帝都留学編 1
夏の初めに、ビビアンは父と数人の従者と共にルドシャーク帝国の首都におもむいた。学園の編入試験を受けるためだ。
試験というもの自体がひさびさなビビアンのためにエーリヒは充分な対策を取ってくれた。たどり着いて早々に受けた試験の結果は問題なく合格。編入概要や規約、その他もろもろの書類にサインをしてぐったりとホテルに帰る。明日は採寸から日常品の手配まで忙しくなるだろう。
「おめでとう、ビビアン」
「ありがとうございます、父様。はるばる遠くまで来ていただいたかいがあります」
「そうだな。これでお前は二年間こちらに住むことになるのか」
「休みには帰りますよ。寂しいのですか父様?」
「寂しいとも! かわいい我が子の成長が見られないなんて考えもしなかった」
長い馬車旅の間、それから帰りの船旅も含めて父といろいろな話をした。帝国に嫁がなくて安心した、と聞かされた時にはさすがにビビアンも苦笑いになった。それだけ追いつめられていたのもずいぶん昔のことに思える。
船から直接フレイベルクの領地に帰れば、頂きに白い雪をのせた山々の裾野に広がる小さな街が迎えてくれる。たった一年も経っていないのにずいぶんと懐かしい光景だった。母にあいさつをすれば、すっかり仕事モードになっていた彼女は笑ってよくやったわねと褒めてくれた。おかげで私の仕事が増える、と。避暑にきたマダム向けに食事会やお茶会を開催する母らしい言葉である。
ドミニクは高等学院の長期休みに入って早々馬車で来た。父宛の書類を抱えて帰ってきた弟は、編入試験の結果に驚きもせずにやっぱりとだけ返した。それでも少し間をおいて、おめでとうよかったね、とぼそり告げる姿はまさに可愛らしい弟そのものである。
「ドニに祝福してもらえるなんて思いもしなかった」
「ビビが勉強大好きなのは知ってるからね、でも休みには絶対帰ってきてよ!」
「もちろん。ドニが喜びそうな刺繍図も探してくるよ。今回はちょっと時間がなくて買いに行けなかったから」
「うん。楽しみに、してる」
「顔がそう言ってないぞ」
「だってさあ。秋にはいなくなっちゃうと思ったらさあ」
結婚してもいなくなっていたぞ、とはなんとなく言えなかった。
帝国への旅にはエーリヒの家から贈られた侍女もついてきた。ルーシーと言う名の彼女は、帝国内で高等教育を受けた逸材だ。タウンハウスにいるころからそつなくフレイブルクの家令達に馴染み、ビビアンが故郷を恋しくなったら作ってやってほしいと菓子の作り方まで伝授されていたほどである。
避暑地に来てもエーリヒは勉強道具をかかえてフレイブルク家のカントリーハウスまで通ってくれた。
「それで、ルーシーの働きぶりはどうだ」
「うん、帝都ではすごく助けられたよ。街歩き用の服なんて考えもしなかった」
「ああ、あちらは街を歩いて買い物する習慣があるからな」
「へー、女の子も?」
「女の買い物は長いと聞く」
街歩き。話しぶりからするとお忍びで市場へ降りるのとは違うのだろう。ビビアンはこっそりとやってみたいことリストに追加する。王国の令嬢たるものそんな真似は厳禁、と幼年女学校の先生の声が聞こえた気がするが気のせいだろう。
「ルーシーならいま母様の手伝いにまわっているよ」
「母さんすっごく褒めてたっけ。ビビじゃなくてわたしのところに欲しいってさ」
「それでは本末転倒だろう。だいたい、ビビアン付きに雇ったんだからもっとしっかり主従関係を築いておけ」
「うん、それは大丈夫じゃないかな。わたし彼女がすごく気に入ったんだ」
「おれも。面白い人だよね」
エーリヒが眉根を寄せる。そもそもビビアンに付ける侍女というアイデア自体が彼の父親のものであり、選んできたのもその人だそうだ。気になるのだろう、続きを促してくる。
「具体的には」
「こう、ずぱって言いたいこと言ってくれるというか」
