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家に帰ればさっとドレスに早変わり、すました顔で昼食をとる。今日の午後は予定を入れていない。だって双子の弟が、ドミニクが帰ってきているのだから。
借りた本を一冊持って裏庭へ向かえばテーブルには先客がいた。庭の木陰にあつらえられた一番いい席に腰掛けて、鼻歌を歌うのはドミニクだ。
「ドニ、調子はどう?」
「絶好調だよビビ。エーリヒはどうだった?」
「相変わらず机が友達状態」
向かいに座ればドミニクが顔をあげる。片手に刺繍枠を反対の手に刺繍針を持って優雅に微笑む弟は、さながらいいところのご令嬢のようだった。ビビアンの持ち込んだ本と紙の束を見て、声をあげて笑う。
「いい本があったんだね。あとでまとめ見せて」
「いいとも。代わりに刺繍図をよろしく」
「はいはい、仰せのままにお姉様?」
テーブルを少し開けてもらい、軽く流し読みを始める。ドミニクも刺繍を再開した。
「学院のほうはどう?」
「そんなに変わらないよ。舞踏会とかに出る奴が増えたくらい」
「麗しの弟君は出ないのかい?」
「まだ勉学に集中したいもので」
硬い声をわざと作るドミニクに、笑いがこぼれる。
「それ、エーリヒごっこ?」
「そう。どう? 似てる?」
「ドニが言うと嘘くさいなあ」
「ビビはひどいね」
幼年学院を卒業してすぐに留学し飛び級卒業して帰ってきたエーリヒは、社交界では一種の有名人だ。彼の父の領地が隣国への街道を含む上に商売で成功しているものだから、いまのうちにとコネクションを作りたがる貴族は少なくない。それをばっさり切るのがエーリヒのエーリヒたる由縁である。
ドミニクも学院で遠回しに紹介してくれと言われたことが何度もあるらしい。
「でもさ、おれの知ってるエーリヒってこんなにちっさいんだよ」
手でテーブルより少し高いくらいを示して眉尻を下げる。ビビアンが男装してエーリヒを尋ねたその日から、ドミニクはエーリヒに会っていない。会えばきっとボロがでるだろうから。だからドミニクの知ってるエーリヒは、少年の見かけに尊大かつ口の悪くなっていく中身があてはめられている、らしい。
「ごめんよ、ひとりじめして」
「いいよ、ビビのおかげでおれは成績優秀優等生だから」
「次の試験はいつだっけ」
「春の終わり。また教えてよ」
フレイベルグ伯爵家の双子は互いに得意なことが違う。ビビアンがなによりも勉強を楽しむように、ドミニクにとっては刺繍を刺す時間が至福なのだ。それぞれ女らしくない男らしくないと外では絶対に見せないけれども、家の中でくらい好きにしたらいいというのが父である伯爵の寛大な言葉だ。
だからビビアンは家でこっそり勉強をすすめ、ドミニクは頻繁に帰省しては刺繍を刺す。互いにできないところを教えあうことで伯爵家のご令嬢ご子息の体面を保っているのだ。
「早めに言ってよ。デビューしてからというもの、お茶会も舞踏会も夜会も誘いが多いんだ」
「ビビは人気者だね」
「まさか! これもお父様のおかげさ」
フレイベルグ伯爵家はこの国の北部、海と山脈に面した土地にある。冬の寒さと農業の難しさがある反面、夏は避暑地として絶大な人気を誇るのだ。近年は特に観光業に力を入れていたりする。領主である父といえば、甘い顔立ちとこれまた甘い言葉遣いで人脈を広げるのが上手く、その余波がビビアンのところまで来ているのが現状である。
「夏に比べればまだマシなほうだよ」
「ああ、長期休みには顔出さなきゃいけないのかあ。婚約者選びとか?」
「ドミニクはまだ大丈夫。10代はひよっこ、20代は遊び人、結婚するなら30以上ってね」
「なにその格言」
「女学院で延々聞かされた話さ」
正確には35、6歳以上がよろしいでしょう。と続けた先生方の声が鮮やかによみがえる。伯爵家の長男たるドミニクは、身内のひいき目で見ても整っているからちょっかいはかけられるだろう。けれど、デビューしたばかりの未婚の乙女が狙うのは安定と安心なのだ。稼ぎがよく、女遊びもしない男の人。つまり相当年上である。
