生きるなんてムリよ」
「なに、なんの話?」
サナが声をかけてくる。ピアノの順番は終わったらしい。手元にはジュースをとり、うっすらと汗をかいている。変わったことと言えば、サナがマリーイヴを避けなくなった。クラスメイトと衝突する姿も見ない。いい傾向だ、内心でビビアンは喜ぶ。
「サナ、お疲れ様です。練習の時以上に素敵な演奏でしたわ」
「お疲れ、サナ。いままでちゃんと聞いたことなかったけれどあなたすごく上手いのね」
「ありがとう。マリーイヴが節穴だっただけで、ビビアンはすぐに気づいてくれたわ」
「耳が痛いわ」
「ふふん。ビビアン、どう? 楽しんでいる?」
目を輝かせてサナが聞いてくる。マリーイヴも言葉にしないものの、同じような瞳で見つめてくる。やっぱりいとこ同士似ているじゃないか。ささやかな発見に楽しくなって、ビビアンは微笑む。くるりと会場を見渡す。帝国に来たばかりのときにあった好奇心たっぷりの視線はもうない。ついでに視界のはずれでロペが女の子に袖にされているのも見えた。
これが留学先に馴染んだということなんだろう。友人と呼べる存在が増えて、純粋な嬉しさがわきあがってくる。
「ええ、すっごく。留学してよかったって心から思いますの」
「帝国の民としてとっても嬉しいわ」
「おおげさよ。でも、来てくれてあたしも嬉しい。冬休みはすぐに帰るの?」
「ええ。弟と約束していまして」
「あら、残念」
「冬休みは短いわ。向こうでゆっくりできるといいわね」
そう、こちらの冬休みは王国の休みより短い。年越しは家族でと決めていたから、誘われたパーティやお茶会の類を全部断ったのだ。ただでさえ移動に時間がかかるのに、休みを削ったと分かればドミニクがふてくされる。そこまで考えて、ふと不安がよぎる。
最愛の弟の、変わった姿に慣れることができるのか。
これまた難題で、パーティーが終わっても、帰りの馬車に乗っても、エーリヒに相談してもどこか気分は晴れなかった。
久しぶりにフレイベルク家のタウンハウスに帰ってきた。ビビアンはドアを開けるのをついためらう。髪の短いドミニクが突然出てきたら耐えきれないだろう。エーリヒには念のためついてきてもらったけれど、反射で逃げてしまったらどうしようか。エーリヒとルーシーを後ろに従えて、扉の前で立ち尽くす。
「ビビアン」
「お嬢様」
二人に急き立てられてドアノブをつかむ。思いっきり開ければ、見慣れた家令が出てきた。お嬢様のお帰りですと大声で叫ばれる。普段そんなことをしない人だから驚いて固まっていると、あちこちぶつかるような音がして二階から弟が転がり下りてくる。
「ビビ!」
「ドニ!」
駆け寄ってきたドミニクはビビアンの真正面で所在なさげに立ち尽くす。
ほんの少し目線の高くなった弟を改めてみる。淡い金髪はずいぶん短くなった。緑の瞳は喜びとためらいの間で揺れている。ほほのラインは確かにシャープになったものの、まだまだ丸みが残っている。ほう、息が抜けた。
びくりとドミニクが反応する。目が口よりもものを言う。怒っているか聞いている。
「私の可愛らしい弟は、少し見ないうちに随分格好良い弟になったんだな」
にっこりと笑い頭を撫でればそのまま抱きしめられた。
流石に外は寒いので客室へと向かう。その間ずっとドミニクはビビアンにべったりだった。荷物の移動を家令に頼み、ルーシーにはお茶を入れてもらう。
ドミニクとビビアンはソファーの隣同士に座る。弟の話はビビアンと同じくらい混迷していて、それをエーリヒと二人でゆっくりと聞いていった。
「おれ寂しくて、家に帰ってもビビいないし、鏡見るとビビ思い出すし」
カントリーハウスで別れて以来、あちらこちらにビビアンの面影を追っていたらしい。外にいるときはそんなこと考えている暇もないのだけど、帰って一人になると刺繍をしながら話し相手を探してしまう。庭にも客室にも、エーリヒの家のタウンハウスにだっていない。
