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帝都留学編 7

 ドミニクに手紙を書いている矢先に、ドミニクからの手紙が届いた。

 筆まめというわけではないけれど、タウンハウス宛に送っているせいかドミニクとの文通は決まった間隔で来る。それが返事も待たずに出してくるなんて珍しい。なんだろうとわくわくしていたビビアンは、中身を読んで真っ青になった。


 そこからのビビアンはひどいものだった。ルーシーに心配され、サナに顔色が悪いと指摘され、マリーイヴには医者を勧められる。クラスメイトもなんどとなく様子を見てくれ、王国の話を聞く会は延期となった。ビビアンにとって喜ばしいことなのに、どうしても喜びがうまく表現できない。


「お嬢様、今日は学園をお休みしましょう」

「体調が悪いわけではないから。大丈夫だよルーシー」


「いったいどうしたのよ、顔が真っ白よ」

「ああ、心配してくれてありがとうサナ。なんでもないわ」


「お医者様はダメなの? 私でよかったらなんでも相談して頂戴ね」

「ありがとうマリーイヴ。いつも感謝していますわ」


 終いには先生まで事情を聴いてきたものの、家庭のことなのでと黙秘を通した。なんとか週末まで乗り切ったときにはもう疲れ切っていた。なにもしたくない。そうつぶやくビビアンをルーシーは飾り立てていく。


「エーリヒ様のところへ行きますよ、お嬢様」

「エーリヒはわたしなんかに会いたくないと思う」

「いまのあなたを見ればそんな戯言吹き飛びます」


 ルーシーに支えられるようにして馬車に乗る。ぼんやりと思い出すのは子供のころ。初めて馬車に乗ったのはいくつだっけ。横に並んであっちの景色が、こっちに変わった岩が、と騒いでいた。海が遠くなるね、と言ったのはフレイベルク領からタウンハウスに帰るときだろう。


「つきましたよ、お嬢様」


 ルーシーの声で正気に戻る。手を引かれてエーリヒの滞在する部屋まで歩いていく。ノックの後で、ルーシーに部屋へと押し込められた。よろけたものの、なんとか立ち上がる。あいさつを、しなければ。


「そこへ座れ、ビビアン。ルーシー、下がっていい。よくやった」

「はい。お嬢様をどうかよろしくお願いいたします」


 言われるままにソファーの片側に腰掛ける。並んで座ったのはエーリヒだ。ドミニクじゃあ、ない。


「ビビアン」


 呆然としたまま、首だけ動かしてエーリヒを見る。見たことのない顔をしていた。眉をひそめて、俯いて、まるで辛いことでもあったみたいな顔。エーリヒには似合わない。


「ビビアン、なにかあったのか?」


 なにか。なにかあったというほどのことじゃあないのだ。他人にとってはそんなことと一蹴されるような些細なこと。それでも、ビビアンにとっては大きな出来事。エーリヒには分かってもらえるのだろうか。

 骨ばった手が伸びてきて、ビビアンの肩を抱く。そのままエーリヒの胸の中に閉じ込められた。


「答えてくれ、ビビアン。俺がつまらないことに腹を立てて、嫉妬している間にお前に何があった?」

「しっと?」

「そこは聞こえるのか……。お前がクラスメイトの男性と二人でお茶をしたと言っていただろう」

「ああ、ロペ。小鹿ちゃんを追っているんだって」

「は?」


 ロペの話をなるべく忠実に伝えれば、エーリヒは大きなため息をついて抱きしめる手を強めた。


「どう考えてもビビアンのことを小鹿ちゃんと呼んでいるんだろう、勝手に」

「なぜ」

「好意があるからだ。……お前は俺の想像以上にうまく化けているんだな」


 化けている、そうビビアンは化けの皮をかぶっている。大きな大きな化けの皮だ。もう一つ、大事な化けの皮がある。ロペに言わせるところの君のような男。鏡の中で笑うドミニクそっくりの紳士。


