帝都留学編 8
週明けにはすっかり元気になったビビアンに、クラスメイトは喜んでくれた。サナには家族のことで、マリーイヴには家のことでちょっとと言葉を濁して伝えた。双子の弟が髪を切ったので困惑しましたとは伝えられないので、精一杯の誠意だ。
マリーイヴは大事をとって今週も王国の話を聞く会は延期にしましょうと言った。これには両手を上げて賛成した。
「マリーイヴ、何か企んでいるわよ」
「そうなの?」
「じゃなかったらあんなこと言い出す子じゃないもの」
サナの忠告は気になったものの、ビビアンにもやりたいことがあったので好きにさせておくことにした。滞っていた文通には返事をし、届いた文面の確認をする。ルーシーにもいくつか確認した。大事なものは生きている意見だ。
それ以外はいたって普通の生活をしていた。エーリヒのところで男装するのも変わらない。ただ、どうしても気になったことがあったので帝国図書館を少し早めに切り上げる。
「きみ、また帝国図書館に来ていたのかい」
出口からでたところで男性に声をかけられる。ロペは秋も深まる中ずっと外で待っていたらしい。ご苦労なことだな、とビビアンはのんびり考える。
「人の勝手だろう」
「まて、話をしよう、おごるから」
「おごらなくても話くらい聞いてやる。そこのベンチでどうだ」
ロペと二人きりでカフェに行くのはエーリヒが嫉妬するからダメ、と覚えたビビアンは適当なベンチでくつろぐ。ロペはしぶしぶといった感じで横に座った。
「お前の小鹿ちゃんとやらはそんなに魅力的なのか」
「もちろんだとも! つつましくて、可憐な人だよ」
笑いそうになるのをこらえる。こちらの国の人からするとビビアンの化けの皮はちょっと大きすぎたらしい。いかに控えめで、気品があり、楚々としているのかを聞かされて思い知った。もう少し大胆になってもよかったのだと。
「そんな小鹿ちゃんなら男からの不躾な視線に耐えられないだろうな」
「え?」
「お前は幸せ者すぎる。女には二つも三つも顔がある、なんて話を聞いたことないのか」
「小鹿ちゃんを馬鹿にしないでおくれ!」
「俺が心配しているのはお前だ」
なるべくエーリヒのイメージでしゃべるものの、どうしてもルーシーのこざっぱりとした嫌味が入る。あの二人が組んだら相手が可哀想だ。さっさと切り上げるべくビビアンは締めにかかる。
「見たものを見たまま信じると馬鹿をみるぞ」
じゃあな、と答えも聞かず歩いて帰った。ロペはなにを言われたのかいまいち分かっていないようで座ったまま口をパクパクさせていた。帝国図書館でビビアンが受けていた居心地の悪い視線の一つに仕返しをしてやった気分で、ちょっとすっきりする。
二回の延期を経て開催された王国の話を聞く会は相変わらず盛況だった。
開催前に、教卓の上にレポートがどんどん乗せられていく。さてこれはなんだろうと考えているうちにマリーイヴが開会を宣言してしまった。前と違うのは、サナが心配そうにこちらを見ていること。でも今日は大丈夫、にっこりと笑い返す。
「幾度かの王国の話を聞く会を経て、今回はいかに王国に男女平等の概念を持っていくか、という話をしたいと思います」
マリーイヴの一言におや、と内心で小首をかしげる。そんなことはいままで一言も言っていなかった。目線だけでどういうことか問うと、マリーイヴの司会に熱がこもる。
「みなさんご存知の通り、王国では女性の学習教育が遅れていると。そこで、各人が考えた案をレポートにしてもらっています。また簡単な説明を加えて議論をしていく予定です」
「マリーイヴ。少し待ってもらってもいいかしら」
「なにかしら、ビビアン。これは貴女の国にとってもいい話だと思うのだけど」
「いえ。議題の前の問題ですの。そもそもわたしの祖国には女性の学習教育が必須か否か、という話ですわ」
マリーイヴが絶句する。教室内のざわめきも大きくなる。なにを言っているんだろう、そんな目がビビアンに集中するも、こればかりは譲れない。カタルセン王国の女性の品位を落とすことになるかもしれないけれど、品位を気にして流されたら痛い目をみるとこの会で学習したばかりである。
「ビビアン。あなたの国では女性の地位はとても低いわ。学習教育によって自分の立場を知ることが地位向上の第一歩になるのよ」
