帝都留学編 5
「馬鹿かお前は。頭を使え」
想像していたよりもずっとエーリヒの言葉は簡潔で辛辣だった。これを聞いて、ああエーリヒだなあと思うビビアンはちょっと変わっているのかもしれない。眉根を寄せたエーリヒはほとほと呆れたという表情だった。
「うん、馬鹿じゃないのかと思い始めている」
「具体的にはどの辺りが」
「王国の常識を伝えるときに、プラスイメージを与えられなかったところとか」
そう、一問一答形式と言われたときに主観を外して答えていたのだ。クラスメイトからすると、王国で育つことは平等ではない、不幸なといったマイナスイメージが浸透してしまっている。ビビアン自身は王国でも幸せをつかむことは容易であると思っているのだがそこがうまく伝わっていないのだ。
「そこじゃない」
「え?」
「反論、反証だ。事実を伝えようと思うならばお前の体験も充分な証拠だろう。それを伝える努力を何故怠った?」
「いや、わたしのケースは稀だし」
「お前の友人は」
「一般的な王国の令嬢です」
初めて友人の結婚式に出たときのことを思い出す。花婿は笑っていて、花嫁はだれよりもご機嫌で、祝福に満ちた結婚だった。歳の差も学歴も全く関係ない。王国貴族の当たり前の結婚は幸せに満ちていた。
「お前はレアケースで、珍獣なんだ。衝撃的な話が聞けると知ればそっちによるのは当たり前だろう。それを正していくのが教養ってやつだ」
「珍獣って……正してはいるつもりなんだけどな」
「つつましく、か?」
「あまり強い言葉を人前で使いたくないんだ」
これは紛れもないビビアンの本音だった。エーリヒや家族、ルーシーはいい。けれど帝国の人と話すとき、どうしても故郷カタルセン王国の名前がのしかかってくる。子供のころから染み付いた貴族の令嬢としての在り方が耳元でささやかれるように聞こえてくる。
はあ、とエーリヒがため息をついた。
「それで王国の名誉を貶めることになっても、か?」
「いや、そんなつもりはなかったんだ。本当に」
縮こまるビビアンに対して、エーリヒは髪をがしがしと掻く。
外交問題にでもなるのだろうかと今更になって心配になってくる。ビビアンの過ちで王国がひどいところだと思われるのは意に沿わない。さて、どうやったらあの熱量を抑えきれるのだろう。
「冬休みまでの課題だ。自力で挽回しろ」
「分かってる。でもどうやって。あそこにわたしの話をまっすぐ聞いてくれる存在がいるとは思えない」
「それを考えるのも勉強ってやつだろう」
「勉強。勉強?」
「いままで学んできた知識を全部使え。勉強してきたことを役に立てろ。そのくらいできるだろう」
いつもと変わらない調子でエーリヒがいう。ビビアンは、ぱちりと瞬きをする。学んできた知識を使う。勉強してきたことを役に立てる。聞いたことのない言葉だ。エーリヒは少し眉をひそめ、そうして大声を出した。
「お前まさか、勉強することが目的で勉強していたのか!?」
「それ以外になにが?」
「ちょっとまて、そうすると、ああ。なるほどそうなるのか」
エーリヒはぶつぶつと自分の世界に入ってしまった。切れ切れに聞こえてくるのは指示名詞だけで、これは彼が思考を整理しているだけなのでじっと待つ。勉強することが好きと家族に伝えていたビビアンは、いまのどこがエーリヒの気に障ったのかも分からずに小首をかしげている。
「エーリヒ?」
「今回のことは、まったくもってお前の自業自得だ。お前は勉強を役に立てることを覚えろ」
「それがよく分からないんだけど」
「お前はもうそれができる! ああ、もう、うかつだった。俺はこの件に関しては口を出さん。一切だ。」
これ以上会話する気がないんだろう。仕方ないので空き室で紳士服に着替えて帝国図書館へ向かう。