そのたびに、ビビアンがとても遠くへ行ってしまったのだと実感したらしい。
「パトリシア嬢に、ビビアン様の面影がありますから寂しさが紛れますって言われたときに限界が来ちゃって」
夜会の最中である。止めるパトリシアを振り切って外に出て、ドミニクはビビアンのことを考えていた。そんなドミニクをパトリシアは頑張って追ってきてくれて、気になるのなら髪を切ってみてはどうかと言われてその気になった、と。いざ切ってみれば周囲の反応はすこぶるよかったものの、ビビアンの反応が気になって思わず手紙を書いたそうだ。
「わたしはきちんと返事をしただろう? きっと似合うんだろうなって」
「怒ってるかと思った。お揃いじゃなくなったの初めてだし」
「馬鹿だなあ。パトリシア様はその髪なんだって?」
「すごく似合うけど、自分の一言でもったいないことをしてしまったって落ち込んでいたから慰めた」
よし、と頭を撫でればドミニクの体から力が抜けたのか一気に肩が重くなる。ビビアンのことを散々振り回したと思っていたドミニクは、散々ビビアンに振り回されていたらしい。エーリヒが中身も似ていると言ったわけが分かるな、ひとり思いにふける。
「エーリヒはなんでいるの?」
「わたしがドニにびっくりして逃げないように」
「やっぱり嫌だった?」
「いや、驚いて逃げたら傷つくだろう」
「俺はいることに気付かれていたことに驚いている」
てっきり存在ごと忘れられたのかと、と続けられるとドミニクはビビアンにもたれかかったまま器用に軽く威嚇した。
「抜け駆けしてビビについていった奴なんて知るもんか」
「飛び級生の特権というやつだ。なに、休み明けには父の仕事の手伝いに戻る」
「帝国にこないの?まだデート1回しかしてないのに」
「結婚前の男女が二人きりで出かけるなんて弟は反対ですよー」
それじゃあダミアンの出番はもうないのか、とちょっと残念に思う。帝国図書館で感じる視線は少なくなったしもう気にならないのだけれど、男装して街を自由に歩き回るのは随分と楽しかった。男女差について最後まで確かめられなかったのが心残りだ。
エーリヒとじゃれあいながらほほを膨らませるドミニクはすっかりいつものドミニクだ。この調子ならいいだろう。ビビアンは口を開く。
「フレイベルクの次期伯爵にお願いがありまして」
「なに?」
「姉の結婚をお許しください。具体的には次の夏」
「早すぎます!」
「平均的です」
「おいビビアン、ドミニクの警戒ひどくないか」
「これだけ離れてたんだから当たり前だって。行き遅れてもいいじゃん。エーリヒ貰ってくれるし」
エーリヒがため息をつく。これだから双子はべったりな、と態度で示していた。ビビアンは笑って、肩に重みをかけてくる弟の目をのぞき込む。
「わたし、やりたいことがあるんだ」
「なに」
「終了式にな、一番優秀な生徒はフルネームを呼ばれるらしい。どうせならシュマルブルク姓で呼ばれたい」
「待て、クラスメイトに何を吹き込まれた」
「なにそれー。フレイベルクでいいじゃない」
「フレイベルクでは今年度呼ばれる。卒業の年にはシュマルブルクがいい」
エーリヒは頭を抱え込んでしまった。ドミニクはちょっと考えて、仕方ないから許してあげる、と軽く返す。ビビアンは今度こそ満面の笑みでドミニクに抱き着いて、ありがとうの雨を降らせた。
「それでな、ドミニク。どうせなら双子で同じ結婚式がいいからさっさと求婚してきなさい」
真っ赤になったドミニクの絹を裂くような悲鳴に、エーリヒは必死に笑いをこらえているようだ。さっきまでの話でいったい何回パトリシアの名前がでてきたのか。彼だって察している。ビビアンはいたずらっ子の笑い声を上げながら耳をふさいだ。