「マリーイヴ。わたしの国の女性は、わたしの友人たちはそれで満足しているのです。この会ではどうにもうまく伝わらなかったようだから訂正したくてうずうずしておりましたの」
「爵位がもらえないのはどうなの?」
「爵位のある生活がしたかったら自己努力でいい婚約者を捕まえることです。場合によっては玉の輿だって可能です」
「勉強ができないのは?」
「そもそも、勉強をする意義がありません。必要なのは社交力です」
「はーい、年の離れた結婚については?」
「あえてお年寄りと結婚して未亡人になる道を選ぶ方もいらっしゃいます。それでなくても、年が離れているということは浮気をしない安心と収入の安定に繋がります」
教室のあちこちから質問が飛ぶ。聞こえる分はどんどんさばいて返していく。サナは面白くなってきたという目をしながらこちらに頑張れとエールを送ってくれる。
「じゃあさ、ビビアンが勉強していたのは?」
「単なる趣味です」
これには教室中が絶句してしまった。彼らにとっては勉強とは義務であり、道しるべである。違うものを自分の物差しで測ろうとした結果がこの馬鹿げたすれ違いの会だ。その一端となってしまったビビアンには王国流のやり方をもう一度分かってもらう義務があった。
ちらっとロペを見る。彼は口をぽかんと開けてこちらを見ていた。なんだか楽しくなってくる。
「では、ビビアン。貴女は王国がこのままでいいと思うの?」
「できることなら、刺繍やダンス、ピアノと同じように教養として勉強が入ってくればよいとは思います」
「と、いうと具体的には」
「男性が婚約者を選ぶ際の物差しの一つとして知的である、という項目が追加されればよいかと」
「それじゃお飾りなんじゃない?」
「使われない知識は総じて飾りです。ただ学習教育を履修したとしても同じことになるでしょう」
まあそれもそうか、小さな声が聞こえてきて心の中でこぶしを握る。大事なのは納得することだ。今は小さくても賛同する声が広まればこの行き過ぎた熱量も自然と冷めてくるだろう。
それまでずっと黙っていたマリーイヴが口を開く。
「残念。ビビアンなら勉強のすばらしさを国内に広めてくれると信じていたのに」
「あら勉強は素敵よ。ただ、それを強制した時点で魅力はぐっとさがると思いますの」
「王国と帝国の同盟が確固たるものになれば、と思ったけど余計なお世話だったみたいね」
「そうですね。真に必要なものならば我が国内から声を上げるものが出てくるでしょう」
「あなたがそうなる可能性は?」
「なきにしもあらず、です。しかし帝国からの働きかけでは動きませんよ」
マリーイヴの目をじっと見る。それから、教室中のたくさんの目をひとつひとつたしかめるようにゆっくりと見ていった。そうして視線を集めきったところでゆっくりと口を開く。
「なにせ、帝国から王国へそれを強制したとなれば、内政干渉、もしくは文化的侵略になりますもの」
マリーイヴの目がかっと開かれる。そんなつもりじゃなかったのだろう。なにか言いかけて、なにも言えずにぱくぱくと口を開いたり閉じたりしていた。喧嘩をしたいわけではないので、さっさと会を解散させる。
「こちらのレポートはありがたく頂戴しますね。今後の参考にさせて頂きます。本日は以上です。ありがとうございました」
一礼して、レポートを抱えて退出する。まだざわめきが残る教室から飛び出してきて、ぱたぱたと近寄ってくる足音がする。振り返ればサナだった。
「おつかれビビアン。かっこよかったよー」
「ありがとうサナ。あなたがいてくれて心強かったわ。マリーイヴには悪いことしちゃったけど」
「先走りすぎなのよあの子。いい勉強になったわ、きっと!」
過ぎてしまえばなんとなく申し訳なさが残るものの、サナはもうさっぱり気にしていないみたいでケーキを食べに行こうとしきりに誘ってきた。週末は予定があるので来週ね、と約束をする。
なにせビビアンは冬休みまでの課題の結果をエーリヒに報告しなければならないのだ。
「ルーシー。わたしきちんと自分の意見を通したぞ」
「さようでございますか。お嬢様はいつも言いたい放題だと思っておりました」
「これでも一応王国の令嬢なんだ。今日痛感した」
笑って見せれば、ルーシーも笑う。自分の意見を通すお嬢様の方が好きですね、と珍しくまっすぐな意見を添えながら。