帝都留学編 9
週末、大量のレポートと一緒にエーリヒのところへ行って、王国の話を聞く会の顛末を語った。男女平等のための女性教育の話、女性の地位向上のための学習教育の話、マリーイヴの主張を並べると帝国人らしいとエーリヒは鼻で笑った。
「自国で当たり前のものをそのまま外に持ち出してうまくいくと考えている時点で甘いな」
「そんなものかな」
「お前なんて男女共学すら知らなかったじゃないか」
「それもそうだね」
それから、質問をちょっと過激な内容も付け加えてサクサクと答えなおしていった話。単なる趣味で勉強していたと言ったら盛大な沈黙を食らった話。これにはエーリヒも笑っていた。ビビアンとしては勉強をどういう位置づけになってほしいのかという話。
「だってさ、家の中に司令塔が二人もいたら混乱するだろう?」
「相談することだってできるだろ」
「どうだろう。勉強に精通した人ってなんだか自分が正しいって顔していろいろ言ってくるんだもの」
「それは覚えがあるな」
「そうなのかい?」
「この会の話を聞いて、俺が勝手に怒っていただろう。お前が勉強を役に立てる、ということを知らずにいるなんて思いもしなかったせいか無意識にお前を思い通りに動かそうとしていた」
「わたし、エーリヒの駒ではないよ」
「そうだな。それに気付いて自分に腹が立ったんだ」
「なんだ、八つ当たりだったのか」
「本当にすまなかった」
ほほをふくらめるビビアンにエーリヒは改めて謝罪してくれた。自分が許せずに、またビビアンとどう話したら誘導したことにならないのか分からずに会話ができなかったと。
最後は強い言葉で帝国からの干渉を断った話をした。これはビビアンにとって自己改革にも等しく、いつもつつましくあれと呪いのように耳にこびりついていたものを振り切った話でもある。
「内政干渉に文化的侵略、な。よく思いついた」
「たぶんうちの国の構造を変えようとしたらそのくらい必要になるだろう」
「そうだな。外から変えたら歪むだろう」
「それで? エーリヒはわたしに何を望む?」
いつかのプロポーズの言葉を思い出していた。帝国式の教育を受けた女性が王国にも必要になってくる。その第一号になってくれ。あの時は勉強ができる、エーリヒと結婚できると浮かれていたのでたいしたことではないと軽く考えていた。けれどこうして騒動を乗り越えてみれば、教育というものの重さを肌で感じる。
「なにも。お前が帝国式の教育を受けた、それだけで変わってくるものがある。そこを見極めるのは俺の仕事だ」
「なんだ、わたしはお飾りか」
「不満か?」
「いや、エーリヒのそばにいられるんだ。お得には違いない」
エーリヒが黙って頭を抱え込んでしまう。ビビアンはご機嫌でレポートに目を通す。真面目に書いてくれたのだろう、手堅いものから滑稽なアイデアまで千差万別でこれはこれで楽しかった。
あの会の後、ビビアンに対するクラスメイトの態度は一変した。かわいそうなといった形容詞はすっかり外れ、また同等の学友として扱ってもらえるようになったのだ。中にはビビアンに謝罪する生徒もいたが、異文化交流って難しいですわねと謝罪ごとなかったことにした。
マリーイヴもその一人である。本来は優しくて気立ての良いお嬢さんなのだろう。ビビアンは初めて会った時を思い出しながら彼女と話した。マリーイヴは随分と自分を恥じていたけれど、ビビアンからしたら一方的に奇襲を仕掛けてしまった形なのでお互いさまで、と簡単に済ませた。なにせ頭が切れる分、本気で話していて面白い相手なのだ。疎遠にはしたくない。
マリーイヴで思い出す。冬休み前のテストがそろそろ始まることと、いろいろあって忘れていたことに。
「エーリヒ。わがままを言っても?」
「内容による」
「テストが終わったら、わたしの誕生日を祝ってほしいんだ。テスト期間中に迎えるのだけど、やはり君に祝ってほしくて」
「そういうのはわがままと言わない。結果がでたら外出するぞ。ドミニクが羨むくらい遊びたおす」
「絶対だぞ! 楽しみにしてる!」
こうして初めてのテストは編入試験以上の意欲をもって臨み、見事に首位を取った。
冬の装いに袖を通す。丈の長いアイスグレーのワンピースにしっかりとしたつくりの濃紺のコートを羽織り、馬車の待合所でエーリヒと待ち合わせをする。先に着いていたエーリヒは自室にいるときとは違い帝国式の外套に流行りの紳士服を着ていた。ビビアンにとっては新鮮で意外だ。
「今日はおしゃれだね、エーリヒ」
「なんでお前がそれを言うんだ。そっちこそよく似あっている」
「さて、どこがエーリヒのおすすめ?」
「実はこの国で街歩きなどほとんどしたことがない」
「じゃあ私の方が経験豊富だな。サナとは2回もデートした」
男装姿ではもっとふらふらしているけれど、と頭の中で続ける。なにせあの格好は亡霊のようなものだ。どこにいてもかまわない。エーリヒと仲直りしてからもメインストリートで遊んでいた。ロペに絡まれるものの、たいてい女の子の話をしていてかつ的外れなものだからついつい付き合ってしまう。もちろん、ベンチでだ。
