番外編:のばらの刺繍
姉がクラッグ公爵家の三女、パトリシアと仲良くなってからというもの、ときおり夜会や舞踏会への招待が来るようになった。初めてお邪魔したときのような堅苦しい服装ではないけれど、ドミニクは招待状が来ると自然ため息がでる。公爵やパトリシアを嫌っているわけではない。問題はそれ以外にあった。
「聞いた話によると、君の姉上はルドシャーク帝国へ留学するそうだね」
すこしばかり食事をつまもうかとビビアンとパトリシアから離れた時だ。狙っていたのだろう、侯爵家の子息が話しかけてきた。付き合いだと割り切って食事の並ぶテーブルから離れお話していたところ出てきたのがこの話題。
うわ来た、というのが正直な感想だ。
「ええ。婚約者のすすめで外国を見てくるそうです」
「変わった令嬢だ」
「そうかもしれません。私の領地には港があるのですが、時折外国の船も参りました。それに憧れているのかもしれませんね」
失礼な発言が続かないように先手を打って説明する。完全に嘘ではない。フレイベルグ伯爵領には港があるし外国の船を見に行ったこともある。ビビアンが憧れているのは帝国の知識だけだろうけど。
「随分と夢見がちなのだな」
「私ともども未だ若輩者ですので」
「帝国の悪しき慣習を持ち帰ってこなければよいのだがね」
ビビアンの留学の話がどこから漏れたのかは知らない。けれどうわさはさざなみのように伝わって、顔見知りから今のような初対面の人までドミニクに確認しに来る。この時間がドミニクにとっては苦痛だった。
「かの帝国では女が表に出てくるというではないか。全くはしたない」
「失礼ながら、姉はこの国で育った令嬢です。心配なされるようなことはないでしょう」
「ふむ。そうだな、この国の令嬢か。せっかくだ。むしろ向こうに王国流のつつましさを伝えてやってくれ」
平常心、平常心。自分に言い聞かせる。
侯爵家の子息はひとしきり失礼なことを言ったうえで去っていった。今回はまだマシなほうだろう。ひどいときは水でも浴びせたくなるような暴言を吐くような輩までいる。
貴族の子息は階級によって力の差がはっきりと決まっている。幼年学校から散々見てきた。姉に貴族名鑑片手に仕込まれた人間関係を思い出す。侯爵家の子息の確か三男だったはずだ。こっそりブラックリストに放り込んで、あれが跡継ぎでなくてよかったとポジティブにとらえる。侯爵家ごと疎遠にならなくて済む。
あの威張り具合に、貴族なんていざという時にだけ威張ってあとは領民に恥じなきゃいいと言い放つ母を思い出した。夏にしか働かないカントリーハウス暮らしの母もたいがい貴族らしくない人だったな、とこの年になってまた思い知る。
人の間をすり抜けてビビアンとパトリシアのところまで戻る。食欲はすっかりなくなっていた。
「おかえりなさい、ドニ」
「おかえりなさいませ、ドミニク様」
「ただいま、パトリシア嬢、ビビ」
「なにか捕まっていたようだけど大丈夫だったかしら? ちゃんと食事はとれたの?」
「いつものあいさつだよ、ビビ。また食事中に来られたらたまらないから帰ってきたんだ」
「そうなの」
「わ、わたくしがとってまいりましょうか」
精一杯といった感じのか細い声があがる。パトリシアと言えば、先ほどから一切こちらを見ていない。顔を見ると緊張するから、と扇で顔を覆ってしゃべるスタイルにドミニクも慣れつつある。
「ありがとうございます。ですが、パトリシア嬢の手を煩わせるほどのことではありませんよ」
「そうですか……」
なんだろう、すごく悪いことをした気がする。しかしここで揺らいではいけない、ドミニクは耐えた。格上の令嬢におつかいを頼む子息がどこにいる。帰ったらうちの使用人になにか作ってもらえばいい。
「そうですよ、パトリシア様。わたしが取りにいってきますわ」
「ビビ?」
「ドニ、パトリシア様のお相手をしっかりと果たしてね」
こちらの気遣いとかいろんなものをすり抜けて止める間もなくビビアンが行ってしまった。パトリシアと二人きりという状況は見知らぬ貴族の嫌味よりつらいことではないけれど、間に入るビビアンがいなくなったらダメだろうとドミニクは内心焦った。
「パトリシア嬢」
「は、はい」
見るからに緊張してますと言わんばかりの様子にこちらまで緊張してくる。今日の装いはあいさつの時に褒めた。なにか話題がないものか、とりあえずさっき行ってしまった姉は共通の話題になるだろう。
「いつも姉がお世話になっております」
「いえ、いえ、こちらがお世話になりっぱなしで!」
「姉はちょっと変わったところがありますから、なにかあったら遠慮なく言ってください」
「いいえ、本当に。ビビアン様はお綺麗で、並んでいてわたくし不相応なのではないかといつも……」
「ありがとうございます。パトリシア嬢は可憐ですので、不敬かもしれませんが二人並ぶとバランスがいいですね」
「は、はへ?」
ふしゅう、と音がしてパトリシアが真っ赤になってしまった。こうなるとどうにも会話にならない。