「ドニが髪を切ったって」

「なに?」

「手紙が来た。髪を短くしたんだって。もう鏡を覗いてもドニがいないんだ」


 エーリヒはじっとビビアンの言葉を待った。たったそれだけだけど、ビビアンにとっては大事件だったことを正確に読み取ってくれたらしい。ぽつりと涙が落ちた。


「ずっとお揃いだった。鏡を覗けばいつだってドニがいると思っていた。でも違うんだ。あの子は遠くへ行ってしまう」

「遠くに来たのはお前の方だけどな」

「そう。先に離れたのはわたしのほう。でも帰ればいつだって、鏡の向こうにはいつだってドニがいるって思っていた。安心していたんだ。変わることはないって。わたしはおろかだ」

「お前たちはよく似た双子だからな」

「よく似ていた双子、だよ。背も伸びたって。ほほのラインがシャープになったって。どんどん男の人になっていく。ドニが、わたしの知らないところで変わっていく」

「顔はいずれ変わるものだ。偶然居合わせなかっただけだろ」


 エーリヒが背中を撫でる。ビビアンの涙はどんどん零れて、ソファーに染みを作っていく。あとはもう明確な言葉にはならなかった。子供のころの思い出、どっちがどっちか当てる遊びから、エーリヒの部屋に行っていたこと。三人で一緒に過ごしたこと。そんな思い出がぽろぽろと零れていく。エーリヒは相槌をうってきいてくれた。

 ひととおり泣きつくして渡されたタオルで目元を抑えると、ようやくビビアンは顔を上げた。エーリヒも抱きしめる手を緩める。


「フレイベルクの双子の妖精。お前はどっちだ?」

「わたしはビビアン。ビビアン・フレイベルク」

「弟は?」

「ドミニク・フレイベルク。将来の、伯爵」

「俺からするとお前たちの中身もよく似ている」


 それは初耳だった。エーリヒが何を言いたいのか分からなくてアイスグレーの優しい瞳をのぞき込む。


「似ている、というのは違うということだ。俺が子供のころ好きになったのは間違いなくビビアンの方だ」

「え?」

「双子の見分け。子供のころ間違えたことがあったか?」

「……いや、なかったな。悔しかった」

「だろう?」


 エーリヒが微笑む。これまた珍しい表情にビビアンはぽかんと見惚れる。子供のころ、好きになったのは。意味を理解すると一気に真っ赤になる。


「ああ、ようやく話ができる。お前たちはよく似ているけど違う人間だ」

「偽のドミニクを見抜けなかったくせに?」

「令嬢は普通男装などしない。お前たちに普通が当てはまらないのを失念していたんだ」

「そう。わたしは勉強が好きで、ドニは刺繍が好き」

「そんなことで双子が解消されるのか?」


 ビビアンは声に詰まる。世界一ビビアンを理解してくれている弟。少しずつ変わっていっている弟。ビビアンの、片割れ。いたずらっぽく笑うエーリヒには答えがもう分かっているんだろう。


「ドニは、わたしの一番の理解者で、最愛の弟だよ」


 海がすぐそばにある。夜明け前の冬の海みたいなアイスグレーの瞳がよくできましたと笑っている。双子の一番の理解者であろうエーリヒがここにいてくれてよかった。自然と手がエーリヒの背中に回る。


「君が、わたしの婚約者でよかった」

「泣くなよ。これ以上泣かれたらさすがに手に負えない」

「泣くよ。これだけいい男が胸を貸してくれるんだ。今泣かないと損だろう」

「お前のだ。いつだって貸してやる」

「エーリヒ。君はわたしの涙腺を刺激したいのかしたくないのかどっちなんだ」


 くつくつとエーリヒが笑う。言葉通り、ビビアンが落ち着くまでずっとエーリヒはビビアンを抱きしめてくれていた。

 エーリヒという人をどう思っているのか。ふといつか考えた議題を思い出す。双子の理解者で、ビビアンを大事にしてくれて、いい男。それからビビアンを甘やかすのがとびっきり上手。婚約者という言葉を抜いたってエーリヒの存在は大きくて、つまりは家族以外でずっと一緒にいたい人。

 ビビアンは抱きしめる手を思いっきり強くした。多分いま真っ赤になっているんだろう。エーリヒの笑い声が耳に優しい。

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