「メインストリートを歩こう。エーリヒと歩けばまた違ってみえるかもしれない」
「お前は本当に息をするように人をたらしこむな。いいだろう」
店を片っ端から見て回る。服屋のウィンドウ前ではどれがドミニクに似合いそうか話したり、次の王国での流行について考えたりした。本屋に滞在する時間が長いのはご愛敬だ。両親や友人への土産を選んで、そうしてどのカフェに入るか真剣に議論したりして遊ぶ。
大通りから一本外れたところにある小さなカフェに入り、お茶とケーキを頼む。エーリヒはコーヒーとミートパイを、ビビアンはローズティーとをアップルパイを。
「それで?テストの結果はどうだった」
「満点以上で一番だったとも。クラスメイトがみな驚いていた」
「お前、やっぱり書簡の中身のぞいていただろう」
「ばれていたか。あれは最後まで解けなかったがパズルみたいで楽しかったな」
「大学教授レベルの問題なんだぞ、当たり前だ」
教室の黒板に名前と総合得点が書き出されていくというのは、ビビアンにとって初めての緊張感があった。1、の横にビビアン・フレイベルクと書かれたときは正直夢かと思ったくらいだ。点数を書かれて悲鳴をあげたのはクラスメイトの方だったが。古文文法、証明、公式の部分で教わっていない最新分野研究の答えを併記したことが加点に繋がったらしい。
それ抜きでも満点ってところが恐ろしいわ、とはサナの弁である。
「それで勉強方法を聞かれたから、近年は婚約者に教わっているって答えたんだ」
「俺か? 試験の答え方くらいは教えたが」
「どんな婚約者か聞かれたから、同い年で帝国に留学していたエーリヒ・シュマルブルクって答えたらどうなったと思う?」
「随分と楽しそうだな。どうなったんだ」
「教室中悲鳴だらけ。悪魔、あの冷血漢、トゲだらけの、いろいろだったぞ。先生も苦笑いしてた」
エーリヒも苦笑する。あの頃はホームシックもあって尖っていたからな、と小さなエーリヒを弁護しながらだったけれど。あんまり面白いから婚約者の昔話を片っ端から集めた、というのはエーリヒには内緒である。ツンツンと尖ったエーリヒの逸話はそれはそれは小憎たらしく、それでいて今を知っているとかわいらしくて仕方ないのだ。
「本当は王都の中等学院に入る予定だったんだ。それが嫌で留学してな」
「へえ。10歳でよくそこまで思い切ったね」
「王都だとドミニクに会うだろう? そうすると自動的にビビアンを思い出すじゃないか」
「思い出したくなかったのかい?」
「大昔のことだぞ、いいか、大昔だ。ビビアンと結婚すると母に言ったらあの子ならもっと年上の方と結婚すると一蹴されてやけになったんだ」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す。気まずげに視線をそらすエーリヒと、エーリヒの語った内容を反復する。じわりとほほに熱が集まる。慌ててティーカップを置いて割らないように気を付ける。
双子の見分けを決して間違えないエーリヒ。会えなくなっても結婚するつもりでいたエーリヒ。結婚できなくて遠ざけていたエーリヒ。探し出して求婚してくれたエーリヒ。帝都に一緒にいてくれるエーリヒ。じわりと集まる熱は全身にいきわたる。
「エーリヒ。夏には結婚しよう」
「は?」
「わたしは君と離れたくない。学園を卒業するまでなんて待てない」
「まて急に。落ち着け。まずドミニクをどうにかしてこい」
「ドニにはわたしから話す。いいだろう?」
じっとアイスブルーの瞳をのぞき込む。いつもは取り澄ましたエーリヒが慌てているのところも珍しいけれど、これは大事な話だ。なにせ結婚は二人じゃないとできない。観念したのか、エーリヒが視線を逸らす。
「結婚式は女のためのものだ。好きにしてくれ」
「やった!」
「あとこれ、誕生祝いだ」
「ネックレス?」
四つ葉のクローバーの形に緑の石が埋め込まれているシンプルなものだ。このチェーンの長さなら制服に隠れるな、とこっそり企む。それにしてもいつの間に買ったのか不思議がっていれば、エーリヒが簡単な種明かしをしてくれる。
行きの道で欲しそうにしていたから、帰りに受け取ると店員にお金を支払っておいたらしい。大通りを戻るときにきちんと受け取って、それからカフェを探した、と。
「残念エーリヒ、わたしが見ていたのはこれの隣だ」
「雪の結晶のようなやつか?」
「そう。真ん中の石が君の瞳の色みたいで素敵だったんだ」
「それならそっちのほうがいいだろう。ビビアンとドミニクの目の色と数とぴったり同じだ」
「……本当だ!ありがとう、エーリヒ」
にっこり笑って首に当てて見せれば、エーリヒが柔らかく微笑んだ。
「よく似合っている、ビビアン」
双子のビビアンとドミニクが同じように幸せになれるという約束を貰った気がしてビビアンはひとしきり幸福に浸った。この婚約者は本当にいつもビビアンの欲しいものをくれる。