あれ、と内心で首をかしげる。何かまずいことを言っただろうか。ドミニクの姉も母も令嬢としては規格外で、こういった繊細な令嬢らしい令嬢のご相手など経験に少ない。だいたい舞踏会で踊り続けているだけだし、夜会なら話が弾まなければ離れればいいものの、今はそうはいかない。
何気なさを装って会場を見回す。ドミニクがパトリシアから離れるのをいまかいまかと待っている貴族がたくさんいるのを感じる。本来なら伯爵家子息など押しのけて話しかけたいのだろう。クラッグ公爵のお気に入りという肩書がドミニクを、ひいてはパトリシアを守って彼らを牽制している。
なにか話題をと頭はひねる。ビビアンはどこまでいったのだろう。
「あ、あの!」
「はい、どうされましたか?」
「ドミニク様は、薔薇がお好きでしょうか」
落ち着いてきたのだろうパトリシアの言葉を慎重に受け答える。質問なんて珍しい。ビビアンと相談したか、前回から考えてきたかどちらかなのだろう。それにしても、薔薇。ドミニクにとって薔薇の花の名前や形状なんかは正直お手上げで、この質問はどう答えようかと思案する。
「ええと、そうですね。今年も庭にのばらが咲いたのは見ましたが」
「あ……わたくしも、見せていただきました。可愛らしいお花でした」
「ビビですね。歩きにくい庭でしたでしょう」
「その、わたくしああいった庭には慣れておりませんでしたのでびっくりしましたが、いい庭だと思いました」
「ありがとうございます。私も気に入っております」
おそろいですね、と言えばまたパトリシア嬢が真っ赤になって停止してしまった。
いったいなにがいけないのだろう。ドミニクは目をつむり、少し考えて諦めた。ビビアンが帰ってくるのをひたすら待つ。もしかしたらどこかで捕まっているのかもしれない。なにせ帝国行きのうわさの渦中の人物だ。
薔薇、そういえばのばらモチーフの刺繍を今年は作らなかったな、と頭の隙間から落ちてくる。
「パトリシア嬢は、薔薇でしたらのばらでもお好きですか?」
「え、ええ。だいすき、です」
「それでしたらハンカチーフを一枚贈らせていただいても?」
赤みが引いて、扇子が少し下がり珍しく目が合った。と思ったらすぐ逸らされた。これにはだいぶ慣れたのでドミニクは勝手に続ける。
「私の趣味について以前お話ししましたでしょう」
「ええ」
「のばらのモチーフで一枚パトリシア様に差し上げようかと思いまして」
「ふえ?」
「ご迷惑でしたらやめておきますが」
「いえ、そんな、あの……わたくし、できることなら、ほしい、です……」
もごもごと言い続けるパトリシアとまた扇子ごしの会話に戻る。頭の中から似合いそうな刺繍図を引っ張り出してくる。蝶々はお好きですか、薔薇のお色は何色がお好きで、そんな質問をパトリシアのペースに合わせて投げかける。だいたい出来上がりの形が見えてきた。上下にのばらと蔦のラインの入ったベージュ色のハンカチーフがいいだろう。縁取りは薔薇の花色を引き立てる色。
考えれば考えるほど楽しくなってくる。
「それでは、なるべく早いうちにお送りしますね」
「はい。あの……ほんとうに、よろしいのですか? わたくしなどが」
「など、なんて言ってはいけませんよ。貴女と話したい人はたくさんいるんです。ビビが虫よけにやっきになるくらい」
それからちょっと考えて、続ける。
「私もパトリシア嬢とお話しするのは面白く思っております」
またパトリシア嬢が固まってしまった。
何故か固まってしまったり共通の話題が少なかったりで上手くいかないけれど、言葉に偽りはない。繊細で会話をうまく続けられないながらに頑張って話そうとしてくれる姿が愛らしい。小動物だとのビビアンの言葉は本当にぴったりだ。惜しむらくは顔が見られないことだけど、とそこまで考えてなにが惜しいのかと自分の思考に小首をかしげる。
「ドニ、待たせてしまってごめんなさいね」
「ありがとうビビ。パトリシア嬢が固まってしまわれたのだけど、どうしたらいいのかな?」
「それを食べて待てばいいんじゃないかしら」
姉は婚約やら留学やらが決まって肝が太くなったなあと言われた通り食事を頂きながら思う。パトリシアは一応公爵家の三女様なのだけど。よくよく思い出してみて、エーリヒのところへ騙して通っていたんだから図太いのは元からかと思いなおす。
後日、ハンカチーフを手紙と共に送れば薔薇の模様の入った便箋が返ってきた。中には丁寧なお礼とのばらモチーフの気に入ったところ、それから大切にしますとのことが可愛らしい文字で書いてあった。さすがは公爵家の令嬢、そつがないなあと普段との態度の違いにびっくりしていれば、手紙には続きがあった。なんでも父親のクラッグ公爵に見せたらいたく感激したらしく、今度贈り物をしたいので好みをお教えください、と。
ひょっとしてこの手紙をかいた令嬢とパトリシアは別人なんじゃないかと思うくらい鮮やかな手口で、二人の文通は始まった。