「年齢が倍くらいあるよ?」
「貴族名鑑見る限りそんなものみたいだよ」
「えー?」
ドミニクが不満気な声をあげる。結婚するのはわたしなのにな、と内心笑う。年のずいぶん離れた兄ができるのが嫌なのか、そもそもビビアンの結婚自体に反対なのかは分からない。ただ、社交界にデビューしてからずっとドミニクは嫌だなあという顔を見せるのだ。それがまた可愛らしく見えるのは姉のひいき目かもしれない。
父親と同じような年齢の人に嫁いでやっていけるのか。ビビアンも最初聞いた時は不安に思ったものだ。けれども、年上なら年上でよいこともあるだろう。例えば、ビビアンの勉強好きを黙認してくれる相手だとか。例えば、ビビアン自体に興味がなくかりそめの結婚をする相手だとか。エーリヒの部屋へは行けなくなるが、きっと彼はドミニクとビビアンの違いなんて気付かないだろう。
「うーん、でも。おれやっぱりそれイヤだなー」
向かいで刺繍の手を止めていたらしいドミニクが声をあげる。
「貴族の令嬢の義務というやつだよ。かけられた養育費の分、役目を果たさないと」
「役目って」
「まだ16だけどぼんやりしてたら適齢期を過ぎてしまうからね。お茶会も夜会も舞踏会もなんでもこなさないと」
話の矛先をそらせばドミニクがほほを膨らめる。眩しいものをみるように、ビビアンはひっそり笑う。
「ドミニクのおかげで息抜きできるし。いつもありがとう」
「そのくらいのワガママいつでも言って。最近しおらしすぎてらしくないよ」
「ま、こうみえてわたしも令嬢ということだ」
しばらくうなっていたドミニクは刺繍を再開する。さてこちらも読書に、と本格的に没頭しそうになったころにドミニクが大声をあげた。
「どうしたの、はしたない」
「はしたないって、おれは男だから……。じゃなくて、いいこと思いついたんだよ!」
「いいこと?」
首をかしげて続きを待つ。
「ひとつ賭けをしよう、ビビ」
「賭けるものは?」
「人生、のチャンス」
「ほう」
ドミニクの緑の瞳が生き生きときらめく。刺繍針をピンと立てて、もったいぶって彼はつづけた。
「負けた方は、勝った方の紹介する婚約者候補とお見合いすること」
「お見合い」
「ビビは適齢期なんでしょ? ちょうどいいじゃないか」
にこっと人好きのする笑顔を浮かべるドミニクは、よっぽど勝算があるらしい。対してビビアンは弟に紹介したい淑女とは巡り合えていない。勝っても利のない勝負だけれど、あんまり楽しそうにするものだからついつられてわくわくしてくる。双子の欠点はこれだな、片方につられるんだと内心言い訳をして続きを促した。
「勝敗はそうだな、エーリヒで決めよう」
「あいつわたし達に興味がないぞ」
「それでも決まる内容だよ。エーリヒが、書簡を届けているのがビビかおれかどっちだと思っているかで決めよう」
「それは」
勝ち負けの見えた勝負だ。エーリヒはとことん双子に興味がない。ドミニク、と毎回呼ばれることだって弟は知っている。ひょっとしてこの弟は婚約者を紹介してほしいのだろうか。
「ビビが決めると不公平だからおれがどっちか決めるね」
「うん、わかった。それでどっちだと思う?」
「エーリヒはビビアンって気づいている」
それはないだろう。反射で叫びかけたのをむりやり誤魔化す。そんな馬鹿な。彼はいつも振り返りもしない。目が合うのも書簡を受け取るときくらいのものだ。そのくらい、双子に興味がないんだ。何度も告げたエーリヒの動向をいちから説明しかけて、やめた。
これは賭けだ。そしてドミニクは賭けた。ビビアンにできることと言ったら美人で刺繍の趣味に理解のある穏やかな、できるだけ理想的な令嬢を探すことくらい。
「ではわたしは、エーリヒは気づいていないに賭けよう」
つとめて平静にビビアンは受け答える。これで賭けは成立した。
それにしたってエーリヒがビビアンに気付いているなんて、ドミニクも妙なことを言い出す。もしも、もしもそんなことがあるとしたら、ビビアンのささやかな安らぎは消えてなくなることになる。
再び本を開いても頭に入ってこない。ドミニクのせいだ、とビビアンはひっそりほほを膨らめた。