「なにごともさくさくとこなしてくれるからな、わたしも無茶を言いやすい」
ルーシーが来たばかりのころを思い出す。侍女というものは陰に徹すると経験で知っている双子にとって、ルーシーの存在は一種の革命だった。ドミニクが軽いだだをこねればいい年なんですからと一蹴し、ビビアンが本に夢中になって睡眠をおろそかにしそうになれば本を取り上げる。
侍女ではあるが主人のためなら真向から主人の意見に逆らう、この正直さは王国ではあまり見かけない。本人にそれを褒めたところ、複雑そうな顔で帝国でもそうでしたよと返された。じゃあうちにきてよかったね、とは双子の正直な感想である
「お前らはほんとにたらしこむのが早いな」
「なにいってるエーリヒ。需要と供給がかちりとあったんだ。祝福してくれてもいいくらいだぞ?」
「そうそう。ビビ付きといわずフレイベルグ家に仕えてもらいたいくらい」
「その調子で話し続けてどうなった」
「ルーシーはわたしに気兼ねなく接せられるから居心地がいいと言っていたな」
「この家は一家そろって変わり者ですが終身雇用されるならこういう家がいいですねって褒められたよ」
「この人たらしどもめ」
こころなしかエーリヒの目が冷たい。心当たりのない双子はアイコンタクトで互いの発言や行動を思い出し、まあ両親がなにか言ったんじゃないかなというところで落ち着いた。フレイブルク伯爵といえば甘い顔立ちとこれまた甘い言葉遣いで人をたらす名人なのだから。
「そうだ、エーリヒに聞いておきたいんだが。編入要項のところでいまいち理解できない単語があって」
「その場で聞け。それで、なんだ?」
「その場でも聞いたとも。男女共学、とはいったいどういうことなんだい? 想像がつかなくて」
「ビビ、なにそれ」
エーリヒが頭を抱えて深く息を吐きだした。ぶつぶつと何かしらを呟いている。男女共学とは、男女が同じ学び舎で学ぶことですよ、と学園の先生は説明してくれた。ビビアンなりに一生懸命考えて、同じ建物内に男女がいることだろうと思っていたのだが、エーリヒに借りた本を読むとどうも違うようだ。ここは経験者に聞いてみようというのが自然な流れである。
「文字通り、男女が同じ室内で同じように勉強をする、という意味だ」
ぱちり、ビビアンはゆっくりと瞬きをする。エーリヒは畳みかけるように続ける。
「女学院では女性しかいなかっただろう?あの中に男性が混じっていると考えればいい」
「それって、え? 教室に女の子がいるってこと?」
「そうだ、ドミニクの言うとおりだ」
「なにそれすごく恥ずかしい!」
「帝国ではごく普通の文化だ。ビビアン、大丈夫か?」
少し放心していたのだろう。エーリヒが近づいて目の前で手を振っていることに気が付かなかった。正気を取り戻してもビビアンはまだ動揺していた。だって、クラスに男性がいる。どう扱ったらいい。何を話したらいい。気を付けるべきことはなんだ。なにもかもが分からない。慌ててエーリヒに確認するものの、お前は婚約者がいるのだから普通にしていたらいいとしか返ってこない。
帝国行きが一気に不安になる。ドミニクを見れば、今のビビアンと同じような顔をしていた。
はあ、とエーリヒが息をつく。
「まあその辺はおいおい慣れていくだろう」
「おいおいじゃあ困るんだ、だって向こうにはルーシーしかいない!」
これはビビアンの切実な叫びだ。勉強ができる。それは嬉しくて嬉しくて仕方がない。けれどそれと同時に、人間関係を一から作る仕事が待っている。女の子だけなら今までだってうまくやってきた。それが、男性までなんて。未知の生き物相手にどうしろというのだ。
エーリヒが一つ頷いて、ビビアンの目をのぞき込む。
「俺がいる」
「え?」
「しばらく帝都で過ごすことになった。だから、俺もいると言っている」
なにそれずるいとドミニクの叫び声が響いたのは一拍置いてからだった。