帝国図書館は未知の本でいっぱいだ。普段だったら浮かれるところなのに、ビビアンの気分は沈んでいく一方だ。エーリヒを怒らせてしまったらしい。口をきいてくれなくなった。すっかりしょげ返ったビビアンは、今日に限って自分に向けられた視線に気づくことができなかった。
図書館でいつも通り本を見繕って、エーリヒの滞在するタウンハウスに帰る。昼ごはんを一緒に食べていてもエーリヒは口を聞いてくれない。かといって王国の話を聞く会にどう対応していいかも分からない。
困り切っていると、ルーシーが助け舟を出してくれた。男装のまま街を歩いてみてはどうか、と。気分転換になると勧められればそんな気もしてくる。午後はひとりで街歩きをすることにした。
メインストリートまで行ってみれば、街の中には着飾ったご婦人ご令嬢それから男性であふれていた。思わず自分の服を見て、おかしくないことを確認する。人の流れに沿ってメインストリートを歩いてみれば、服から娯楽品まで専門店がずらりとならんでいた。
本屋につられて入れば、見たことのない娯楽小説の類が並んでいる。一巡りしてみて、帝国の刺繍図をまとめたコーナーを見つけた。弟が喜びそうだ、と場所を頭に入れておく。
それからまた次の店に向かおうとした時だ。背後から声をかけられた。
「失礼。今、時間はあるかな?」
「まあ、一応」
いたって冷静に答えたものの、ビビアンの心臓はバクバクと音を立てていた。声をかけてきたのはクラスメイトの男性だったのだ。ロペ・タルタス。褐色の肌に黒髪黒目の彼を見返しながら彼に関するうわさ話を思い出す。とにかく軽い、女の子が好き、帝国でも最南部から来ている人。
さてはばれたのだろうか。
「きみに少し話があってね。おごるからカフェに行こうか」
こくりと頷く。カフェがなんなのか本で読んだことがあったから、興味はあった。ロペの話とやらも気になったし、と心の中でエーリヒに言い訳しながらロペについていく。
大通りから少し横道に入ったカフェでお茶を頼む。店内ではなくテラス席だったのでビビアンは安心した。これならいざとなれば走って逃げられる。
「それで、話って」
「単刀直入に言おう。帝国図書館に来ないでもらいたい」
「なぜ。自由だろう」
「きみのような男がいると小鹿ちゃんがこないんだ」
小首をかしげる。どうやらロペは目の前にいるのがビビアンとは気付いていないらしい。ほっと息を漏らして、運ばれてきたお茶を飲む。故郷のタウンハウスで飲むものと比べても劣らない味に内心驚きつつ、話を促す。
「小鹿ちゃんは帝国図書館にひっそりと来る。しかも話しかけたいのにすぐさま帰ってしまうんだ」
「図書館は話をする場所じゃないだろう」
「そこはそれ、出ていくところで偶然といった感じでいこうかと」
「雑だな」
なるべくエーリヒの口調を思い出しながら、端的に返事を返していく。会話を続けるコツは相槌と疑問を適度に混ぜて気持ち良く話してもらうことだけれど、今はさっさと切り上げたい。
「そして最近気づいたことがある。小鹿ちゃんが借りる本の種類はきみとよく似ていると」
「へえ」
「そこで僕は気付いた。小鹿ちゃんが足早に帰ってしまうのは、きみと会いたくないのでは! と」
「ほう」
「そういう訳だから、つつましい小鹿ちゃんのためにもきみには帝国図書館に来てもらいたくないんだ」
「断る」
まだ何かいっているロペのことを置いて、お茶の礼だけ言って足早に離れる。どこへ帰るのか分からないように、馬車を使って一巡りしてからエーリヒの滞在するタウンハウスに帰った。
どうでしたか、とルーシーに聞かれて少し考えてビビアンは答えた。
「クラスメイトの男性とお茶をした」
「なにしているんですかお嬢様」
ルーシーがひきつった顔をするものだから寮に帰ってから順を追って説明した。男性とカフェ、という点についてはあまりいい顔をされなかったものの、話の内容で納得してくれたらしい。ただ、小鹿ちゃんとか言い出す輩は厄介な存在だろうから、今後一切近づかない方がいいと真顔で忠告された。